はしのした #35

 時々、音楽を聴き漁る夜がある。ひとり有線イヤホンを耳に押しつけて、部屋でただ音楽を聴くだけの夜。片耳難聴なため、ひとより数倍爆音で聴いている自信がある。健全な方の耳まで壊れそうなくらい。おいしいジャンクフードを、いけないとわかっていても食べ続けてしまう感覚に似ている。
 聴く音楽のジャンルはさまざま。と言いたいところだが、実は固まっている。ド偏食なので。最初は久々に聴きたくなった懐かしソングから始まり、次に最近まで好きではなかったアーティストの中毒性の高すぎるやつを聴き、最後に昔からずっと推しているアーティストのものを手当り次第に聴く。最近まで好きではなかった、いや違うな、あえて避けてきたアーティストの中毒性の高すぎるやつは、自分のやけに高いプライドをばきばきに折ってからじゃないと聴けない。世間であまりにも人気なアーティストなので、基本逆張り精神の私には受け入れられないのだ。今日は大人しく浸ろうと思いきって、プライドをばきばきに折っても、破片は心に残ったまま。どっと押し寄せてくるそのアーティストの声の波と一緒に、そのまま胸に突き刺さってくる。良い。あなたを心から好きだったらよかった、痛いな、などと思ったり。三回ほど繰り返し聴いたあとで、昔から推しているアーティストの曲に逃げる。胸の痛みが消える。安心感が湧いてくる。同時に、いつまで経っても『私が好きなもの』の籠から抜け出せない自分に、虚しさを覚える。
 好きな曲の、音を聴きこむモードに入ったりもする。DTMを始めようと思っていた時の名残で。音楽理論とか全くわからないし、そもそも勉強しようともしなかった愚かな自分が、その曲が何種類の音から、トラックから構成されているかを聴き分けようとするのだ。最中に小さく転がったような効果音にすらきちんと耳を傾けて。自分のものにしたくて。で、あー、嫌になる。今も、音楽を作る人になりたいんだろうなって。
 「何者かになりたい」というフレーズをよく目にする。若者の普遍的な願望らしいが、これを自分も持っているのだと痛いほど実感する。私の場合、「何者」とは芸術の世界で作品を作り続けて、多くの人に見て貰えるようなクリエイターになることである。主に音楽、小説。私にとって、手っ取り早く「何者」かになるには、小説に固執しているほうが効率がいい。すでに何作か完成させているし、それなりに勝手も分かっているから。ゼロからじゃない。
 音楽は、ゼロから始めなきゃならない。それは何事もそうなのだけれども。ギターは持ってるけどやめちゃったし。DTMも。音楽理論、コード進行ってどういうことなんだい。もう、どこから始めたらいいかわかんない。憧れだけが募っていく。どうせ自分にはできない気がする、という諦めも同時に。怠惰な自分が嫌になる。いや、小説でもいいけど。何か違う。音楽いいなあ。かっこいいし。数年前、拙いながらに自分が作った曲を聴いてみる。非常に拙い。そう、あまりにも拙いからやめてしまった。何も分かってない平坦な曲。最初はこんなもんだろうと分かりつつ、だめだった。楽しかった記憶はある。今はその拙い曲ですら作ることができない。
 「私には小説しかない」と思いこんでいる。これでしかそこそこのラインに立てない。今。大事なのは、今。そんなの、音楽にしたって今スタートラインに立てば、二年後にはそこそこのラインに立てているかもしれないけれど。まずは今を認められたい。早く何者かになりたい。小説書くペースすらも、今、実はイマイチ。ネタ出しにも乗り気ではない。やばい。焦ってきた。
 このままじゃ何もできない、何者でもないやつになってしまう。新しいことにチャレンジしないまま。自信を持ってやっていたことも、やり続けられないまま。大学のGPAも下がった。一日十二時間寝るようになった。バイトだけしてたら一週間が終わっていた。本も読まなくなった。
 焦りと自己嫌悪に陥ると知って、時々音楽を聴き漁る。夜更かしをする。疲れて眠るので、しばらく私の今後は変わらない。何者でもない自己の、承認欲求とか顕示欲だけを肥大させる羽目にはなりたくないな。でもとりあえず今日はいいや。明日からたぶんなんかやるから。


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