食中花

 素敵な人を見てしまった。電車に乗っている時だった。ひとりの男の子が自分たちの車両に乗り込んできた。窓越しに彼の姿を見ていたのだが、それが少しあの人に似ているものだから私は一瞬にして心臓を縮めてしまった。しかも、あの人よりも少し幼くて、更に非の打ち所がないくらい綺麗な男の子なのだ。丸みを帯びたレンズの眼鏡、整えられた真っ黒な髪の毛、小さい顔と白い肌。眼鏡の奥にはあどけないような優しい目があるのだと思う。私は黒のスキニーを履いているのではないかと期待した。でも、彼はゆったりとした黒のズボンを履いていた。パーカーにはモノクロの模様が入っていて、靴もちょっとだけカラフルで、どちらかといえば個性的なのだろうが、それでもずっとお洒落な方だと思った。真面目そうな顔をしているのに、綺麗な顔立ちだから似合うのかもしれない。
彼は私から見て斜めの席に静かに座った。ギリギリ被っていたキャップだけが見える位置に。私は混乱していた。あの人への恋はもう忘れたはず、それなのにどうして似ている人に心が釘付けになってしまいそうになるのだろう。まるで呪いのようだった。魅了されている。でもそれはひと目見ただけでは、恋心を抱いたとは断言し難いような感情だった。自分の中で最高に美しいものを見て、それを目でちらちらと味わうことに酔いしれて、そしてどう足掻いても手に入れられないという現実に苛まれる。彼が天使のように見えても、手を出そうとすれば悪魔になるかもしれない。それはあの人が教えてくれた。あの人しか知らないくせに、私はあんなに不思議で魅力的な少年を見ると、彼があたかも綺麗な花のように感じられる。あの、寄ってきた虫を食べてしまうような、美しくも恐ろしい花のように。つい最近まで、私はそれにずっと食べられていたままだったという事実に少し怯えた。未だあの花の消化液を肌に残しているのかもしれない。きっとしばらくは拭おうとしても落ちない。彼は美しかった。彼は永遠にあの姿のままの少年でいるような気がした。何百年、何千年と経っても。
彼は私と同じ駅で降りた。異郷の地、というのもあって私の目は彼ばかりを追う訳にもいかない。慌ただしく流れる景色の中、彼の姿は一瞬にして消えていた。まるで夢のようだった。行かないで、という感情を不思議と抱いた頃には、私の中での彼はもう『あの人』の姿になっていた。

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