Pure Japaneseを観て

こんにちは。ひまりです。

Pure Japaneseの感想なのかどうかそれも分からないけどふと思い出したことを一つ書きました。

Pure Japaneseは本当に私にとって衝撃的な作品でしたし、はっとさせられた部分がありました。

私は幼少期に海外に住んでおり、いわゆる帰国子女でした。転勤族で父の仕事は国内外問わずだったので幼稚園3園、小学校も3校通っていた経験があります。そのうち1歳から3歳まではトルコのイスタンブール、小3から小5まではブラジルのサンパウロに住んでいました。

トルコ時代は小さすぎて正直ほとんど記憶がありません。当時通っていた幼稚園はインターで、ただし午前中は英語のクラス、午後は日本語のクラスというカリキュラムだったそうです。もちろんこの時期の子供というのは言語を吸収していく時期なので日本語も英語も少しずつ話せていたようですが、期間は短かったしその後日本に帰国しているのでその後の生活は自然と日本語だけの生活になりました。

そして再度海外に住むことになった小学生時代。ブラジルで選んだ学校は日本人学校でした。生徒も先生も日本人。もちろん日々の生活では日本語しか使っていませんでした。海外に住んでいたとしても私はずっと日本人のコミュニティーの中にいたのです。週に1,2回ポルトガル語の授業があったけど生活の中で使っていなかったのでほとんど身に付きませんでした。

その後、小6で日本に帰国し「ブラジルから来た転校生」として学校で紹介されました。その時によく聞かれたのは「帰国子女ってことは英語話せるんでしょ?」という質問。海外に住んでいたというだけでみんな勝手にそう期待している。そもそも私が住んでいた国は英語圏でもないのにそう思っている。でも、先ほどの話から分かるように私はほとんどが日本語で生活してきたのです。違うよ、私は日本人学校っていう学校に通ってたんだからと話しても、またまた!そうやって謙遜してるんでしょなんて言われることもしばしばだった。卒業文集ではクラスメイトのここがすごい!みたいなページで私のすごいところとして紹介されていたのは「正しい日本語を話す人」だった。そう紹介されているのは少々不思議だった。だって私は普通に日本語で生活してきただけで特別なことはしていないのだから。これは今考えると「海外に住んでいたのに」という枕詞が実はついてたのかなとか思ったりもする。そんな色眼鏡は少々ありましたが学校生活に特に問題はありませんでした。

その後中学受験で合格した学校に入学しました。当時の入試制度は一般的な入試のほかに帰国子女枠入試を設けている学校で、さらにその中でも英語圏もしくはインターの学校に通っていた人と私のような海外の日本人学校に通っていた人によって入試科目が違うような制度でした。

クラスメイトは一般入試組と帰国子女枠組が半々でした。帰国子女枠組に関しては入試科目に関係なく全員が同じクラスに。入学した当初はいろんな国に住んでいた友達の話を聞いて盛り上がったりしてとても楽しかったです。そして、英語が話せる帰国子女の子達が私にとっては少々羨ましかった。あの子たちは私みたいに「英語話せるんでしょ?」と聞かれたとしてもそうだよと答えられるんだろうななんて深く考えずに当時の私はぼんやりと思っていた。

私にはこの中学時代からの親友がいるのですが、彼女はアメリカの現地校やインターに通っていた経験のある人でした。小学校の途中までそのような生活を続けていたので当時はほとんど英語しか話していなかったそうです。彼女のご両親はこのままでは日本語が全く話せなくなってしまうと考えて、次の転校先に日本人学校を選びました。しかし、彼女はその学校でいじめられてしまいました。当時の話を私によく話してくれましたが本当に辛そうでした。そして彼女は私に、私のような"日本語だけでずっと生活してきた帰国子女"になりたかったと言っていました。当時の私はその言葉を深く理解していなかった。なんで私のような日本語しか話せない人にあこがれているんだろう、多くの言語を話せた方が良いに決まっているのにぐらいにしか思っていなかったのです。

だけど、PJを見たときこの彼女の言葉の真意がようやく分かってはっとした。

日本人学校というのは日本人しかいないので海外とはいえそこにあるのは日本のコミュニティーです。その中で彼女は立石のように「ガイジン」の扱いを受けていたのだと思ったのです。

私の場合は海外に住んでいたけれど、普通に日本語しか話せない人なのでその先の壁を感じることはなかった。でも彼女の場合はそうとはいかなかった。異国の地の限られた日本人コミュニティーの中で、日本語が話せないがゆえの疎外感を感じていたという苦しみは相当なものだっただろうと。

中学生時代の自分が当時彼女のあの言葉の真意をしっかり理解してあげられていたらなと少々後悔しています。

考えたら中学の英語の授業でも英語が流ちょうに話せる子がわざと日本語英語っぽい発音で話してて「恥ずかしいからそうしてる」なんて言われたこともあったななんてことも思い出しました。本来、多言語が話せることは可能性や視野が広がるし良いことだと思うのですが、日本の社会での「生きづらさ」をゆえにそれを抑えてしまうというのはなんとも悲しいことだなと。

もっと柔軟に多様性が認められる社会に今後なっていけばいいなと思ったという話でした。





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