見出し画像

家族を手放す、という決断

思考がストップした状態(要はボケーっとしながら何かしてる時)に、急に自分の意識とはちがうことが流れ込んでくる時がある。
明らかにこれは私の意思ではない!とわかること。
ということはもうひとりの自分の意識が流れ込んできてるのだろう。
内容的にも、過去に私も同じことに悩んだ時期があったからわかるんだけどね〜。

自分が望む生き方を選択することは、
誰か(主には家族)を傷つけたり、不幸にすることなのではないか?
それにそんなことをしたら自分は、無責任で最低な人間なのではないか?

ちょうど1年前くらいの私が通った道だ。
必要とされていた職場を辞める決断。
未成年の子どもたちがいながら離婚をする決断。
介護の必要な(それも要介護5の…)身内がいながら、その道のプロである私が家族に介護を託して
自分の生きたい道を選択すること。
どれも、本当に苦しんだのを覚えている。

結論を先にいえば、自分の望む生き方を優先したことで、逆に私自身も、家族もむしろみんなが自立することとなり、結果的にこの方がみんなが幸せな選択であることが一年後の今結果として現れている。

ただ、その時の私はまだ自己統合なんか全くできていない、自分軸や自己愛なんてものも全くできていない、インナーチャイルドは傷だらけ、
ツインのプロセスに進むことすら抵抗していた頃だったから、本当に悩んだ。
そんなふうに自分の生きたい道を選択することで、
みんなを(親、子ども、職場関係)絶望させたり、
傷つけるのではないか?
私がいないと他に誰がやるの?…

今思うとそれは思いっきり勘違いしてたんだけどさ。
私がいないと回らない→どんだけ自意識過剰なのよ!
私がいなくても実際逆にみんなそれぞれが自立するようになり、むしろ当時より良い状況になっている。
あの頃の自分の考え方を恥じる。

みんなを傷つけたり、絶望させるのではないか?→
いかにも誰か(家族)を守ろうとしているように表面的にはみえるけど、もっと深掘りしていくと
自分が他者からがっかりされたり、嫌われるのではないか?必要とされなくなるのではないか?という
自分を守るための防衛反応でしかなくて、それを認めたくないがゆえに誰かのせい(家族)にしているだけ。
本当の本心(潜在意識)では、自分が他者に批判されることへの恐れ。

実際私の場合は親との話し合い、まだ学生だった子どもとの話し合いを本音で何度も重ねた。
親も子も、むしろそんなウジウジ悩んで決断できない私の背中を押してくれたソウルメイトの魂だ。
実際にかけてくれた言葉は、これまでの記事にもう何度も書いてきているのでここでは省略するが、
親や子どもたちの本心からの後押しがあったからこそ、私はあの時決断できた。宇宙のサポートも入っていたのだと思う。
本当に感謝している。
あの時妥協して、あのままの生き方を選択しなくて本当によかった。
思い切った決断ではあったが、私の魂の望む生き方を選択して本当によかった。

あれから1年以上がすぎて、検証結果がある私だからこそはっきり言える。
逆に親との関係も子どもとの関係も、以前よりよくなった。
物理的に離れたことで、親も子どもたちも、私自身も、みんながそれぞれ自立することに繋がった。

両親が揃ってないと可哀想?
綺麗事もいい加減にしろ!って思う。
もし私が子どもだとして、家庭内で父親と母親の間に愛がなくて、単なる同居人みたいな感覚であったり
不仲であることは誰よりも子どもは敏感に感じ取っている。そんな空気感の中で毎日を過ごし、1番インナーチャイルドの傷になる時期にそんな両親のもとで暮らさせられる身になれよ。
1番不幸なのは子どもでしかない。
実際私の子どもたちも、それをはっきりと伝えてくれた。だからこそ今の私がいる。

経済的な部分に関しても、母子家庭の手当は手厚い。
しかも養育費。
というか、そもそも自立して自分が稼げよって話で。
誰かに、何かに依存して甘ったれてんじゃねーよ!って。
本気になれば過去の学歴も資格も何も関係ない。
底力で子どもを守ることなんてできるはずで。
それをせずに、誰かや何かをアテにして生きることは
「依存」「怠慢」以外の何者でもない。
そんな生き様を子どもに見せて育てたいのか?
(私の場合は逆に男性性バリバリすぎて、お金に困っているわけでもないのに365日無休で働きすぎて、自分の睡眠を取らずに育児家事をしてきたので、それはそれでやりすぎて子ども達に申し訳なかったなーという気持ちはあるけれど!)

