厭世を共に生きる ~ユトレヒト活動1周年に添えて~

こんにちは、とらっきーと申します。今日は、突如として現れた音楽ユニット「ユトレヒト」がデビュー曲を公開してから1年です。ユトレヒト?なにそれ?という人、または既にユトレヒトを知っている人に向けても、この1年間の歩みを眺めながら私なりのこのコンテンツの解釈をお届けできればと思い、不慣れな筆を執りました。毒にも薬にもならない(もしかしたら毒にはなるかも)文章だと思いますが、しばしお付き合いいただければ。

<注意事項>
この文章には私個人の解釈が多分に含まれていますし、それを押し付けるようなことはしたくありません。あくまでいちファンの戯言だと思ってください。
あと、国語が昔から苦手なので読解力皆無です。曲の解釈とかめちゃくちゃです多分、自分の中でユトレヒトの世界を勝手に再構築していたりが結構あるかな……。

私の自己紹介?いいでしょそんなのは……気になる方はXとか見てもらえれば。最近あまりPostできてないけれども、そもそも雑食だし……。

https://twitter.com/10lucky_rinlen


そもそもユトレヒトって?

ユトレヒトは、「俯瞰音子、サウンドディレクター・Anonymity.からなる匿名音楽ユニット」と自己紹介しています。「厭世(えんせ:世の中をいやなもの、人生を価値のないものと思うこと)をわくわくしようよ」をキャッチフレーズに、2023年1月29日に「ぼくたちのおはなし」を発表、その後1~2か月に1曲のペースで楽曲を発表し、2024年1月24日には1stアルバム「Pessimist」を発売しました。
2024年7月27日には1stショーケースライブの開催も決定しています。
イメージキャラクターのイラストレーターは米山舞さん、繊細で美麗なイラストが目を引きます。個人的にはゼノブレイド3というゲームでのDLC追加キャラクター、マティアさんのイメージが強かったりします。ゼノブレイド3も全体の話は非常に重たくて、でもそれでいて生きることや希望といったテーマは何となくユトレヒトとも通ずる部分があるなぁと思ったりしますが、横道に逸れすぎるのでこの辺で。

携わっている方々が豪華な印象があり、それは楽曲とともに公開されるミュージックビデオのクオリティからも明らかです。音楽以外の要素(ロゴなど)にも拘りが見られ、この辺りは「ラボスタッフ」と呼ばれるスタッフの方々の働きも、ユトレヒトの世界観醸成に大いに影響しているのではないかなと思っています。

アルバムとライブを発表する前、Xスペース配信を実施されました。その際は俯瞰音子(ふかんねこ)さんが作詞家名義・ボーカル兼任(ボーカルとしての名前は内緒)ということでスピーカーをされていました。私はとらっきーなので、よく「とらさん」と呼ばれています。ので、俯瞰音子さんのことは愛着をもって「ねこさん」と以下呼ぶことにします。おんなじネコ科ということで親近感がわきますね。……はい、馴れ馴れしくてすみません。
Anonymity.さんについては全くの謎です。ねこさん曰く恥ずかしがりやさんだということですが、男性かも女性かも分かりません(ねこさんはAnonymity.「ちゃん」と呼んでます)。作られる曲調などから誰誰さんでは、みたいな話はあったりしますがあくまで憶測の域を過ぎません。謎です。
世の中謎のままにしておいた方が面白いこともあるから、それでいいと思っています。

このプロジェクトを始めた想いはXスペース配信で語られています。脚色するのもおかしいので聞き取った内容そのまま書いてしまいますね。

私は音楽も絵も映像も、エンタメにまつわる何もかもが大好きで、私はずっとエンターテインメントの奴隷として生きているなという感覚があるので、その恩返しと、もっともっとエンタメが広がっていってほしい気持ちと、
それから、私はあんまりこの世界のことが好きじゃないから、そういう人たちと一緒に、それでも、何となくこの世界を生き抜いていこうって、ある意味諦めながら、諦めたなりに楽しいこと、美しいこと、面白いことを探しながら一緒に生きていきたいと思って、ユトレヒトというプロジェクトを立ち上げました。

