早稲田に行きたい

そう思ったのは、11歳頃だったと記憶している。
既に少年野球チームに所属していた僕は、朝刊のスポーツ面とテレビ欄をチェックするのが日課だった。
暑い日は扇風機の前、寒い日はストーブの前で。

ホークスの、そして各チームの大分県出身の選手の活躍を見ては喜び、夢を膨らませていた。

写真付きのプロ野球の紙面の片隅に、大学野球の結果が掲載されていた。

見ると 東京六大学秋季リーグ と書いてある。

早稲田大学×慶應義塾大学 の試合結果だ。

結果そのものの記憶はないが、それを見た時に母に聞いた。

何故、東京の大学の試合が大分の新聞に載るの?
どんな大学?

母は、台所に立ちながら

お勉強もスポーツも出来る人が集まるところ。
野球が上手い人ばかりで厳しいところ。
すごいところだから載るの。

そんな風に当時の自分に分かりやすく教えてくれた。
その瞬間に、そんなところに行ってみたい。そう思った。

初めてユニフォームを知ったのはテレビの特集。
ルーキーイヤー大活躍のホークス和田毅投手の大学時代の映像。それを紹介するフジテレビ田中大貴アナは元慶應の4番。
早稲田は白で、慶応はグレー、そしてプロ野球とアナウンサー。なんとも夢がある。
そういうふうに感じた。

そして
早稲田に行きたいという気持ちが勝った。

そんなきっかけからしばらくして、

中学2年でテレビで見た選抜高校野球、
早稲田実業対関西高校の試合に釘付けになった。

決して体格には優れていないけれど、wasedaを着て、マウンドで140オーバーのボールを投げる投手がいた。
五つ上の兄の高校野球を見慣れていたから、
140を超えることが凄いことである。という基準でしかなかったが、それ以上に飄々と、淡々と、ゲームを作るピッチャーがかっこよくて。
この人、絶対すごい人だ。そう思った。

その人こそ

後にヒーローとなる 斎藤佑樹 だった。

選抜をみて尚更、早稲田に憧れた。

そして夏の斎藤佑樹投手を見て、その想いは当然強くなる。
こんなにカッコいい高校生がいるんだ、と思った。

投げ方を真似した。
本も読んだ。喋り方まで真似した。
その年の甲子園のDVDも買った。
プレートの使い方も真似したし、履いているスパイクの形も同じものを選んだ。

松坂世代の記憶は僕にはほとんどないから
僕にとっては最大の衝撃こそ、ハンカチ王子だった。

そんなヒーローが早稲田大学を選んだ。
大卒プロを公言。

当時ちょうど中学3年、進路相談の時期。
先生には早稲田に行きたいと告げた。
自分のイメージもバッチリ
早稲田卒ホークス、だった。

野球で少しばかりいい成績があったお陰で、
県の内外からお声がけを頂いたが、その先に早稲田が確実に見えるところはなかった。
どうせ県外なら、埼玉に早大本庄という高校があること、そこには寮はなく下宿になること。
高校で目一杯勉強して大学受験。
早稲田を指定校にもつ学校に進学という選択肢もあること。

親と先生と、早稲田に行くための進路相談が始まった。
親は東京に僕を連れて行き、神宮球場の前で写真を撮ってくれて、想像力までプレゼントしてくれた。

しかし、結果的に一番自分にとってリスクがないところを選び、進路は早稲田ではなく立教となる。

その間に色々あって、自分の中の”予定”が変わっていった高校時代ではあったが、大学で本物のwasedaを見たとき、斎藤佑樹投手が着ていたあれだ、とやっぱり思った。

立教に入れた喜びも当然だが、上回る思いで、その白ユニフォームを見つめる気持ちは残り続けたのは確かだった。
自分は神宮でプレーすることは叶わなかったが、4年間野球を続けられたのは、斎藤投手への憧れがパワーになっていたからだった。

斎藤投手の高校、大学、そしてプロ野球、
その変遷をファンとして、プレーするものとして応援し見つめてきた。

どんどん投げ方も変わっていって、
様々なことが想像できた。

比べるものではないが
自分も怪我で体が全く別物になるという怖さを味わったから尚更。

引退を発表した斎藤投手の言葉に

今に始まったことではないが、体のことも…

というワードが二度ほどあった。
苦しかっただろうなと思った。

経験がない人は想像力が欠けるところもあるから
数字だけで簡単に捌くところがある。
それはいろんな形で斎藤投手だけでなく、表に立つ人を虐げてきた。
ファンの自分がイラッとするような嫌な文言を何度も見たことがある。

そんな中で戦ったのだと想像すると、胸が痛くなる思いになる。

引退を発表した今、
世の中は功績を讃える声で充満する。

本当はみんなが期待し、憧れ、待ち続けた、それだけの想いだったのかもしれない。

けれど、その期待にはもう追いつけない体の状態だった。
それでも投げることが仕事だから、
ご本人もかすかな望みを持ち続けていたようだ。

高校時代やっぱり投げすぎたのかなぁ。

周りからはそういう声が聞こえる。

自分もそうだと思う。
それが感動に繋がった。

今回を機に、過去の動画を色々、出てくるものを眺めた。

練習の次に今辛いのは?というアマチュア時代の質問の答えが

取材

というものがあった。

メディアがいたから彼を見ることが出来て憧れた。
けれども、本人にとっては得たり、失ったり、色々繰り返したこともあるのだと思う。
ただのファンだけど斎藤佑樹投手の野球人生を見て、
すごく、すごく、野球経験者の立場でも、今の立場でも思うことがある。


でも、
最後にまたあの頃のように話題に上がるのは、個人的に嬉しい。

引退試合が17日だったか。

ずっと自分の中に残っていた少年の気持ちがなくなり、
ある意味一段大人へと上がる日になるかもしれない。

見られるのは嬉しい。
けれども、もう見られないのは寂しい。

時の流れを感じる一番の出来事かもしれない。


僕の人生に大きな光を与えてくれた選手。

本当に感謝したい。

本当にかっこよかった。

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