ひらめきの条件
大川隆法総裁先生 書籍・発展思考 参照です。
① ひらめきの基礎
このときに大事なのは、成功のきっかけというものをどうか無駄にしないでほしいということなのです。では成功のきっかけとは何でしょうか。それは主として二つあります。ひとつはひらめきです。
あなたが常に成功を求めている人間であるならば、成功を求めている人間であるならば、成功を求めているというその姿勢を保つなかに、ひらめきが生まれてくることがあります。よきアイデアです。よき思いつきです。
この人と組めばうまくいくなとか、こういう仕事がこれからの主流になるのではないかなとか、ここは誰も目をつけてないところだなとか、さまざまなことに気につくようになります。このひらめきというものは実に大切なものです。成功していく人をみていますと、この点において他の成功していない人とずいぶん違うように思えるのです。
たいていの方は同じような環境のなかに生きているわけですが、成功する人というのは、やはりひらめきが多いように思います。そして、そのひらめきの質とひらめきの数が多ければ多いほど、いろいろなところで成功していくのではないかと私は思っています。
たとえばよき経営者と言うものを考えてみても、経営もやはり日々のひらめきの連続なのではないかと思います。一つのひらめきがあって、新製品が大当たりしたとしても、それで満足してしまったらどうでしょう。その会社はそれ以上には決して発展しないことでありましょう。
ところが、一つのひらめきで成功しても、「いや、こんなものでは充分ではない。もっともっと改良の余地があり得るのではないか。もっともっとよいサービスができるのではないか」と、いろいろなことを次から次へとたたみかけていく人には、まずまず大きな成功がやってくるように私には思えるのです。
ですから、みなさんが成功していこうとするならば、このひらめきというものを大事にしてください。では、どのような心の姿勢を保っていれば、ひらめきが起きてくるのでしょうか。それについても述べておきたいと思います。まず、ひらめきの前提としては、一定の目的に向けて、常に努力しているという姿勢が必要です。
もちろんたまには、何らの努力もしていないのに、ひらめきだけが降ってくるということもありますが、それは偶然に近いものになることが多いでしょう。ところが、一定の目的に向けて、成功なら成功というものに向けて努力を積み重ねていきますと、ひらめきの降りてくる頻度が多くなります。
そして、それが単なる偶然として起こることではなくて、一定の実力となってくることがあります。つまり、ひらめきにも実力があるのです。基礎能力が高くなってくると、ひらめきの頻度が高まり、そのひらめきの質がよくなってきます。一方、基礎能力の足りない人のひらめきは一時的な思いつきであることが多く、いざ実行してみるといろいろな問題点が出てきて、結局駄目になることがあります。
その分だけ回り道をして、時間の無駄であった、お金の無駄であった、労力の無駄であったということもよくあります。ところが、日ごろからよく考え、よく勉強している人のひらめきというものは、そのなかに確かさがあります。これはいけるのではないかということでやっていくうちに、次第次第に、それがますますいいものになっていく可能性が高まってきます。これがひらめきの基礎をなすところの実力ともいうべきものです。
② 愛の心
次に、ひらめきを受けるための二番目の条件は、いったい何でしょうか。私は、愛の心であると考えています。より多くの人びとを幸福にしたい、より多くの人びとを愛したい、より多くの人びとの暮らしを楽にしたい、より多くの人びとのお役に立ちたい、こういうことをいつも考えていますと、ひらめきはますますその頻度を増していきます。
関心が自分にしかない人は、自分自身のなすべきことに対するひらめきさえ、なかなか湧いてこないものであります。しかし、他の人びとは、複数の環境に、無限に近い条件下で生きているものです。ですから、関心が他の人びとを幸福にしようという方向にありますと、日ごろいろいろな人を見ながら、この人はこうしたら幸福になれる、こういう人には、こうしたらよろこばれるということを考えていますと、次から次へといろいろなアイデアが浮かんでくることは当然のことでもあると言えましょう。
経済的には、このような考え方をマーケット指向と言うのかもしれませんが、私はそういう言葉で一律に説明しようとは思っていません。多くの人びとに関心を持ち、その関心が愛に根ざしているならば、ますます素晴らしいひらめきが与えられるものである。それは、その相手が多様であるから、ひらめきもまた多様になるのである、と考えているのです。
③光明的生き方
そして、よきひらめきを得るための三番目として挙げておきたいこと、それは常に明るく希望に満ちた考え方を持っているということだと思います。とても幸福感が強く、はればれと澄みわたった空を眺めながら、本当にうれしそうに毎日を送っていますと、次から次へと、さまざまな幸福の種が見つかってくるものであることは、みなさんも経験されたことがあるでしょう。
それに比べて、いつもどんよりとした曇り空の下で生活をしているような気持ちでいますと、考えつくことがどれもこれも自分をいじめるような内容ばかりが浮かんできます。この心の明るさというものは、よきアイデアを得る、よきひらめきを得るためにはどうしても不可欠なものであるように思います。
ちょうど、空に雲がかかると太陽の光を受けることができなくなるように、心に曇りがあると希望の光を受けることができなくなるのではないかと思うのです。よきひらめきの出発点は、やはり未来への希望があるわけですから、未来の希望がない人のひらめきというものは、悲観的なものであっても、決して自分を幸福にしないものになっていくわけであります。
ですから、こうした悲観的なものの考え方ばかりをする人とは、あまり深くつきあいをしないということも賢明な策であろうと思います。いままで元気であった人が、暗い人と話をしたとたんに塞ぎ込んで、何もかも嫌になったり、新しい考えが浮かばなくなったり、世の中すべてが灰色に見えたりすることもあります。
そのように暗いものの考え方をする人とのつきあいは、あまり長い時間をかけないようにし、できればそう多くのかかわりを持たないのが賢明です。毎日毎日、明るく希望に満ちた心を持続していますと、だんだん会う人会う人もそのようになってきます。また、明るい考え方を持っている人が、だんだんあなたのもとに集まってくるようになります。
それは誰もが幸福を願っているからです。幸福を願ている人は、自分を幸福にしてくれる人を探すものです。あなたがまさしく幸福を分け与えてくれる人であるならば、あなたのもとに人が集まってくるのは当然のことと言ってよいでしょう。つまり、明るい心、建設的な心、積極的な心、そうした心を持っていればこそ、よきアイデア、よきひらめきも降りてくるのです。
だからこそ、またそのひらめきを実現するために、次から次へと積極的な志を持っている人が集まってくるのであると、そのように私は申し上げたいのです。そしてこれは、私が過去、経験したところによれば、百パーセントの真実であることがはっきりとわかりました。
よき事業を興して成長させていくには、どうしてもこういう心の態度が必要であるということなのです。以上、本人の心がけに発する光明的な生き方というものを語ってみました。そしてこれが、実は成功する人間学の出発点でもあるのです。
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(私文:仏法真理に照らし合わせて反省をする)
自分の心を正しい方向に向けることは大変なことです。まず、仏法真理を学ぶこと、外から見て自分の心を見つめること、良いところ、悪いところを探して、良いところは伸ばし、悪いところは修正をしていくということ。他の人の姿を通して、自分を変えていこうとすることです。時間もかかるし、守護霊の力もいただいて、反省していきます。中々大変なことですが、でも、一つでも反省ができたなら、一つでも悟ることができたのならば、とてつもない喜びになります。私はその道をずっと歩んで行くつもりです。
最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。
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