Xスペース配信での発言

特に後半部分、これって誰しもが持つ感性だと思います。この世は本当に生きづらい。誰かに嫉妬したり、大切なものを奪われたり、困難に挫けたり。生という存在は尊いとは言うけれども、なかなか生きるのは大変、でも誰彼構わず日々は過ぎていってしまうんですよね。諸行無常。だからこそ退屈だ、つまんない、って思いながらも、その日常に光を見出したいという気持ちは自然と生まれることだと思うし、ユトレヒトはそんな感情に寄り添うために存在しているのかなと。ねこさんは緊張でちゃんと言い切れてないって言っていたけど、言葉の節々から真摯な姿勢が感じ取れました。

なお、ユトレヒトという名前は、オランダにある都市「ユトレヒト」からの拝借であることが明言されています。ミッフィーにゆかりのあるところだそうですが、この都市名から拝借しようと思ったきっかけは、かつて見た番組「駅ピアノ」だそう。ユトレヒトの駅に置かれたピアノを演奏する人、そこに集う(囲む)人々の光景が印象深く残っていて、自分が音楽に携わる際は、ユトレヒトという言葉を用いようと思ったとのこと。
調べてみると2019年11月9日にNHK BS1で放送された番組だそうです。オンデマンドで見られるので、興味のある方はぜひ。私も拝見しましたが、もともと音楽が盛んな街なのかなと思い、雰囲気も良くて行ってみたくなりました。海外行ったことないけど。

ユトレヒトのファンの呼称は主に
・ユトレんちゅ
・ユトレビト

の2通りあって明確に決まっているわけではないです。ユトレビトは僭越ながら私が提唱したものです。ユトレヒトに集う人々という着想からユトレヒト+ヒトビト→ユトレビト、みたいな感じです。ユトレヒトのヒに濁点が付く感じで、私はユトレヒトに寄り添っている存在=濁点という解釈はお洒落だよねと自己満足をしています。ねこさんはちょっとイケてると評してくれていますが、カッコつけていると思われて少し敬遠され気味です。どっちでもいいよと言ってくれていますので、私は今後もひっそりとユトレビト推しでいきます。自分で書いたんだから責任持たないとね。
余談ですがこれを書きながら、ユトレヒトってラボ(研究所)だそうなので、「研究員」ってのもありだなぁなんて思いつきました。選択肢を増やすな。

ユトレヒトの楽曲

この世界の音楽は私にとってすごく難解です。いや、本当に。
基本的に私は曲調で曲の好き嫌い(合う合わない)を判断してしまうきらいがあるので、不慣れながら今回「Pessimist」が発売されて歌詞カードを眺めながら、改めて各曲に思いを馳せてみたんです。そんなわけでぜひYouTubeのリンク貼っているので見て・聞いてみてください。
そのあとに書いてある雑文はあくまで感想です。ポエムです。今時点の感情を記録のために残しているだけなので、マジで当てにしないでください。曲の解釈なんて人それぞれでいいってねこさんも言ってました。
なお、YouTubeで公開されている動画には登場人物としてユトレヒトちゃん(ユトちゃんと呼びましょうか)が出てきます。明らかに違う世界線に存在するユトちゃん……結構表情も違うので比べてみるのも面白いですよ。

1.ぼくたちのおはなし

2023年1月29日公開
作詞:俯瞰音子 作曲:モユクミドリ 編曲:Anonymity.

正直な感想として、私は今日までに発表されている中でこの曲が一番好きです。それは別に原点こそ頂点というわけではなく、単純に曲としての構成が好き、曲調が好き、ということに尽きます。囁くように歌い始め、何かに語り掛けるようにメロディーを響かせ、気持ちを吐露するようにサビを歌い上げる。1曲の中における感情の起伏がとても激しく、それが歌声になって届き、とっても耳に心地よい音楽体験をした初聴の感覚を今でも覚えています。
一方で歌詞はユトレヒトという活動の幹のような位置づけに見えます。ねこさんにとって初めての作詞だったというこの曲は、その名の通り俯瞰した視点が散りばめられています。人が争いあうこの世の中に絶望したような、諦めたかのような感情が見え隠れし、それでもなお未来にかすかな希望を抱き、「わたしたちのこの悲しみが この世界の最後になれ」と願う。(そこまで一人称が「ぼく」だったものが「わたし」になっているところが、このお話の重要なポイントだそうです。)「この地獄は ぼくらの願い」、どんな世界であってもなくなってしまってはそこから生まれるものはなく、地獄だったとしてもそこに「存在する」ことで見出せるものがあることを歌詞で示している通り、ユトレヒトという活動を行おうとしたきっかけを歌ったプロローグ的なものだと私は解釈しました。
米山舞さんのイラスト、ユトちゃんの後ろには多種多様な背景が描かれていますが、すべてにおいてアシンメトリー(左右非対称)です。翼にしても、少し刺々しいツルにしても、着ている服や靴にしても、目の色にしても、髪の毛の長さにしても。ユトちゃんはそもそも人なのか、もしくは多元的な存在で、これから描かれる物語(楽曲)を俯瞰的に眺める傍観者なのか……。このことについては、現時点でも明確に分かっていませんが、それでも私はこれから始まるユトレヒトの世界の広がりにわくわくせざるを得ませんでした。

