日記(失敗の本質 2章感想)

(日記)本文を引用しようとして本を開きながらキーボードをカタカタするのかなりしんどい…と常々思っていたので、↓の文鎮を予約注文してみた(2024/02/19現在はもう予約できないみたい)。小さい文庫サイズでどこまで使えるかは気になるが、到着が楽しみだ。


さて今日は「失敗の本質」の感想。2・3章と無事読了できたので、まずは2章の感想から。

何をすれば日本の勝ちだったのか?

「あいまいな戦略目的」あたりの話。そもそも第二次世界大戦(WWⅡ)は日中戦争から流れるように開戦となったことは理解できているが、終着点がどこにあるのかわからないまま、結果的に敗北したので終結した。

第一次世界大戦(WWⅠ)のほうも再確認してみると、このときは火事場泥棒のようなはたらきをしていたことがわかる。「世界大戦への参加」と書くと大義がありそうだが、明確な敵対勢力を叩きのめす構図になっていなかったのを改めて確認した。
WWⅡでは、日本は主にアメリカとの戦闘になって、アジア圏の勢力を堅持しながら、アメリカ本土に対しての侵略などは考えず「米の継戦意思を喪失せしむるに勉む」(276p)ところまでしか考えていなかったそうだ。
教科書で勉強していても、真珠湾に奇襲をかけて成功、まではわかるがそこからはぐちゃぐちゃでなんだかんだ上陸されて負け、という流れしか理解できない。その背景にはこうしたビジョンの無さ…というかアメリカ側の想定していた終着点(本土上陸)との差異がある。そしてその差異が戦力投入やモチベーションの差にもなっているというのは面白い(ガダルカナル島占領にあたっての主目的(276p))。
現代では核兵器を持っている国は持っているため、仮に世界大戦が起きたら終着点はより明確になっているのだろう。とはいえ「ロシアのウクライナ侵攻」はそこまで持ち出せないので長期戦に差し掛かっているし、ビジョン、特に防衛側がどこまで想定して動かなければならないのかというの考えを持ちつつ今後はニュースを眺められればと思う。

継続は悪力なり

って外山滋比古がどっかで言ってた
…情けない引用だったので本棚を掘り返して見つけました。

継続は力なり。息抜きのない継続はときに危険なり。間歇的継続こそ真に力なり、である。

忘却の整理学「継続の危険性」より

※間歇(かんけつ=間欠)…一定の時間をおいて起こったりやんだりすること。

これまで明確な負けがなかった日本では、成功体験を心にしまって行動していたがゆえに、戦法を継続して敗北してしまった…ということまでならなんとなく腑に落ちていたが、それがさらに文化レベルにまで引き上げられてしまったことは驚きだ。これは3章が詳しいのでそちらの感想で書ければと思う。

ザコ敵だったのだ

ガダルカナル島での正面からの一斉突撃という日露戦争以来の戦法は、功を奏さなかったにもかかわらず、何度も繰り返し行われた。

「学習を軽視した組織」より

硬直性があり、省みようとしない。成功体験もWWⅠの日露戦争まで遡ってしまっているため、アップデートされた相手に勝てない。
これで容易にイメージできるのは、RPGやアクションゲームで出てくるザコ敵だ。行動パターンが一定で、特定の箇所を突けば勝てるよと情報を仕入れて攻撃し、プレイヤー側は利益を獲得する。それが日本では行われていたことになる。

とはいえこれはいまでも耳が痛い話だ。私はスマブラ(大乱闘スマッシュブラザーズ)をよく遊んでいるが、サボりがちなので相手の強い行動に対して攻略ができず、かつこちらの弱い動きは訂正できないまま相手に差し込まれ続けて負けることが多い。格上の相手に明らかに勝ててない要因であり、その訂正作業に心血を注いでいるかがスマブラへの熱量の差になるのだろう。
学生時代の模試で、終わった後に解答とか見ずに流していたのも、今思えばありえないムーブだ。ただ単に時間的に拘束されて脳トレしていただけになっていたと考えるとけっこう恥ずかしい話である。
そういう情けない話が国家レベルでも起こっていた…というのはなんだか親近感が持てる…いやちゃんとしてよ!という話でもある…。もちろん日常生活は戦争ではないが、訂正するはたらきかけがなければ成長できないことは肝に銘じておこう。

どんな計画にも理論がなければならない。理論と思想にもとづかないプランや作戦は、女性のヒステリー声と同じく、多少の空気の震動以外には、具体的な効果を与えることはできない。

「学習を軽視した組織」より

言い過ぎでワロタ

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