柿原徹也の楽曲「じゃあね」について深く考えた
↑お写真借りました。こんにちは。実は昨日遅くまでスマホでねとふり映画をみていて左肩が非常に凝っておりタイピングがしんどいです。あまり長文は無理かも。ついでに最近みた映画で終わり方が良くて久しぶりにアタリ映画だったな~!!という作品はこれ。
・パリピ的アフターライフの始め方(2021)
・クリスマス・ナイト 〜恋に落ちた騎士〜(2019)
さて、そろそろ本題に…
《Attention》
・完全なる個人的解釈と想像による壁打ち文章、語尾統一はあまりしていません
・ここ数年の雑誌及びラジオ、インタビュー記事はすべてを網羅しておらず最新の情報は止まっているので「それ違うよ!」って部分があっても目をつぶって
・繰り返しますが意見には個人差があります、どうかご自身の解釈を大切に
ミニアルバム『DON'T LET MI KNOW』
まず、楽曲「じゃあね」の話をする前にアルバムについて簡単に触れておく。このミニアルバムを一言で表すと…と書き始めたところで、わたし何にも知らねえなと思いこんな素敵な記事を発掘(いま)。
もうこれに全部書いてあるから未読の人は読んで。
過去に柿原さんがとある楽曲についてインタビューか何かを受けていた時に「ユウスケは俺がその時、自分が感じている、思っていることを書いてくれる。」(ニュアンス)といったような発言をしていたので…今回の楽曲も佐伯さんの言葉=柿原さんの言葉として考察させていただきます。違ったらごめん
リード曲「ドミノ」について
「じゃあね」の話をする前に追加で話しておきたいのはこの曲について。諸事情によりわたしはまだMVを観ていないので(言い訳か)この曲に対して全くもって男女のイメージはありません。
ただひたすらに頭に思い浮かぶのは、柿原少年が独りでドミノを静かに並べ続ける少し寂し気な後ろ姿です。この記事を読んでいる方は勿論、柿原さんのファンだと思うので説明不要と思いますが、改めて彼の生い立ちを振り返ってみる。
出身はドイツのデュッセルドルフ。お父様は同国にて大学教授をされており、実は秩父鉄道創始者・柿原萬蔵の子孫。元来めちゃくちゃ良いお家柄の生まれ。ドイツでも進学校に通い、医者か学校の先生になるのか。という固めのレールが敷かれていたそうな。そして数々のインタビュー等でお話されている通り18歳にて声優になるため、家族に置手紙だけ残し、トランク一つで日本にやってきた。(詳細は柿原徹也ファースト写真集『enjoy?』にて)
彼の人生の選択について勿論、強い後悔などはなかったことと思います。インタビューでもそういったお話は何度か目にしました。ただ、柿原さんにもネガティブな感情はある。がむしゃらに夢に向かって走り続けていたけれど不安定な時期に、もしドイツに留まって学校の先生になっていたら?置手紙だけじゃなくて家族とちゃんと別れの挨拶をしてきていれば?とか。そういった感情も少なからずあったのではないかとも思います。
そういった背景を考えてから「ドミノ」を聞いてみるとまた違った角度から彼の心が覗けるのではないでしょうか。なんか投げかけになっちゃった。
以下はメモ程度の自己解釈
「じゃあね」って誰に向けて?
やっと本題の楽曲にたどり着きました。なんか「じゃあね」の話する前に燃え尽きそうなんですけど…
さて、なんで先に「ドミノ」の話をしたのか。それはこのアルバム最後の楽曲「じゃあね」とリンクする部分があると感じたから。いま改めて2つの歌詞を見比べているけど。佐伯さんが全部書いてるっていうこともあるけどやっぱり表現が少し似ています。
うーん、アンサーソングとまではいかないけど何かしら繋がってそうなんだよなあ
そして、まず1番の歌詞は主に柿原さんが自分自身に向けて歌っている部分だと思っています。ベクトルは過去の自分、そして少しだけ現在(いま)の自分も入っているかも。
『そっと離して じゃあね その手 離して』ここの「その手」とは過去の自分自身。もしくはネガティブな感情を持つ自分自身だと仮定します。つまり、もう1人の自分との決別を表しているのかな。
個人的にこの部分の『守るべき素顔を見失う』ってフレーズ好きで。柿原さんって聞いた話によるといつもあんな感じらしいんですよ(あんな感じとは)だからホントに我々から見えている彼がそのままだと思うけど人って沢山の顔があるじゃないですか。それは「プレイヤー」でも歌われている通り。彼自身が「ホントの自分って何処にいるんだろう」ってふとした瞬間に感情迷子になったりしたら興奮するなって話なんだけど(酷い)
脱線したので戻しますが2番の歌詞は「僕らの結び目~」というフレーズがあるので自分以外の登場人物がいるとします。まあ一旦それは置いておいて。
特に好きなフレーズがこれ。
『こだまする感情で 檻のような現実を 壊してみたいよ』
またドイツ時代の話をするけど、柿原さんの話をお伺いする限りご両親はかなり厳格な方だったようで少年~青年期に感じていた窮屈な世界が確かに存在するんだろうなと想像しています。この「檻のような現実」とはまさにそれなのではないだろうか。
このフレーズから続く歌詞は当時、保育園の先生インターン(?)をしていた柿原青年が感じていたことだと思うとふ~!!ってなる。語彙
そして、この2番の歌詞で彼が許しを乞うているのは誰なのか。しつこいですけどご両親なんじゃないかな~って思ったりして。なんの許しなのかは置いておいて。いまのご関係はまったく知らないので赤の他人がどうこう推察していいものではないですけど過去の確かな確執というのは感じているので。もうご両親が柿原さんを認めているとは思うのですが本人に伝わっていない可能性もあるし。そろそろ怒られそうだからこの話はやめよう。
もう 戻らないように
もう 戻れないように
最後のフレーズ。「ら→れ」にするだけで全然意味が変わりますよね。深いわ…
最後に
ここまで、かなり角度を絞って自己解釈及び妄想を書いてみましたが、設定(言い方)を変えると本当に色んな解釈が生まれると思います。ここに残したのは本当に一部の感想、そしてわたしの現時点での知識と考えによる産物です。なので勿論見当違いだろうし、もしここまで読んでいる凄い優しい皆さんが「ちょっと違うんだよね」って思っても当然です!!だって答えないもん!!
最後に言い訳しましたが普段わたしがこの楽曲を聞いてふわふわと感じていることを残してみました。
おわり
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?