私は小学生の頃からこの世でのしあがりたいと思っていた。 それは、私が女子のドロドロでうまく立ち回れなかったから。端的に言うと人間関係で容量よくやれなかったからだ。 私は小学校5、6年の頃、スクールカーストが上の女子からいいようにされていた。私が不在なのに私の家を遊びに使わせろとか言われた。悪口もたくさん言われた。王様ゲームで便器をなめろとか言われたりもした。とにかく良い思い出がない。 そういうことをしてくるのは、ほとんど可愛い子達だった。そして私が当時いたクラス
私は独身である。そのことについて不満はある。独身の友達とよく愚痴る。人の目が気になるだ、人として欠けているんじゃないか、とか。友達は独身の人だから押し付けられる仕事があるという。 しかし、ある時思った。 たぶん私達、既婚になっても文句言うな。子供の世話が大変だ、旦那が不満だ。自分の時間がないだ。 人生って完璧な幸せはないのか…と思った。 しかし… しかし思った。どちらも欠点があるということは、どちらかの欠点はもう片方にはないということだ。例えば既婚は子供の
何をやっても痩せないという方いるのではないだろうか。 私が痩せたこの方法は誰でも思いつきそうなのに、ありそうでない方法である。 私は2年間いろいろダイエットを試した。例えば、肩甲骨の筋肉を刺激するためにチューブを背中で引っ張るダイエット。ただ単に食べないようにがんばってみるダイエット。筋トレをするダイエット。 どれも成功しなかった。チューブに関しては全然結果がでなかったし、食べないのも我慢できない。筋トレは仕事で忙しいし疲れてるからそのうちやらなくなる。 そん
それは題名と画像である。 誰でも分かると思う。 恐らくだが、有名作家が書いた、傑作でも、ペンネームが誰も知らない名前、そして題名が普通で、画像も普通だったら、誰も読まないよではないだろうか。 したがってキャッチーな題名(チャットGPTに考えてもらってもいいかもしれない)をつけて、有料な画像でもいい画像を使って記事を書くとよいだろう。 それに加えてもう一つ大事なことがある。自分の小説の系統が好きそうな人の目に留まるようにしなければならない。
ちよだ文学賞の結果が発表された。 結果は…落選。 だが、あまり落ち込んでいない。 最終選考には残らなかったけれど、今までの小説の中で一番よかったから。 まだ全然プロの小説と比べれば良くない小説だ。けれど、以前よりはよくなった。 私の予感は当たったことがないのが、私はなんとなく小説家になる気がする。 それが、3年後なのか、10年後なのか20年後、いや40年後なのかは分からないが、きっと私は小説家になる。 友達に小説家になると打ち明けて、一人の友達は「
木下花恋は好意をもつ前兆として生唾を飲み込む。 都会的なビルも雄大な自然もないどこにでもある田舎の高校に入って花恋が一番最初に恋した男は桐田修一だった。彼は花恋と同じクラスの級長で社交的で綺麗な顔をしており、軽音部でバンドをやっていた。絵に描いたようにモテる男子だった。 恋に落ちたのは花恋が高一の時に彼が文化祭の曲決めの発表で一年生のバンドとしてステージに立った時だった。花恋は桐田のことを顔がいいクラスメイトとしてしか認識していなかった。だが、あの初夏の日、ステージに立
未来はどうなってるのか怖い。けれど知りたい。私は自分に予知能力があると言い聞かせて、未来が夢に出てくるのを祈って眠る。私の夢は叶っているのか。相変わらず人生を嘆いているのか、知りたい。見せてくださいと祈って眠る。 夢にいつからなるのか分からないけど、まぶたを閉じて浮かんでくるもの全てに意味を見つけようとする。でも、それは形にすらなっていない。死んだ時もこんな感じなのか。 今のところ、未来の夢は見たことがない。覚えていないのかもしれないが。 最近見た夢で覚えている
ある美容液がとても肌にいいという人がいても、違う人が使うとニキビだらけになる、とかいうことがある。 これって全てのことに言えるのではないだろうか。 勉強法も万人にベストな方法はないし、そもそも勉強することがその人に必要かも分からない。 ある人にとってとても居心地のいい人も別の人にとっては、すごく居心地の悪い存在かもしれない。 結局、人による。この文章の要点はここである。 人生も人による。どんな人とどこで、何をして生きるかが合うかは人による。 そう、人
