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絵を描く理由

 15の時、落ちこぼれて高校に入れなかった。あれは偏差値教育全盛の頃で、折しも日本はバブル景気の只中に浮かれている、そんな時代だ。(日本での高校浪人は1%以下である)

 やがて落伍者の劣等感はそっくりそのまま反抗心に変わり、自分は自ら学歴社会のレールから外れていった。本当に絵をやり始めたのはその時からだ。
 そうして1年遅れで高校生になった自分は、学生の本分をまるで放擲し、悪友たちとの冒険に邁進しながらも同時に絵を描くという珍妙な日々を送る。
 しかし自ら学歴社会に背を向けた筈なのに、その実消せない10代の劣等感は、若い自己愛とない交ぜになってごちゃごちゃになったまま常に付いてまわった。そうして自分はいつも苛立っていた。そんな時無闇に描いた鉛筆の白黒が、どういうわけか心を鎮めてくれたのだ。 

 やがて自分は高校を出ると直ぐに日本を離れた。それから幾つかの国で転々と過ごしたが、何もかも打ち棄てて放蕩する自分は盲目の様で味方はどこにも見当たらない様に思えた。酷く、ひどく孤独だったけれど、今から思えばきっと周りには気にしてくれる誰彼が居たに違いない。若さがそれを見ようとしていなかった。
 自分の絵をその当時見た人はそう多くはない。どうせ何でもない顔をするに決まっている。――アンタなんて大したタマじゃないじゃないの?だってこんなところにうろちょろしているんだもの――。
 家に帰ったところでろくでもない失敗作がテレピンの匂いを部屋中に揮発させているだろう。いや、ひょっとしたらあのフラットの外まで匂っているかもしれない。日本を離れた遠い外国の地で、てんで意のままにならない絵具や油にまみれた部屋で毎日眠れずに、それでもイーゼルがたたまれなかったのは何故だろうか。
 意地になっていたわけでもなかった。朴訥に誰かからの賞賛が欲しかったわけでもなかった。ただ自分だけは自分を信じていたいと思ったし、それにはどんな生活をしていようと描いていなければ嘘になる。そして何より、上手くいかない線や面、そして絵具とリンシードオイルやらの匂いが何故か逆にそんな自分を慰めてくれる様な気がして、やめられなかった。だから「絵を描く理由」というよりも、「絵をやめられなかった理由」かもしれない。 

 絵は自分の孤独の対価だと思う。


(かつて美術誌「美術の窓」にエッセイ掲載したものに加筆・修正)

画像 「untitled」 鉛筆、アクリル

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