小説 続ける女〜session8
思い起こせば吉良義人という男は不思議な男だった。
頭脳は明晰、語学堪能で、普段はおとなしいがここ一番となると鋭い舌鋒で相手を圧倒する。
かと思えば、よく気配りもきき、決して自分が目立とうとするタイプでもなかった。
財務省という特殊な世界の中では、吉良のもつ頭脳や弁舌は大いに期待された。
いや。
利用された。
それは本人の望むところではなかったのではないだろうか・・。
吉良の異例の昇進は、同時に吉良にとっては望まぬ敵をつくることにもなった。
吉良の持つ繊細さや優しさを、政治や官僚社会の毒々しいまでの生臭さが吉良を人知れず蝕んでいったのかもしれない。
いくら優秀でも、まだ20代の若者である。
吉良を思うとき、吉良が時折、心を許した者にだけ見せる気弱な笑顔は、そんな吉良の心の矛盾を顕していたのかもしれない。
吉良は亡くなって、吉良にかけられた周囲の期待は岩村に向けられている。
それは岩村にとってやはり重荷でしかなかった。
吉良がいなくなっても仕事は粛々と進んでいく。
それは吉良という存在を最初から無かったもののように平常通りにだ。
吉良が抱えていた闇を岩村は少しばかり理解できるようになっていた。
「岩村さん。あの人じゃない。」
物思いに耽っていた岩村は、玲子の声で現実に引き戻された。
岩村の視線の先に、ベビーカーを押す若い女の姿が映った。
小柄で艶やかな黒髪につぶらな瞳。
派手ではないが、清楚で清潔感の溢れている。
美人というより可愛いといった方が適切な表現だろう。
ロングスカートにスニーカー、ダウンジャケットを羽織り、白いマフラーを巻いている。
頭には同じく白のニット帽。
白が彼女に良く似合っている。
その愛らしさは、到底、呪いや恨みなどとは無縁だ。
表情も暗くはなく、笑顔でベビーカーを覗き込む姿は、若い母親の幸せな空気に包まれていた。
「・・・双子なのね。」
玲子はベビーカーに目をやった。
ベビーカーは横型のツインで、そこには双子が同じ笑顔を向けて母親を見上げている。
「一卵性双生児のようですね。」
まっすぐに視線を向けている玲子とは対照的に、玲子の後ろから盗み見るように視線を送る岩村が答えた。
「この間は気づきませんでした。」
「まるで天使のようね。」
無邪気な笑顔を見せる双子に玲子の表情もほころんだ。
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