たいしてお互いを知らないのに陽キャと陰キャを区別したがる人たち



いますよね。。。



それで彼ら、100パー陽キャ、と言えばそうでない陽キャに申し訳ないんですが、まぁ陽キャですよね。
僕も特段明るいわけでもないし、人見知りもするし、明るく振る舞うわけでもないです。どうしても二分論で語らなきゃいけないなら陰キャでしょう。ただ、ヒトの性格をなぜ極端な二分論で語らなければいけないのか、そしてなぜ彼らは語ろうとするのか、僕にはその意味がまったく分かりません。


そもそも陽キャ陰キャという分け方がもうすでに時代遅れだと思うのですが、それすら気づいていないように見えるし、気づかなくていいんですよね。陽キャだから。


もちろん陽キャとよばれる人の中にも様々なタイプがいることは分かっています。社交性の高さ、会話のキャッチボールの巧さ、見た目の印象、その他諸々の要素を組み合わせて陽キャ度陰キャ度が決まると思うのです。そして他人の前の自分と一人の時の自分を上手く使い分けることが出来る人がいることも分かっています。そういう人を尊敬しているし、できれば大学一発目からそういう風に振る舞いたかった。でも無理だった。結果、大学デビューに成功することなど夢だった。


だからこそ、勝手に陰キャだと決めつけられるような言動を受けると、腹が立つのです。
結果より過程を大切にしろ、みたいなことをすべて否定された気がするんですよね、社会ってたぶん結果が残せるやつが生き残るんだろうけれども。


そしてもう一つむかつくのは、彼らはこちら側の思いなど微塵も考えていないこと。
僕も受け取る側の気持ちなど考えず、空気など読まず、センスもないことを大勢の前でゲラゲラ笑いながら言える人間になりたかった。生きてて楽しそうだから。


でも、そういうアホな陽キャのやつらにとっては、誰かを「陰キャ」だと下に見ることで、「自分はイケてるんだ!」と思わないと寂しい気持ちになるのかな、だとしたら人間味があって面白いな、と思ったけど、俯瞰にかえって、そんなわけあるかいな!と、少し彼らに共感しようと試みた自分に後悔しました。笑。
「いじめられたほうがつらいと思ったらいじめだよ」という言葉を彼らは忘れてしまっているに違いない。。。ですよね。。。


ということで、パッと見える身の回りの環境がめんどくさい僕にとって、noteというプラットフォームで自分の意見をまっさらに言えるようになったことはうれしいです。
先日の初投稿にも十数件のスキが付きました。まだ未読の方よければ以下のリンクから。
僕の周りにいないだけで、いや、僕が話しかけることが出来ないだけで、どこかで同じような思いを持っている人がいるという事実を確認することができました。

胸張って生きてこうと思います。



では。

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