私は恋愛経験がない。それがダサいかダサくないかは置いておいて、そんな私の結婚とはかくあるものだという意見を述べよう。 私は耳年増なつもりでいるが、もしかしたらそれよりは良く、それよりは悪いかもしれない。それでは述べていこう。 結婚とは日常である。とにかく安心感はあるが、特別感はないであろう。そして必ず落胆する。もっとかわいらしい人だと思っていた。もっとかっこいい人だと思っていた。そんなことばかりである。 そして相手の長所には慣れ、相手の短所ばかり目につく。そして
もうすぐちよだ文学賞発表 かすってるといいんだけど
高三の文化祭の日を忘れない。軽音のライブの中、ノリに乗れず、この高校生達の仲間ではない。孤独だ、と思って途中で帰った。 私は高校に友達が1人しかいなかった。1人いるだけマシではあるが。文化祭が楽しめるということは社交性がちゃんとあるということだ。私は非人間だと思った。 家に帰ったら母がいた。怒られた。なんで普通にできないんだ、と。家から逃げた。そして山に向かって1人で歩いた。途中から声をあげて泣いていた気がした。 消えてしまえ、自分なんか消えてしまえ。 唯一
昔、男友達に言われた言葉である。今思うと大層ムカつく。しかし自分なんてだめだと当時は思った。でも、今はなんて謙虚でいいやつじゃないか自分と思う。 大体、私はお前のタイプなんか聞いてやしなかったんだ。なんで、そんなに上から目線なんだ。選ぶ立場にあるってか。 「かおるちゃんは自分のこと好き?」 「そんなに好きなわけでも嫌いなないわけでもないかな。」 「じゃあ、僕のタイプじゃないね。僕、自分が好きな子がタイプなんだ。」 「君は自分好きなの?」 「大好きだよ。」 大きな身振り
私は20歳になった時、10代が羨ましかった。そんなことを思い出したのは去年20歳になった年下の同期の女の子がいたから。その子はすごくショックだったようで、20代後半の私はなんでショックなんだと思ったが、そういえば自分もそうだったなと思った。 それは恐らくもう10代くらい若くいることを諦めているからだろう。 恋愛をしていないことに悩んでいる人がいるとしよう。 彼もしくは彼女は70歳になったら、恋愛ができないことなんてもう悩んでいないかもしれない。とりあえず年金
私は美術予備校に通っている。社会人コースで、好きな時に来ていい。 美術予備校にいるのは高校生が大半。中学生もいる。なんせ社会人は私を含め、3人しかいない。他の2人がどんな人なのか私は知らない。社会人は完全に脇役である。 たまに脇役すぎてやめようかな、とか思う時もある。ほっとかれすぎて。しかし、マイペースにできるからま、いっかとも思う。 中高生は本当に絵がうまい。飾ってある予備校生の絵は私よりもはるかにうまい。美術館の絵よりはうまくないが。 私の通っている美術
先日鷲田清一の本で、電車での化粧についての考察を読んだ。そこには他者への意識がなく、恥ずかしい行為であると書かれていた。 私はメイク動画を見るのが好きだ。メイクにも興味があるが、女性もしくは男性が丁寧に顔を作っていく作業は職人技を感じ、感心する。そしてその作業は美しい。本人の顔が美人だろうが不美人だろうが、美しい。 鷲田清一が本の中で言っていた他者への意識のない電車内での化粧とはこちらの化粧は違う気がする。メイク動画の化粧は、あきらかに他者の視線を意識している。そも
よく巷では秘密がある、謎めいてる女性がモテるとかいう。確かに分かりやすい人は知りたいとあまり思わないかもしれない。 けれど、秘密なんてみんなあるのではないだろうか。明るいあの子も本当は辛い何かを抱えているかもしれない。誰もが謎をもっている。問題はその秘密をひらひらとちらつかせているかしてないかの違いだ。 すなわち、モテる謎めいた人とは、謎を隠しきれていない人、結局、隠し通せない隙がある人かもしれない。または、あえて秘密をちらつかせている人かもしれない。 けれど、