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🌷 煩悩即菩提 🌷

大川隆法総裁先生 書籍・幸福への方法  参照です。

人間の欲である、食欲・性欲・睡眠欲について、それ自体は必ずしも悪ではないということを述べました。これは決して新しい話ではありません。

大乗経典のなかに『理趣経』というお経があって、そのなかには「煩悩即菩提」に関する教えがずいぶん入っています。そのお経では、「人間は、この世に生きているあいだ、さまざまな欲望にとらわれるが、その欲望を単に排斥するのではなく、そこにあるものをほんとうに抱きしめたときに、光を放つのだ」ということが説かれているのです。

これは理解の仕方によっては、比丘、比丘尼たちの従来の生活を破壊する教えであるがために、非常に難しいお経でもあるとも言われていましたが、それを今現代語で考えてみると、よく分かる気がします。

もし異性を恋しいと思う心がなかったならば、人類はとっくの昔に滅びていたでしょう。あるいは、子孫を残すことは重税を納めるのとおなじように苦しい義務であって、女性の顔を見るのも苦しいというのが男性の本能であるならば、ユートピアにはほど遠い世の中でもあるでしょう。

適度に恋をし、バレンタインデイーのチョコレートが欲しくなるような気持ちが適度にあるということが、人間の幸福につながっている面もあると思うのです。こうしてみると、現代においていちばん失われているものは、幸福の科学が説いている中道の姿勢だと思います。

欲望というものが人間に根本的に付随するものならば、欲望自体を否定する生活は、人類全体に要請されているものではないでしょう。欲望は人間が生きているために必要な機能として与えられているものだと思います。それを、いかにして人間生活にとってプラスの方向に生かしていくか、ということが大切なのです。

男女の性的な営みも、健全な夫婦生活のなかでなされたならば、それは家庭の幸福を意味するものですし、生れてくる子供たちを育てるという聖なる義務が伴っているときは、いかがわしい、嫌らしさといったものが完全に消えています。そうした大きな義務や責任を伴っていれば、、もっと高次なる幸福をもたらすことになって、それは聖なる光を放つものだと思います。

ところが、男女のそうした結びつきが無軌道に走ったときには、教えられて知るわけではないのに、地獄的なるものを感じるようになってきます。

現在、共産主義という、平等を中心とした社会が崩れつつあります。一方では、自由主義体制も行き詰っているように思います。自由を突き詰めた先進国に、エイズという病気が蔓延して、百万、二百万という数の人が苦しんでいます。

今という時代に、この病気がなぜ流行っているのかを考えてみると、そこに私は天意を感じざるをえないのです。男性が女性を想い、女性が男性を想う、そうした心は、決して悪いものではありません。ただ、それは人びとを幸福にすると同時に、その統制を忘れたときには不幸を呼ぶものであって、その自由が、家庭をないがしろにする方向で発揮されたときには、天からの警告がくるということを示しているように思うのです。

そうした病気が現に流行っているということは、そこに人類への警告を見なければならないのではないでしょうか。家庭の幸福というものを抜きにした男女の欲望が、無前提に許容されるものではないということが、天意として、はっきり表されているのです。

結婚していない若い男女の率が、日本でも非常に上がってきています。これなども、実は性の解放と関係があるのです。結婚しなくても一定の欲望を果たせるということが、結婚しない男女を、かなりの割合でつくっているのだと思います。また、家庭を営み、子供を育てるという面倒くさいことに、若い人がとらわれなくなってきているのだと思うのです。

ただ、これに対して、自然は必ず一定のかたちで反作用をもたらすものなのです。社会が乱れてくるか、あるいは、人口が減少していき、社会の活力が衰えて停滞を招くか、このどちらかになると思います。おそらく日本も、子供をつくらない男女がこのまま多くなっていった場合は、社会的な衰退を招くだろうと私は考えています。

結局、何千年、何万年、何十万年ものあいだ、連綿として続いてきたものには、それなりの意味があるということを考えていただきたいのです。自由を自分流に解釈してはなりません。

真なる自由は、全体の幸福に奉仕するかたちで、自分を律していくことができる自由のなかにこそ、求められるべきなのです。

自我我欲の自由ではなくて、「多くの人の幸福、全体の幸福のためになるように、自分の位置づけをよくよく認識し、その枠のなかで自分を完全にコントロールできる自由こそがほんとうの意味で幸福な自由である」ということを知らなくてはならないのです。

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(私文:Good luck charm とは幸運の御守りのこと)
私は子供のころから、御守りを身につけていました。いつもお母さんが持っているようにと言われて、肌身離さず持っていました。何かそれを持っているから安心、これがあるから護ってくれる、だから大丈夫といった気持ちが子供の頃からありました。今は、幸福の科学に入信しているので、常にORマークを首から下げています。これさえあれば大丈夫、なんとか行ける、という気持ちでいます。ホント、心強いですよね。

最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。

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