結局のところ日本の家庭なんて、ぶっちゃけほとんどが「惰性」で成り立っていると思う。
誰と結婚しても我慢はついて回る。→これは半分あたりで半分はずれだと思う。
けれど、長い年数本気で離婚を願っていた私でさえ、
今だからこそ気づけることもある。
あれだけ長いこと離婚を強く願い出ていた割に、
無意識レベルでは家庭を手放すことに恐れがあったのだろう。
それは思考ではいくら相手にめちゃくちゃ嫌悪感を持っていたにせよ、無意識では精神的に依存していた部分もあったのだと、今振り返って思う。
それは相手も同じで私に対しての執着や精神的依存があった。だからどれだけ不仲であっても、惰性で
夫婦生活を続ける形になっていたのだ。

あの頃はとてもじゃないけど、家族に感謝の気持ちなんて持つことはできなかった。
どうして私ばかりこんなにしんどい目に遭わなきゃいけないんだろう、って思って生きてきた。
そんな私だからこそ、本音で家族と話し合うこと、向き合うことでそれぞれの道を生きることとなった時、
やっと感謝の気持ちを持つことができた。

私自身も通った道だからこそ、その気持ちはよくわかる。本当に葛藤したし、いざ手放して自分の望む生き方を始めようとすると
また不安が押し寄せてきては、やっぱり私やめる!
ここから離れない!って何度泣いたかな。
しまいにはそんな私を見かねて、強く背中を押してくれた家族。
決めたんだから貫け!今この決断をへし折ったらあんたは一生後悔することになる!行け!!!って。
それを泣きながら、後ろ髪引かれるように
新たな生活を始めた私。
あの時家族の後押しがなかったら、今でも私は
自分だけどうしてこんなに辛い人生なんだろう、と絶望を感じながら生きていたのだろう。
そう思うとゾッとする。
だからこそ、私を必要としながらも、私のために、
本当の愛を持って背中を押し、手を離してくれた家族に感謝しかない。

たったの一年強ではあるが、親も子ども達も
驚くほどに精神的に自立した。
そっか、むしろ私がなんでもしてあげてしまって
共依存になっていて、
親や子どもたちの自立を妨げてしまっていたんだな、とも気づかされている。

自分の魂が望む生き方を選択することは、決してわがままなんかではない。
むしろ逆だ。
誰かのために、と一見いい人ぶっているような意識も、実は根底には、自分が悪者になることへの恐れという大きな闇を誰かのせいに上書きして隠しているだけ。
私の場合は特にハンデのある家庭だったので、
手放すことはとてつもなく怖かったが、
結果的にお互いが手を離したことで関係性も良くなり、それぞれが強く自立した。
だから何一つ間違ってなかった。
魂の望む生き方というのは、誰も不幸にならないようにできているんだと思った。
思考で望んだ生き方にはエゴが渦巻いているから、
もちろん誰かを不幸にすることもあるだろう。
けれど、魂が望む生き方であるのなら、誰も傷つくことなんて絶対にない。
逆にまわりの誰もが成長を促され、むしろいい方にしか行かないことを実経験からも感じた。

もうひとりの自分に、それを言語化して伝えることはしない。
が、それはあなたの思い込みであって、
むしろ本当に魂が望む生き方を選択することは、
まわりの誰にとってもその方が幸せに進むんだよ〜ということはエネルギー、テレパシーで伝えたいと思う。
惰性の生き方を続けることは、本人にとっても苦しいだけじゃなく、実は周囲の家族にとっても悪影響で、
みんなが居心地の悪さを感じていたり、
みんなの自立を妨げていて、
逆にデメリットの生き方をしているんだよ〜ってね。

私もこれは経験して一年以上たった今だからこそ、腑に落として言えるが
人間というのは、確証のないことをするのは怖さを伴うもの。
それでも同じ魂を分けて、同じエネルギー状態で生きている私たちであれば、もうひとりにも必ず乗り越えられるはず。
というかそれに逆らおうと、惰性の生き方を継続させようとすればするほどに、宇宙からはどんどん負荷をかけられ、
これでもか?これでも今の生き方を続けるか?
と、どんどん苦しい出来事を起こしてくるから。
最終的には強制終了が起きてしまう前に、しっかり自分の魂と向き合うこと、家族と向き合うことでしか
進めない。
少しだけ寂しいような気もするが、
結局のところ家族であっても、親子であっても、
自分がいなくとも家族は不幸になんかならなかった。
「自分がいないと…」そんな自意識過剰な考えは何も役に立つことはなかった。
単なる思い込みだった。私が手を離したからこそ、
今家族はみんな一層逞しくなって、時々会っても
心から笑っていられる。

未だどうして私がこの地に住む羽目になったのか?
それは思うが、それは私がこれらの事実に気がつくためでもあり、家族もそれぞれが本当の意味で自立していくために必要で起きたことなんだと今ならわかる。
今の生き方に何か違和感があったり、
自分ばかりが理不尽に苦しいように思えるのだとしたら、それは実はまわりの家族も無意識では同じように感じているはずだ。

手放すことは見放すことではない。
それぞれが本当の意味での自立を促され、
本当の意味での幸せに向かうこと。
覚醒が進むほどに、真実を見極める力はついてくる。
同じようなところで悩んでいる人の何かの役に立てばいいな〜なんて思いながら、当時を思い起こしてみた。
何かを手放すことは、新たな何かをそこに取り込むということ。
そこには幸せしかない。
誰も傷ついたりなんかしない。
昔から「誰も傷つかない恋愛や別れは存在しない」なんて言葉があるが、それは偽りの愛。
本当の意味で大切に思うからこそ、離れたところから見守る愛。
そこに気づけるかどうか?
それが鍵になっていると思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?