メリークリスマスが言えなくて🎄

「メリークリスマス」幼い頃は心待ちにしていたクリスマス。
いつの日にか雑多な日常に加わる1つのスパイス的な役割に過ぎない存在になっている。
子供にとってのクリスマスというものは、自然な非日常の世界であり、
大人にとっては人工的に非日常を作り出すための一つの「言い訳」。

いつの日からか、心からの「メリークリスマス」を手放している大人は非常に多いのではないかと思う。
クリスマス商法だと分かった上で乗っかってみたり、逆に斜めにクリスマスというものを眺めてみたり。
イベントの度に他者と自分を比較して、自虐的になってみたり、世の中への不満を並べ立ててみたり。

さて、この状態は幸せなのであろうか。

大人になる=非日常を手放す
この図式が自然と一般的になっているような気がする。
非日常というものは、自分が興奮(=テンションが上がっている)している状態。かつ、自分のことを客観視出来るようになっているため、興奮してしまっている自分を周りに悟られてしまうと気恥ずかしいというマインドの下、「メリークリスマス」が言えない自分になっている大人が多いのではないか、なんてことを考えていた12月24日だった。(30歳独身)

「メリークリスマス」が言えないのはいいとして、問題なのは、非日常に対して、素直に感情をさらけ出せなくなっているということ。
これは、1度きりの人生においてとてつもなく損なのではないか。
いつもと違う環境
いつもと違う景色
いつもと違う香り
いつもと違う食事
いつもと違う空気
そのような「非日常」を、悟ったような顔をして、「スルー」してしまうのは、どんどん自分の世界を小さくしてしまう。

そう、世の中全てを分かったような顔をして、自分の感情を動かさない癖をつけてしまうことは損しかない。
クリスマス商法、イルミネーション、クリスマスケーキ、、、
ありとあらゆる非日常に思い切り乗っかってみる。
セール品を買うのは無駄だ、明日には撤去する、明日の方が安い、、、
分かっていても乗っかってみる。
非日常を客観視せず、その世界線に没入してみる。心を動かす。
気が付くと、全部悟ったつもりになっていた自分も自然とこう言うだろう。

「メリークリスマス」

そんなちょっと滑稽でかっこ悪いような自分は、小さいことにも感動出来たり、感謝出来たり、喜んだり、とにかく何かの変化に目を向けられるようになっているはずだ。
細かな目配り、気配り、自分の、周囲の小さな変化に気が付く人、素直に感情を表現出来る人の魅力には破壊力がある。
そして、そんなあなたに惹かれる人がいずれ現れる。
来年の今日、あなたはその人に向かってこう言うだろう。

「メリークリスマス」(笑)

結局のところこういうこと。
「メリークリスマス」を言えない状況に自分を追い込んでいるのは、
「メリークリスマス」を言わない選択をとっていた自分。
非日常に心を動かさなかった自分。
小さな非日常に心を動かす癖をつけて、非日常を楽しめる自分の状況を作り上げると、日常が非日常にバージョンアップしていく。

人生は1度きりだから、面白おかしく。
来年の今日は素直に「メリークリスマス」を言える自分になりたいな。
と、心から思ったクリスマスイブだった。

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