『私の財産告白』感想

『魔法の読書法』のおすすめ書籍に載っていた一冊、『私の財産告白』を読んでいます。こうしたリレーションが良い結果に結びつくことが多く、本を読むほど次に読みたくなる本が出てくるのはよいことですね。

本書は本多静六(1866~1952)が記した蓄財についての本。オリジナルの刊行は1950年で、本書内でも記されているがまだまだ元気…と言いつつ惜しくも数年後に亡くなってしまうぐらいの段階で書かれたもの。
ノウハウはシンプルなものが多いが、それが数十年後の現代から見てもそのように感じられることからも、シンプルなものこそ強力であることを物語っているようだ。

「粕」をどのように扱うか

以前読んでいた『論語と算盤』にまさしく直結した内容だ。
『論語と算盤』では、以下のように述べられている。

現代の人の多くは、ただ成功とか失敗とか言うことのみを眼中に置いて、それよりもモット大切な天地間の道理を見ていない。彼らは実質を生命とすることができていないで、糟粕に等しい金銭財宝を主としているのである。人はただ人たるの務めを完うすることを心掛け、自己の責務を果たし行いて、もって安んずることに心掛けねばならぬ。

論語と算盤「成敗は身に残る糟粕」

人生の「成功」「失敗」によって生み出される金銭などは粕(かす)のようなもので、人間はただ務めを全うすることをこころがけるべき…という内容だった。
これは聖人のような存在だった渋沢栄一ならではの話で、本書ではそれに応じて以下のように述べている。

ともかく、金なんて問題でないという人も、あまり粕が溜まってくると、ときとしてどうしたものかといった心配も出てき、はたの連中まで気をもみ出す。

「財産蓄積に対する疑惑」

渋沢も語る仕事も含めた道楽の「粕」について、どのように扱うかを実践的な内容で考えていくものだ。例えば「子どもに託す」とかが容易に考えられるが、それは否定するべきことだと以降の文章で続いていく。
「児孫のために美田を買わず」という西郷隆盛の言葉も引用して、真の幸福は親から子に譲るものではなく、財産もまた託すべきではないものとしている。

為末大さんの「Winning Alone(ウィニング・アローン)」の話にも通じるものがあると思った。親の人生は子どもに捧げるようなものではダメ、あくまでも「自分の人生に集中すること」。それを親も子も取り組むべきなのだと改めて学んだ。

また、かといって金を無視して生活することはできないことも強調しており、その生活でどうやって投資をしたり世渡りをしたりするかが本書の大筋となっていく。

またまた渋沢栄一の存在を感じながらも、後半のありふれたように見えるノウハウにどのような心が隠れているのかを学んでいければと思う。

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