2.Hex

2023年3月8日公開
作詞・作曲・編曲:Anonymity. Rap詞:nqrse

2曲目にこれを持ってくるユトレヒト、強くないですか??
ユトレヒトといえばこの曲を思い浮かべる方が多いかもしれません。
1枚絵をしっかりと見せるリリックビデオだった1曲目(ぼくおは)とは対照的に、こちらはミュージックビデオのクオリティが非常に高いです。一粒で何度もおいしい。周りから煙たがれ、存在を否定され、それを見なかったことにする描写や、「幸せの続きなら 夢の中しか知らない」という歌詞に描かれているように、現実から目を背けたい気持ちと、それでもなお「私、ひとりじゃいられない」「私を見ていてほしい」「愛してくれますか?」と他者に存在意義を見出したい気持ちが混在する、人の持つ非常にナイーブな感情を明け透けに表現した作品だなと思いました。曲冒頭で「呪い」は「まじない」と歌いますが、サビでは「まじない」と「のろい」と2種類で表現しています。この2つの言葉を両方「呪い」という文字に当てようとした人はどんな気持ちだったんだろう。ちなみに「呪い」は3曲目にも出てきます。
ミュージックビデオの中ではユトちゃんと思われる二つの存在(白と黒とします)が混在します。あくまでこれは私個人の解釈として、この世界の本来の住人は黒であり、白はイレギュラーな存在なのかな、と思ったりします。黒は周りから蔑まされ、この世界を壊してしまいたいと思った。一方で白は黒の本心に接近し、破壊を踏みとどまらせようとした。黒は本当の気持ちに反発してしまい、その心は世界の崩壊を招いてしまう。それでもなお寄り添おうとした白の愛情に触れて黒は涙し、白を受け入れる。……こんなところかと思ったけれど、じゃあ白は何のために黒に寄り添うかの解が見えないし、もしかしたら白と黒は元は同一の存在だったのかもしれない、などと別の解釈を考えたりして、これについては本当に雰囲気でこの曲を眺めてしまっているなぁと反省しています。

3.ココロガワリ

2023年4月26日公開
作詞・作曲・編曲:Anonymity.

ここまでの2曲とは違いミドルテンポな楽曲、スルメ曲です。
この曲って分かりやすく別れの歌なんですよね。相手の心変わりによって、相手から自分が見えなくなってしまって。心奪われた「君」への思いを消そうと頑張っているけれども、結局最後「またいつか」で締めている。いや全然諦めきれてないやん!ってなるわけです。それを「呪(のろ)い」って表現しているんですけれどもね。「Hex」で愛されることの難しさを歌って、「ココロガワリ」で愛することの難しさを歌っているんです。この並びはやってますわ
あとは何と言っても、最後のユトちゃんの表情ですよ。なんかスッキリした、とも言えない儚い顔をしているんですよね。そんな表情すな!好きになるやろ!(聞いてない)
このユトちゃんは、ココロガワリした後の「君」たちの行く末を知っているのだろうか、とまで思ってしまいました。……もしかして「またいつか」は、その世界の後日ではなく、別の次元で出会うことを想定している?とも思ったのですが、流石に1曲の中で複数次元は取り扱わなさそう、とも思ったので、この考えはなしかな。

4.泣き虫シュレディンガー

2023年6月28日公開
作詞:俯瞰音子、Anonymity. 作曲・編曲:Anonymity.

