VTuberの核

現在、ヴァーチャルユーチューバー(以下VTuber)界隈では圧倒的なチャンネル登録数を誇るトップランナー、キズナアイの中の人が分裂したことが話題になっています。
「中の人の分裂」という出来事をVTuber界隈に詳しくない方向けに例えるなら、某遊園地のネズミの着ぐるみの中の人が複数人の分業制になったというようなお話です。

ネズミの中の人が分業制になっているであろうことは自明のことであり、そのことに文句をいうファンもあまりいないと思いますが、これがヤクルトスワローズのマスコットキャラクター、毒舌芸で有名なつば九郎の中の人の話だったとしたらどうでしょうか。
愛される毒舌を提供できなくなったつば九郎2号は、果たしてつば九郎と呼べるのか。この話は、キャラクターの構成要素を交換していって、どの時点でキャラクターの同一性が損なわれるか、という話なのです。

今回こういうエントリーを書こうと思ったのは、ITメディアに今回の一件に関する記事が掲載され、VTuberのキャラクターの核をなすものがなんなのか、という問いかけがなされていたため、それについて自分が思ったことを書いておこうかなと思った次第です。

まず、VTuberの活動には、撮影済みの動画を編集してから公開する動画投稿活動と、リアルタイムに配信を行う配信活動の二種類が存在します。

今回、分裂が話題になっているキズナアイや、少し前に突然中の人が交代となって、運営企業が批判の的となっているゲーム部プロジェクトは、どちらかというと前者に活動の軸を置く、動画勢と呼ばれる活動形態をとっています。
一方、ホロライブやにじさんじといったVTuberグループは、比較的配信活動に比重を置いているため、これらを配信勢とします。

配信勢の場合、配信のおもしろさは配信者の力量に依存するところが大きいため、いかに能力のある配信者を見つけ出し、所属してもらうかという点がグループ運営の重要なポイントとなります。

一方動画勢の場合は、企画立案、シナリオ作成、出演、動画編集といった各工程が分業可能であるため、話術、声質、企画力といった特殊な技能を配信者一人が併せ持っている必要はなく、特に企業系の動画投稿型VTuberにおいては、程度の差はあれ、プロジェクト単位で動画の品質を高めているのではないかと思われます。

こうした背景から、動画勢というスタイルはマネジメントする企業側からすると、演者の重要度が相対的に薄れ、演者個人にコンテンツの質が属人化される配信勢に比べてマネジメントがしやすいモデルであり、企業側から中の人の交代や分裂といった発想が出てくるのは仕方のないところなのかなという感覚はあります。

そうした状況の中で、前述のITメディアの記事では、プロジェクトによって作り出された「キズナアイ」というキャラクターのコアとなる要素はどこにあるのかという問い掛けがなされていますが、勝手な個人の感覚としては、こんな感じです。

①ブーム以前から活動し続けている先駆者要素		:4割
②優れたキャラクターデザイン				:1割
③高品質の3Dモデル					:3割
④かわいらしい声					:1割
⑤かわいらしさを邪魔しない毒の薄いリアクション芸	        :1割

演者に占める要素は④、⑤の合計2割で、それも特別に希少な才能というわけでもないため、企業側の感覚がこれに近かった場合、残念ながら替えがきく、と考えられてしまうかもしれません。

しかし、キズナアイの演者に関しては、中の人もブームになる以前から地道に活動してきたヒットの功労者であるということを考慮すると、①の先駆者要素についても幾分か演者に属する要素なのではないかと思います。

功労者を蔑ろにしていると見られることで、先駆者としてリスペクトされてきた立場を危うくしないのか、というところが個人的には気になるポイントです。

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