3年も経過した入院の記録

Yahooのブログに備忘録的に残した2016年9月の入院〜手術〜退院に至る記録。この度Yahooがブログを閉鎖ってことで、どうすんべと考えた末にここを再活用すっかと。

以下コピペ。

前回からのブランク(注:Yahooブログ自体その時点で4年ぶり)などあっさりスルーして、闘病記(?)行きます。

私的メモみたいなものですが、9月の心臓手術と入院、その後のまとめを。

そもそもの始まりは昨年(2015年)の2月に受診した健診で最後に行った内科診察でした。

心電図でもエコーでも異常は感知されなかったところ、心雑音を聴診器で聞き取った医師により
「要請密検査」と判定されました。

2015年4月
会社から精密検査行きを命じられたため地元の病院へ行き、レントゲンと造影CTを撮った結果
「強く手術を勧めるが、ここでは不可能なので、出来る病院に紹介状を書く」となり、今現在も経過
観察を行っている病院を紹介されました。

2015年5月
紹介された先の病院にて心電図と心臓エコー検査。
医師によると、「紹介元は急ぎと判定したが、自覚症状もない上、瘤の大きさもまだ大丈夫、来月
再検査します」とのこと。

2015年6月
前月と同じ検査を行い、「半年後に検査で大丈夫」とのこと。

2016年1月
前回と同じ検査を行い・・・以下同文。

2016年7月
心臓エコー検査を行うものと思って行くと、久々のCT。
「もうそろそろ手術を考えた方がいい大きさになってしまった」と言いつつ、「来月の検査後に日程詰めましょう」と割とのんびり対応。

しかし手術費用について聞くと「保険使わなきゃ5-600万かな。いや、保険で驚くほどに安くなりますけど」って、びっくり内容。

2016年8月
ついに手術決定。
加入してる保険屋への確認もあるので、正式な病名と手術内容を聞く。

詳細な病名:大動脈弁輪拡張および大動脈弁閉鎖不全症
手術内容:上行大動脈置換術(大動脈弁置換、冠動脈移植を含む) ベントール型手術

まあ、何を言っているのかわかりませんよね…上記を口語にするとこんな内容です。

「心臓の大動脈が肥大し、本来は血液の循環が弁によって制御されるところが開いてしまい血液の逆流を起こしている状態」

大動脈瘤というものは、出来ても自覚症状は出づらいのですが、破裂した場合は9割方生きて病院に着けないそうです→手術で肥大している血管の瘤を人工血管へ置換、また、サイズが合わなくなった弁も取換えることにより、そのリスクを回避するということでした。

9月5日 ここからは記憶とメモに基づき、出来るだけ詳細に。

13時 入院
血圧:136-79  体重:79.8(重かった…)

14時 翌日の検査説明-腕からカテーテル通して云々
    説明後、心電図。

16時 塩分摂取についての講義

9月6日

 血圧:132-74 体重:79.8  
12時からの検査のため、10時より点滴→22時まで…
検査自体は30分だったが、点滴は3本を朝から12時間。昼食も夕食直前という、よくわからない日程。

9月7日

 血圧:120-71 体重:79.8
レントゲン、四肢圧測定

9月8日

 血圧:110-63 体重:78.7

麻酔について麻酔医より説明後、頸動脈エコー、CT。

手術詳細説明。生存率95%、だけど放置した場合、今後1年での大動脈瘤破裂の可能性は10-15%なので、手術するのが正解ということ。また手術後の経過と予定について説明され、暗くなる。。

9月9日

 血圧:120-72 体重:79.1

9月10日

 血圧:125-71 体重:78.9

9月11日

 血圧:137-77 体重:78.7

9月12日(手術日)

 血圧:120-73 体重:78.7
10時からの手術予定だったが、9時過ぎには手術室の看護師が迎えに。
信じられないほどの落ち着きを持って、手術室入り。マスクを被せられて数秒で意識が落ちたと思われる。

21時過ぎ?に気がつけば(おそらく、何らかの刺激で起こされた)、集中治療室にいて、体中に管が。

体のいろいろなところに管が刺さってました。

最初の苦しみは口からと鼻から喉へ刺さっている管。それはすぐに抜いてもらえました。

次に感じたのが喉の乾き。声もほぼ出ないところ必死で訴え、看護師さんが綿に浸した水分を吸わせてくれます。

ここからがまた…

床ずれ防止とかあるんだと思いますが数時間に一回、体の向きを変えられます。それ故に落ち着いて眠れない…ここで見た現実のような夢のようなものは全身麻酔後のせん妄だったのでしょうか。

9月13日

集中治療室2日目。
昼からは食事が出たのですが、半分も食べられず。
母と弟が来たが、酸素マスク&ろくに声が出せないので、ほぼ会話できず。

9月14日

ようやく声が普通に近く出せる。
昼食後に病棟に戻るが個室でほぼ監視状態。
余計な血を抜くドレーンの機械が繋がっているため、まだベッドから動けない。

9月15日

胸に付いていたドレーンの管と頸動脈の管が外され、ようやくトイレまでは動けるように。
(ただし、いちいち点滴の機械の電源を切る、繋げるを行う)。普通に歩けることに感動。

しかし、手術前に当たり前に出来ていた体を起こす動作が、ベッドの起きる機能を使わなければならないことに愕然。体力もなければ、前傾も傷の影響でほぼ不可能と知る。

昼に一般病棟へ。

頭のかゆみに耐えかね、「水のいらないシャンプー」をリクエスト。

9月16日

記録と記憶なし。おそらく前日とあまり変化なし。

9月17日

ようやく点滴が外れ、残りは心電図モニター。
棟内移動(フロア内)が許可され、6日ぶりにヒゲを剃りました。

午後、親戚が帰った直後に、プロジェクトリーダーの突然の見舞い。山○組抗争の雑誌など読み応えのあるもの(笑)、いただきました。

9月20日

体重:75.2

入浴が許可される。

9月21日

体重:75.2

レントゲン

9月22日

体重:75.4

9月23日

体重:75.1

レントゲン、心臓エコー、心電図、造影CTと検査だらけ。以前の会社後輩のお見舞い。

9月24日

体重:74.7

9月26日

体重:73.9
当初の退院予定日だったが、前日の白血球の値がよろしくなく、27日予定に。

9月27日

体重:73.7
白血球の値も落ち着き、退院。


…以上コピペ。

それから3年2ヶ月少々が経過、毎日の薬と6〜8週に一編の通院は欠かせませんが、普通に働き、余暇は旅行にも出て、バリバリ食べて生きてます。おかげで、入院した日の体重に戻ってます。

人工弁は今日もカチカチと動き、私を生かしてくれています。

面白い記事での華麗な復活とはならず、すいません。

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