TBS系列で放送されたドラマ特区「犬と屑」オープニング主題歌にも採用された楽曲です。モチーフとなったと思われる「シュレディンガーの猫」については考察しだすとキリがないと思うので、あくまで「物事は確認しないと正解は分からない、逆に確認しなければどちらともとれる」という、いかにも人間らしい思考を皮肉った曲のように私は聞き取りました。
プラス思考、マイナス思考という言葉がありますが、分かりもしないのに人は事の顛末を想像し、期待したり不安がったり、それでいて実際とのギャップに対して理不尽な感情を吐露したりするものです。特に恋愛については、あまりマイナス思考で物事を考える人って少ないと思っていて、どちらかといえばプラス思考で物事を考え、勝手に期待したうえで、現実を知って勝手に失望しているような気がします。え、私だけ?
あと、猫は気まぐれの象徴として描かれることも多いですよね。気ままで、つかみどころがなくて。恋愛の難しさを暗喩しているような気がします。「もっと目に見える根拠で もっと僕を否定して」という最後の歌詞も、理論で説明できない恋愛への理不尽な怒りを表しているような感じがしますね。
……そう、2曲目の「Hex」から4曲目の「泣き虫シュレディンガー」まで、愛がテーマになっているように見えて、これを聞いている時に私は、ユトレヒトないしその近しい人が何らかのつらい経験(失恋など)をしたことが根底にあるのかな……なんて物思いに耽ったりしたのです。こういう下衆な勘繰りこそ、この世から消さないといけない存在なのかもしれませんね。

5.KiMERaRTiST

2023年7月19日公開
作詞:俯瞰音子 作曲・編曲:Anonymity.

歌の中では「キメラアーティスト」と歌っています。キメラは同一個体のなかに遺伝子型の異なる組織が互いに接触して存在する現象を指します。アーティストは芸術家ですが、最初そんな人造人間みたいな…とか思って歌詞を見ると、なるほどこれは人の意思によって作り上げられた偶像の話だなと。
「どっかの誰かの人生を 喰らい喰らい明かして 叩いて売って生きる 人食人種」なんて歌詞は、マスコミを想起しつつも関わりもしない他人への興味を持つ人類全体を指しているものだと思います。(ミュージックビデオで出てくるザクロは人肉の暗喩で使われることが多いですが、あくまでイメージとしてだけだと思います。本当に人肉喰ってたらホラーになっちゃう。)ただここで面白いのは、そういう生き方を批判するのではなく、「覚えとけよ」と歯向かいながらも「認めて 欲して 求めて頂戴!!!!!」と、人生を喰らってほしいと渇望しているところです。根底には、私自身が変わることはできない、私はこの生き方しかできないという諦めに近い感情が見え隠れします。でもやっぱり他人の生き方は気になる、見てしまう、うらやましく感じてしまう。「誰にもなりたくない 誰かになりたい」という二律背反な歌詞からも、理想と現実に挟まれながらも自分の役割を全うして生きていく姿勢が見て取れます。
ここまでは歌詞の話でしたが、特徴的な歌い方もこの曲の魅力です。けだるそうに、それでいて力強い歌っています。個人的に2番の「覚えとけよ」という部分がカッコ良すぎて大好きです。と思ったら間奏部分では不敵に笑っていたり。ユトレヒトの楽曲を通して様々な表情を見せてくれるので通しで聞いても全然飽きないんですよね。

6.スパイラル

2023年9月29日公開
作詞・作曲:DECO*27 編曲:Naoki Itai(MUSIC FOR MUSIC)/Anonymity.

まさかのDECO*27さん書き下ろし楽曲、こういう形での活動もあるのかと驚きました。
超余談ですが私はVOCALOIDのオタクでもあるので当然DECO*27さんは知っていますし、「プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク」などでも頻繁に触れている状況ですので、ここが繋がるのか……!と。
しかしこの歌詞、これでもかと自己嫌悪にまみれています。圧巻なのが1番と2番の間に存在する「語り」……いや、語りって言っていいのかな。歌詞カードでは16行に跨っている文章をわずか18秒で語っていますが、もはや早口言葉というか詠唱の領域です。当初はもう少し詠唱が少なかったそうですが、増やしたことで切迫感がより増しているように思います。単純に凄いのですが、その中にある「僕は変われない 変われない」という歌詞が印象的で。
正直この楽曲内で「変わりたい」と思っている描写って、「僕はいつか僕を出たい」だけなんです。いつか、なんですよね。しかも「僕を出たい=変わりたい」かというとまたちょっと違う気もしますし。変わろうとしているわけでもなく、それでいて変われないと歌うのは、「どうせやっても」という諦めが根底にあるのだろうなと思います。ユトレヒトを始めたいきさつについて、「諦めながら、諦めたなりに楽しいこと、美しいこと、面白いことを探しながら一緒に生きていきたい」と言っていましたが、そのコンセプトが忠実に浮き出てきていて、個人的には今後の書き下ろしやコラボが楽しみになりました。ミュージックビデオも芸術作品として確立されていて、心の中の負の感情がありありと表現されています。
スパイラルって、基本的には悪循環という意味合いで使われることが多いですが、想像し、そうならないと諦め、その繰り返しといった感じでしょうか。でもこの歌詞で描かれている世界は、何となくですが「自分で自分に勝手に蓋をしている」ようにも見えるんですよね。少なくとも日常生活において他人と触れ合っている描写が見えるので、なんというかボタンの掛け違いなのか、居心地が悪くなってしまっているように見えます。環境を変えれば人も変わったりしますので、そういうことができる状況ではないんだろうなと勝手に推察します。

