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乳腺炎で、おっぱい切開した話〈その1〉

こんばんは。2020年1月に娘を出産した神保です。

私にとって初めての出産がこんなにもコロナが猛威を振るう前で良かったなと思う一方、これから出産を控え日々不安にお過ごしの妊婦さんのことを思うと心が痛みます。どうか無事に赤ちゃんに会えますように。


今回は、母になって初めて経験することとなった「乳腺炎」について綴ろうと思う。この病気にかかる前は存在すら知らなかった。なのにとても罹りやすく、悪化したら切開する必要のある恐ろしい病気。

だからこそ、これから母になる方々の参考になれば幸いだ。


初めて目にした単語「乳腺炎」

娘を出産し、怒涛の入院生活を終え1週間が経った夜、急に悪寒・震えが止まらなくなった。熱を測ってみると、なんと39.8度。

左乳の張りも異常で赤く腫れていたため、一連の症状をググってみると「乳腺炎」に行き着く。それでも自分では判断がず、念のため翌日の母乳外来で診てもらうことに。

ちょうど新型コロナウイルスが世間で騒がれ始めた頃で、初期症状はインフルエンザに似ているって情報だったから、正直ちょっと焦った。


高熱で歩くのもやっとの状態で産院に到着。助産師さんに左乳を見てもらった瞬間「乳腺炎だね」の一言。やっぱりかと思う一方、コロナじゃなくて良かったと一安心。

乳腺炎を治す薬はなく、溜まった母乳を排出するしか治療法はないとのこと。そのため正しい授乳・搾乳の指導を受けることに。この時に教わった授乳方法(縦抱き)がすごく参考になったから、後日別の記事でまとめる予定。

絶対に溜まった母乳を飲み切ってほしい母 

vs 

絶対にマイペースに食を楽しみたい娘

母は必死に乳を娘の口にぶち込み、娘はそれを阻止するためギャン泣き。授乳はまさに戦いだった。

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炎症に伴う発熱はロキソニンで対処。授乳中に飲んでも問題ないらしい。

こんな病気があるなら入院中に教えてほしかったよ...。知っていたら気を付けたのに!


そんなこんなで帰宅後はひたすら授乳&搾乳を続け、3日後には完治。もう心配ないと、お気楽に生活していたのもつかの間...


2度目の乳腺炎

3月4日、初めての乳腺炎が治ってから1ヵ月が経とうとする頃の夜。再び左乳の違和感と悪寒がしたため乳腺炎が頭をよぎる。最近は気を抜いてアマゾンプライム見ながら授乳だったから罰があたったかと思いつつ、高熱が出る前にロキソニンを摂取し、翌朝母乳外来へ。

やはり乳腺炎だと診断された。しかも前回と全く同じ個所だ。前回同様、授乳練習で娘と戦い、助産師さんにおっぱいマッサージをしてもらって帰宅。この時点ではまだ射乳が出ており軽症の段階だった。

帰宅後、自分でシコリをなんとかしようと揉みほぐしていると、ある特定の部分を押すと乳頭の一箇所から緑色の粘性のある母乳(膿?)がでることを発見。

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これが詰まりの原因だ!

そう思った私は、常にシコリを押し続けることにした。これが諸悪の根源となることも知らずに...。


破裂寸前の左乳

3月7日、シコリを押し続けて4日目の朝。左乳が爆発するのではないかと思うほどの腫れと痛みにうなされ、急いで母乳外来へ。真っ赤っかでパンパンに腫れ上がった左乳は、旦那をゾッとさせた。

前回より酷くなっていると言われ、昨日までの行いを伝えると思いがけない反応が。

「シコリを刺激したらダメよ!!」

「今のあなたは下乳に爆弾を抱えているような状態よ!!」

このシコリをほぐしきれば治ると思っていた私は絶句。ただ自虐行為をしていただけなのだ。

この時点で射乳はもう出なくなっており、少し触れるだけで激痛。直立すると下着と擦れて痛いため、前屈みにならないとろくに歩けない状態になっていた。痛すぎて娘に咥えてもらうこと出来ず、排乳は搾乳機に頼ることに。

ロキソニンにプラスして抗生物質を処方され、本格的にやばそうな状況。このままだと手術の可能性があることを指摘された。今できることはひたすら排乳すること。

「搾乳マシーンになれ!」

そうアドバイスを受け帰宅。言われた通り、家では常に左乳もろ出しで暇さえあれば搾乳機で乳を搾り出していた。それでも乳腺が詰まっているため20分搾乳して10mlくらいしか出なかった...。

辛うじて出た母乳は、ちょっと分かりづらいが以下のような汚い黄土色。こりゃ美味しくないだろうな...。

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さようなら産院

搾乳マシーンになってから2日目の夜。ロキソニンを飲んでいるのにも関わらず39.2度の高熱。全身ガクガク震え、26年間生きてきた中で一番辛い夜を過ごした。冗談抜きに、死ぬかと思った。こんな状況に陥れた左乳をひたすらに恨んだ。「切開でもなんでもしてやる!」と。

ロキソニンががっつり効いてからはぐっすり寝れたため、翌朝には精神的にも生き返ったが、すぐに産院に電話。状況を伝えると、もう産院では処置できないから外科に診てもらった方がいいと言われ、紹介状を渡された。

私の産院では、まだ乳腺炎で切開するまでひどくなった患者はいないって言われていたため、自分が第1号になるんじゃないかと不甲斐ない思いでいっぱいだった。こんなにも熱心に私の左乳と向き合って、いろいろ指導してくれてありがとう。そしてさようなら。


こんにちは大学病院

大学病院では、まず超音波検査でおっぱいの膿の状況を診てもらった。膿は奥の方に溜まっていて、今すぐ切開する必要はないけど、早く治したいなら切っちゃうのもあり的な状況だった。迫られた選択肢は3つ。

①今すぐこの場で切開

②とりあえず自力で搾乳頑張り、限界を感じたら切開

③自力で膿を出し切る

もちろん理想は③だが、この苦痛が続くのも嫌だから①にしようかどうしよう...と即決できずとりあえず②を選択することに。一番中途半端な決断だが、おっぱいにメスを入れる勇気が持てなかった。

というわけで、搾乳マシーンを続けるのことになったのである。


まさかの緊急切開

自力で膿を出す選択をしてから4日目の朝、ついに搾乳機でも、手で内圧かけても全く母乳&膿が排乳されなくなってしまった。直感的に何かがおかしいと思ったため、状況把握しようと大学病院へ。

前回とは違う先生に超音波検査してもらってすぐ、

「こりゃ切らなきゃだね〜。頑張って〜!」

と何食わぬ顔で言われた。

(え?!えっ?!私の意志は関係なし?!心の準備まだ整ってないんだけど?!)

と半ばパニックに陥るが、勝手にオペの準備が進められていく。有無を言わさず左乳を切られることになるのであった...。


果たして私の大事なおっぱいはどうなってしまうのか。〈その2〉に続く。



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