シャドウバースにおける教育とは

思考の固定化というのは、思考の簡略化を手伝ってくれるメリットもあるが、同時に、柔軟な思考の妨げになるデメリットもある非常に危険な事である。極端な例にはなるけど、今期のジェネ進化は悪手、という話、それはそうなんだけど全てがそうではない。守護を張るべき場面で張らず疾走通って負け、のような場面を何度も見てきた。進化しなかった理由を聞くと、奏絶のバリューが下がるという他に「進化しないほうが良いと聞いた」この意見が意外と多かった。聞いただけで、なぜ進化しては駄目なのか、進化することでどのようなデメリットがあるのか、これを知らない人が一定数いた、そういったプレイが存在するのを知っているだけで、言語化まではできない人が多い傾向にあった。思考の固定化がデメリットになっている典型的な例ではないだろうか。

シャドウバースはその場その場の状況に応じて、柔軟な対応を求められ、定石通りでは勝てない大変難しいゲームになっており、そんなゲームで思考の固定化をする事こそ最大の悪手なのではと最近思う、勿論、難しい上に90秒という時間制限付きなので、思考の簡略化という体で固定化が必要になってくる場面はあるが、全てを固定化するのは良くないと思う。

それを踏まえた上で、タイトルにもあるシャドウバースにおける教育とは何か考えて行きたい。シャドウバースには学校のテストのように答えが毎回毎回設定されている訳ではなく、その場の状況に応じて行動することが必須になる。そんなゲームで果たして100点の択を教え続けられるプレイヤーが存在するだろうか?筆者はいないと思う。筆者はシャドウバースにおいての教育とは、自分が知っているを他人に提供する事だと思う。

ここで重要になって来るのは教えられる側の受け取り方である。多くの人が、教えられた択が最適解だと思い込み、似たような場面で同じ択を取り続け、結果それが原因で負けて行く。先程、思考の固定化の話をしたが、これが最大のデメリットだと筆者は思う。

自分より強い人の教えが正しいと思うのは仕方のない事ではあるが、先述した通り100点の択を教えれる人間なんて存在しないので、それが最適解と信じ、それしかやらないのは筆者は違うと思う。

筆者は人から教えてもらった択を自分が持っている択の1つとしてストックするすることで、より柔軟にプレイする事ができるのではと思う。自分の考えに自信を持ち、自分の思考に強者の意見を組み込み、択を1つでも多く用意することによって、あらゆる場面で柔軟に対応することができ、勝率が上がるのではないだろうか。

数ある択の中で最適解を踏むのはやはり難しい事ではあるが、そこは数を回して、自分がやりやすいようにしたら良いと思う。プレイに個性が出るのもこのゲームの面白い所だし、実際DM勢やライバルズ勢はその傾向が顕著に出ていて、しかも強いので見ていて面白い(yakinikuさんやtobyさんは強くて、イヌ科さんは面白い)

話を戻すと、一方的に意見を聞くのではなく、自分からも意見して所謂「議論」の様な形で教えてもらうのが一番の成長に繋がると筆者は思う。こうすることで、教える側も教えられる側が何を分かっていないのかが明確になり、より教えやすくなって、より有益な時間にすることができるのではないだろうか。学校における所謂、先生のような人間を用意するのではなく、一緒に議論できる仲間を作るのが大切になってくるだろう。


終わり

途中から自分でも何書いてるか分かんなくなったけど、まとめると、教えられる側は「貰った択を脳死で取り続けるのではなく、その択を取ることによって得られるメリットデメリットを理解し、適当な場面で活かせるように努力しよう」って感じです。

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