7.空白描写

2023年10月25日公開
作詞・作曲:HoneyWorks 編曲:HoneyWorks / MARUMOCHI

いや泣くが!!!
動画も含めて物語として完成されている。もう劇場版が見たい、見えた。(領域展開)
HoneyWorksさんも、私個人的に大変お世話になっていますが、だからこそユトレヒトとの親和性は正直疑問でした。だってハニワさんは「青春」なんですもの。「諦観」の境地に立つユトレヒトと対極にいるのでは……と思ったりしていました。実際この楽曲はハニワさん色が凄く強いので、今回のアルバムの中では非常に異色です。
作中で、中学二年生のひろ(佐藤大翔)くんはいじめによって引きこもり状態でしたが、誰かから届けられた漫画「空白描写」(作:○○○○(伏せます))を読んで、傷付けられたきっかけになった絵と向き合ってみようとします。その後のことまで書いてしまうと完全なネタバレになってしまうので、ぜひこの続きは動画で見ていただきたいです。初見ではこのマジックに気づかなかったですが、改めて見たときに「そういうことか!」となり、再度感動する。この動画を見ると涙腺がガバになるので無限に涙が出てきます
この楽曲をユトレヒトとして歌うことの意義ってとっても大事で。「空白は埋めなくたっていいよ」と言っているように、この空白は人生における停滞を意味していると思います。この作中では引きこもり、確かに何かのきっかけによって作中の彼は前を向くことができたけれども、そう簡単にいかない人生のほうが圧倒的に多い。切欠なんてのは、どこに転がっているのか分からないから、もしかしたらそのまま引きこもっているままの世界線もあったかもしれません。ただ、「埋めなくていい」というのは無理に無かったことにしなくていい、という意味だと思います。ミュージックビデオ最後でも、引きこもりだったことを回想しています。それも含めて人生です。もちろん、なかったことにする、という選択肢もありだと思いますし、その考えも否定はしません。
ちなみにこのストーリー、当初はバッドエンドだったらしいです。これ聞いたときはマジで!?って思いましたが(Xスペース配信にて発言)。
歌詞の全体を俯瞰すると切ないんですよね。「生きて 生きて 生きてもいいってさ」といった表現は、根底にしんどい・辛い思いがあるんだろうなとくみ取れますし。あと、この歌の最後「またね」で締めるんです。いやー、この曲一筋縄じゃないなぁ。笑
作中のユトちゃんの立ち位置もとっても気になりますが、これこそネタバレの域になるので多くは語れません……。でも、6曲目「スパイラル」のコンセプトとも緩く繋がってるようにも見え、この2作品が並んでいるのも素敵だなぁと思うのでした。
物語の話だけで長々と書いてしまっていますが、曲のほうの好きポイントは1番Bメロ「物語に描けば」の「描けば」のメロディーラインです(ピンポイント過ぎる)。

8.生き止まり

2024年1月24日公開
作詞:俯瞰音子/ Anonymity. 作曲:site 編曲:site / Anonymity.

