日記(失敗の本質 3章感想)

引き続き「失敗の本質」の感想。今回でおしまいですね。
3章は総括で、1章2章で見かけた内容も多いかもしれませんが、それを統合して現代への提言などにつながります。

組織文化

日本軍は過去の戦勝の成功体験に基づいたマインドが個人にインプットされている…だけに限らず、組織の文化的にその成功体験を強化するような雰囲気が根付いていた。海軍記念日など儀式も行い、考えの原点になるような教育がなされていた。これだけ書くとネガティブな要素がメインになってしまうが、その信念でもって個人の特異的な技術なども発達していた、本文でいうところの「日本軍は適応しすぎて特殊化していた」ことになっているそうだ。
現代でも会社とか宗教とかでこうした意識の植え付けは行われているだろう。成功体験にもとづく語りもゼロにするべきではなくて、失敗やヒヤリハットについての振り返りが必要であることは本書でも述べられているとおりだと思う。
加えて次のセクションではこう書かれている。

適応力のある組織は、環境を利用してたえず組織内に変異、緊張、危機感を発生させている。あるいはこの原則を、組織は進化するためには、それ自体をたえず不均衡状態にしておかなければならない、といってもよいだろう。

「不均衡の創造」

『論語と算盤』の、(実施するかは機会を待つ必要があるが)争いの心を持ち、その意気込みが無ければならないという考えに近いかもしれない。
「平和」な状態が続くと、あらたな不均衡に対して適応する能力が失われてしまうため、少しずつでも連続的に変化を与え続ける必要があるというのだ。居場所に安寧を求めてしまいがちな人間なので、これは刺さる。完璧主義で失敗を恐れるのが現代人の特徴とはよくいうが、「一度失敗をする」よりも「絶えず変化を起こして、それに適応する習慣をつける」という考えは現代でもそん色なく通じるものだと思う。しょっちゅう組織を入れ替わるわけにはいかないが、本書でも「読書」というワードが出る。

彼等は思索せず、読書せず、上級者となるに従って反駁する人もなく、批判を受ける機会もなく、式場の御神体となり、権威の偶像となって温室の裡に保護された。

「不均衡の創造」

ハラスメントを適切に?過剰に?対策した現代で、平和で批判も受けない環境で穏やかに過ごしてしまう恐れは十分にある。どこか考える余地は無いか、他の世界からのインプットからイノベーションはないか、その一環として「読書」とあるのは意外(当時と現代との読書の価値観は異なるのかもしれないが)だったが、読書での学びもまた小さな変化なのだろうなと考える。そして、その変化をたえず起こしていく、耕していくことが肝要なのだと思った。

総じて

様々な負けの背景から、戦前の日本に根付いた文化を掘り下げていてとても面白い本だった。日本は、軍部が「暴走」したから負けたのだとばかり考えていたが、対外との戦いで負けたのは勢い余ってという側面だけでなく、個人や組織の心理、コミュニケーションロスなど人間の失敗くさい理由が山盛りの内容だった。
またアメリカの組織文化の醸成について、戦勝国なものだから本書ではポジティブに評価されている。果たしてそれはどこまで正しいのかは気になるところだ。例えば日本側の奇襲は甘んじて受け入れているが、それはすべて策略なのか、欠けていた要素もあるのではないか、アメリカ文化は現代になってポリティカルコレクトネスあたりですべてを信じるわけにはいかないものだともいえるし、例えば原爆についての心象も異なることは有名だ。本書は敗戦した日本にフォーカスしているが、他の国から見た第二次世界大戦や日本の姿も取り入れる必要はあるかもしれない。とはいえ本書が面白いことには変わりないと思う。


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