過去が未来かもしれーぬ

合氣道の求めるものに、
一体感や敵対しない状態というものがあります。

植物は根で大地の中に巨大なネットワークをもっていて、自他の区別なく繋がっているという話がある。

「うんっ?」

所謂、生物進化というものを辿っていくとおもしろい。
二重螺旋の遺伝子が現れる以前には
遺伝子が円環状になっていて寿命がない生物がいる。

ウイルスなどは、生物と物質の中間みたいなもの。
遺伝情報はもっているが、それを自らはつかえない。
だから自己再生、自己複製の能力がない。

生物史を逆に辿っていって
まだ、目とい機能をもたない生物をみてみる。
目という機能のない生物は、
実は自己他者の区別をもたないのじゃないのか。

私たちの目からすると自他があって、
敵味方があって喰うか喰われるかと見えるのは
視界が開けた結果、空間概念ができたため。
見るという機能をもたない本人たちにすれば
触覚のような感覚はあるが空間という認識がないため
世界と自分が地続きであり、内と外という認識はない。
そうだとすると自他の区別をもたない。
敵味方という認識のない彼らにとって
食べることと生殖の認識的区別がない。
喰う喰われる、勝つ負けるがない。

「あれっ?」

合氣道が求める、
調和や敵味方のない無敵の世界、
一体感やワンネスといわれる高い境地みたいにいわれるものを既に達成している世界があります。

生物進化史を逆に辿れば辿るほど
そういう世界になっている。

これはどういうことなんでしょうかね。

ここに、
幼い無垢ではなく大人の無垢(中心帰納)を確立することの
宇宙的秘密がありそうですね。

葛藤するにおいて、
進化というものがあるのでしゃうかね~。

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