空白描写からの緩急えぐいて!!
温度差で風邪ひく!いや、空白描写がどちらからと言えば異端だからこれが通常か。
そもそもタイトルから心えぐってくる。行き止まりではなく「生き」止まり、言葉遊びが過ぎます、いや重い重い。
そして歌詞も、死んだ「あなた」に想いを馳せていますが(Xスペース配信で、この「あなた」はねこさんの友人だと明かされています)、この「死」というのが物理的な死であるのか、精神的(離別による認識的)な死であるかによって、解釈も変わってくるような気がします。歌声からも切ない感情が伝わってきて、胸がきゅっと締め付けられます。
個人的に「生きているには 死にたいなぁって 思いすぎちゃった。」という歌詞をどのように嚙み砕けばよいか分かりかねています。生きているからこそ、死にたいなぁという感情が生まれるわけであって、これは生きていることの特権だと思うんですよね。なので、死にたいとふと思うことを否定しづらい、でもやっぱり死ぬことより生きることに思いを持たないといけないのでは、という自己嫌悪も表しているのかなぁというという風にいったんは解釈しています。
この楽曲は1stアルバム「Pessimist」の書き下ろし。Pessimistは「悲観主義者、厭世主義者」という意味です。ユトレヒトのコンセプトまんまなのですが、ある意味こういう感情を持つこと自体、生きているからこそできることなのだと思うと、ヒトってつくづく面倒くさく、そして愛おしい存在だなと思ってしまいます

これ書くべきか悩んだけど……(閲覧注意)

はい、見出しでお察しください。
ここから先では「俯瞰音子さん」(表記戻しました)のパーソナルについて書きます。ぶっちゃけ触れたくない人もいると思うので、嫌な予感がするという方は回れ右してください。
改めてになりますが、私個人の解釈が多分に含まれるので、書いた内容に責任は持てません。ご理解のうえ、この先はご覧ください。








いいですか?(別にそんなヤバいことを書いているわけではないと思うけど。)








アニメとかをよく見られる方だと、ユトレヒトの曲を聞いたとき、あ、あの人の声だって思われた方いると思います。たぶん正解です。明言されてはないけど。ただ、サジェストでは出てくるのを見かけます。
というか、Xスペース配信とかで喋っているのを聞くとほぼまんまです。隠す気ないなってくらい。これで思い浮かべている人と違ってたらもう凄いよ。それはそれで推す
(明言されていないし、違ってたら違ってたで失礼なのでお名前は挙げません。皆さんもコメント等で指摘は控えていただけると幸いです。)

そんな前提があったとして、仮に同一人物だった場合に、次のような疑問をふと思われた方もいるのでは。

「なんで本人名義でやらんの?」

どう考えてもその方が売れるし注目される。ファンとしては大手を振って応援できる。
でもそれを敢えてしなかった、というところに個人的にはすごく共感していて、って話をこの後長々と書きます。完全なるお気持ち表明文です。人生初。
(いやここまでの文章もだいぶ気持ち悪かったけど……。)

Xスペース配信の何回目だったかな、ねこさんが「私だって私じゃない私になりたい」的なことをおっしゃっていたのが凄く印象に残っています。それって私たちも一緒で、私はここで「とらっきー」と名乗っているけれども、当然別の本名を持っていて会社ではその名前で働いています。で、趣味とかそういうときはとらっきーと名乗って活動しています。分けている理由は本名バレ防止というところがあるけれども、その本質はやっぱり普段とは違う自分で活動したいってところだと思います。

ねこさんにしてもそれは同じかなって。私が想像している別名義をAさんとしますが、Aさんは基本的に作品やコンセプトに寄り添ってお仕事をされてきた印象を持っています。その世界に入り込んで、キャラクターを論理的に理解し演じる、声に感情を乗せる。もちろんイベントとかでは素が出ている部分も多くあったかなと思いますが、作品に向かう姿勢が本当に真摯で、それが私がAさんを推している一番の理由です。
でも、ユトレヒトの活動って基本的に「自分の描きたい・伝えたい世界や思いを周りの人と作り上げていくこと」がコンセプトです。同じ声を使うとしても、アプローチの仕方が根本的に違っているように思います。ひとつの作品を円にした場合、Aさんは「円弧」、ねこさんは「円心(円の中心)」になります。もちろんその両方の役割を同じ名義でやる選択肢もあっただろうし、実際にされている方もたくさんいらっしゃいます。おそらくですが、両者をAさんとしてやる、という考え方は当人にはそもそもなくて、自分のやりたいことを自分の思うとおりにやるにあたっては、自分の理想といえるキャラクターというか、アイデンティティを立てる必要性があった、その依り代(ユトレヒト)を通して、自由に表現したいのだろうなというのが私の解釈だし、その解釈は表現方法として共感できる、というのが私個人の考えです。なぜキャラクターを立てる必要があったかについては、Aさん自身の職業に対する考え方に起因しているとみています。

