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売り込み営業

私の場合、入り口は父が街の写真館をやっていたせいで特殊ではあるが、父の知り合いのカメラマンを紹介され、大学の授業も基礎1・基礎2を終わった時点で、師の元にアシスタントとゆう名の丁稚奉公に出された。当時、アイドルのブロマイド全盛期でスタジオでアイドルの撮影、空いた時間には某新聞社の写真コラムの連載を持っていたため、東京中を歩き回る多忙きわまる仕事、私も師に教えを乞うとゆうより24時間働けますか?の過酷な毎日。卒業時は、すでにアシスタントについていた私なので、就活とは無縁でしたが内心就職もしてみたかったのも事実です。2年アシスタントを経験した私は、ポツリポツリ案件をメインでこなさせて頂いたことは、大きな自信にもつながりました。独立を決意したのもその頃でした。師からの応援バックアップもあり独立はしたものの、当時バブルとゆうことも有り事務所も、港区か渋谷区 でないと仕事が少ない時代でしたので、渋谷区の千駄ヶ谷に事務所を構え、貯金は底つく寸前で不安もいっぱいでした。当時、まだ無名の私でしたので、新宿歌舞伎町も近いこともあり、キャバクラや風俗の宣材写真や、飲食店のメニュー写真となりふり構わず、受けてこなす毎日、師の元でアシスタント時代とはかけ離れた仕事の毎日に夢が砕かれていく思いでした。

そこで、作品をブックにまとめ営業を決意。今思えば、師に相談して紹介状を書いてもらい訪れればよかったのかも知れませんが、右も左もわからない若造でしたので、写真集や雑誌などの裏にある出版社の連絡差を見て直接電話。幸い近所には出版社が多数あり仕事の合間に営業をかける事で結果道が開けたので、無謀だったのか良かったのか今だわかりませんが今に至りました。

作品を見てもらいたい旨をドキドキしながら電話したら、一度作品を持って来なさいとあっさりアポがとれ、意気揚々と出向きブックを見せる。作品内容はバブル時代の時事のドキュメンタリーな内容で、師と歩き回った都内の写真で地震満々の作品。パラパラと数秒見ただけで、出版社の担当の一言。「うちは、ファッション誌」の出版社だよ、ファッション関連の写真や物(商品撮影)撮り作品をもってこなくては話しにならないと瞬殺(涙)作品が出来たら出直しなさいとの事。そして、仕事の合間に作品の撮り直し。そして、仕切り直して再度チャレンジ。今回も、パラパラ途中止まって作品を見てくれるもののやはり数分でダメ出し。学校の課題作品なら、満点だがうちは、本を売る為に出版しなくてはならない商売だとまたしても瞬殺。思い切ってどのような作品が売れるのかを、恐れもなく逆質問。まず、モデルさんを素人では無くプロを使わないと話にならないとの事。又出直しても良いかと尋ねたら、いい作品ができたいつでも来なさいと心温かい言葉。プロのモデルさんをチョイスするために、大学の芸能家の先輩でもあり、元スパーモデルをへて、現在、某モデルカレッジ校長の先輩に紹介を申し出た。快くモデルを紹介してくれるとゆう返答。彼女の事務所に出向き、成り行きの話を説明したところ、売り込みに最適なモデルさんをチョイスしてくれたのだが、そのギャラに驚愕を覚えた。いくらバブル時代とはいえ桁が一桁ちがうのである。カメラのプロ機が1台買えてしまう金額(汗)これも未来への投資と考え契約をかわす。

いざ、専属のPROのヘヤ―メイクさん(こちらも驚愕な価格)、モデルさんと、撮影に入る前に打ち合わせ、イメージを伝えると、詳しい説明もなしに数分時間をくださいと、30分後、即撮影に入れたのは驚くべき速さ、これがPROのモデルさんなんだな心の中で感心。撮影に入ると更に驚いた!私が指示などせずともイメージどうりのポージングその自然さに私はシャッターを押しているだけ。これがPROの仕事なのだな~ぁと感心しながらシャッターを押し続けていた。撮影はものの2時間でブックを作れるくらいに撮りためる事ができた。

早速、ブックを作り3度目のアタック。今回もパラパラと見ながら考え込んでる様子。ダメかと心の中であきらめていたところ、「お~い、誰か新しいカメラマン使えるやついるか~ぁ。数人の担当がブックを眺める、面白いね~うちで使わせて下さいと、即答で名乗りを上げてくれる方が現れ、どこのクライアントに合うかなど、打ち合わせの日程を組んでいたところ、たまたま、居合わした某ファッション館の百貨店グループのクライアントさんまで、うちの月刊誌に使わせてほしいと、仕事まで決まってしまった。

後日談で、大抵のカメラマンは、PROのモデルさんやヘアーメイクさんのギャラに驚き、作品をまっているのにそこで、諦めてしまう方が殆どだそうでSinは、珍しいタイプのカメラマンだと聞かされました。

皆さんも諦めづに目標にチャレンジしてくださいね。

では、素敵な写真ライフを

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