ただ、声が特徴的であることで、分けているつもりが分かれていないように受け手側が捉えられてしまう、という特殊な状況ではあります。また、現在ねこさんの周りにいろんな方がいらっしゃるのは「Aさんとして活動してきた成果が(恐らく)あってのこと」であるということも、Aさんとねこさんを分けて考えることの難しさなのかなとも思うので、複雑な思いを持たれる方の気持ちも理解できます。
一方で、「私はこの人の声や歌が好きなのであって、この人がどういう価値観を持っているかは興味ないねんけど」って方もいらっしゃると思います。それも一つの感想です。

あくまで私個人としては、上記のような複雑な感情を度外視して考えたいです。本人が同一視していないんだから。そのうえで、別名義で活動すること、そこから生み出されたものを見たときに、私は「Aさんからは見えなかった気持ち」をユトレヒトやねこさんから受け取ることができていると感じており、その思いをしっかりと応援の声に変えていきたいなと思っています。くだらないと思うことはこの世の中にとっても沢山あります。それに対して諦めの気持ちも正直持っています。でも自分の身の回りでは直近でも妊娠しましたって報告してくれる後輩がいたり、日々の愚痴を肴に酒を飲み交わしてくれる同期がいたり、悪いことばかりじゃない。そういう「ちょっとした幸せ」の積み重ねを大事に思いたいと感じさせてくれるユトレヒトの存在は、私の中では1年前よりも大きくなったように思います。息の長い活動になるか刹那的なものになるかは正直分からないし、それが分かってしまうといよいよ「厭世をわくわく」することもできなくなってしまうと思うので、このわくわく感を大事に、今後の活動も見守っていければと思っています。

多分ですが、私は例えばAさん経由でユトレヒトを知ったとしても、Aさんを知らず何かの拍子にユトレヒトを知ったとしても、同じように嵌っていたんじゃないかなと思います。だって思いの本質が同じなんだもん。何を大事にしたいか、何に向けて発信したいか、その気持ちにウソはないか。私はどちらかというとモノの道理に対して似通った価値観を持つ人に惹かれる傾向がありますが、こうやってユトレヒトを知り、惹かれたうえにこんな長文を書いているということは、そういうことです。皆まで言わせんな恥ずかしい。

余談ですが、「俯瞰音子」という名前に関しても、物事を俯瞰する・客観的に捉えることを大切にしているアイデンティティと、動物好き・猫好きであるということ以外にも、「音子」という文字への遊び心が含まれているという話をされていました。「音」は「ね」とも読めるし「おと」とも読める。「音子」は女の子につくことの多い「子」が含まれているけれども、読み方を変えれば「おとこ=男」とも読めてしまう、そういうジェンダーレス的な意味合いも(そんなに深い意味はないけれども)含まれているとおっしゃっていました。自分の表現したいものへの拘りが垣間見えて、これも好きなエピソードです。


おわりに

オランダのユトレヒトは交通の要衝であり、四方八方に道路・線路が延びていっています。それと同じように音楽ユニットであるユトレヒトも、多方面への広がりを見せてくれるのか注目しています。まだ1年、ねこさんは2年目以降のほうが活動の幅が広がりそうな旨の発言もされています。ユトレビトのひとりとして、今後の展開を寄り添って見守っていきたいなと思っています。もしよかったら、みんなも寄り添って応援しませんか?ここまでこんな文章にお付き合いくださった方なら適性があるような気がしますが、無理はしないでくださいね。YouTubeで動画は見られますし、サブスクでも音楽は聞けますので、まずはご自身の合う形で触れていただけたら幸いです。
あと、ユトレんちゅ/ユトレビトのほかの皆さんから見えるユトレヒトがどう映っているかも見てみたいなって思います。ただね、「#ユトレヒト」ってXではパブリックサーチで見えるんだけど、こういうサイトで絞ってもサッカーだったり観光だったりしか表示されないので、「 #ユトレヒトラボ 」で上げることにしようかなと。活用されるかは知らん。こんなものはあくまで自己満足ですので……。

というか12000字以上も書いてるわ怖……。
お付き合いいただきありがとうございました。

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