衝撃の出会い

2013年5月1日のブログ

≪ソーシャルビジネスとの本当の出会い(100円家事代行の生い立ち)≫

 
株式会社御用聞きは今年で12期目となります。
小学校5年生の頃には
「会社を起こして社会を大きく変えたい(良くしたい)」、
という漠然とした思いがありました。
 
紆余曲折さまざまな事がありましたが、大学卒業後の
就職した年の年末に起業する事ができました。
現在12期目を迎えました。

起業して7年間は、創業・経験・成長と起業家(社会人)としての
ベースを養う事ができました。


8年目に念願のソーシャルビジネスの領域に新規事業として参入しました。
結果は1年間で軍資金を全て使い切り大惨敗でした。
7年目での会社としての最高益はファンドバブルによる
景気の後押しが中心であって、私はそれを 経営者としての実力 と
大きな勘違いをしていました。

参入市場 事業スキーム 顧客ニーズ 競合 
全てにおいて誤った経営判断を行ってしまいました。


その当時集まった優秀なスタッフ・パートナーは解散となり、
資金はなくなり私は9年目に一人、大失敗に対しての
反省・分析・検証を行いました。

それはやり手の経営者だと思っていた自分を、
利益をだせずスタッフ・顧客にも喜びを提供できない
駄目経営者だと認める作業でした。 
カバンは持てなくなり浅い呼吸しかする事ができず、
人とあうと片目から勝手に涙が流れる状況が続きました。 
三輪車の子供に道を抜かされた時に自分の体の異変に気づきました。

「私は社会に必要な存在なのか」

そう思った瞬間 あたりの景色は固まり地面が真っ暗闇にかわり
どこまでも底に落ちる錯覚にあいました。  
今でも鮮明に思い出すことができますが、とてもとても辛い経験でした。


会社経営を諦め企業に就職するというオプションもありましたが、
私は最終的にその選択を選びませんでした。  
本当にあとほんの少しで諦めていたというのが本音です。
身体がおかしくなっても踏みとどまる事ができたたった1つの理由は
【社会起業家として世の中をよくしたい】という夢というひとかけらのプライドでした。

9年目の反省・分析の中でベンチャー企業家としての大きな成長がありました。
諦めたくないという想いの中で、
100円家事代行(御用聞き事業)のビジネスモデル構築は進みました。

10年目にしてごくわずかな資金で100円家事代行は生まれました。
今でこそ前掛けをつけサービスをしていますが、
当時はスーツにテキストのみのチラシという
なんとも怪しい出で立ちでサービスを行っていました。
身体(精神)が回復していないためか、
お客様の顔をみる事ができず片目からは涙を流しながら掃除をしていました。


そんな中電球交換の依頼を頂いたお客様が運命の出会いでした。

訪問時にはインターホンが鳴らず大爆音でテレビ番組が放送される中、
お客様の名前を叫びながらお部屋の中に入りました。

単身高齢者の女性でした。

精算時にインターホンが故障している事を告げると
「誰も直してくれない。インターホンが鳴らないから
 鍵を開けっ放しにしている。不安で夜も寝れない。」

それを聞いてインターホンのカバーを開けると電池式だったので簡単に直す事ができました。
インターホンが鳴った瞬間、お客様は私のほうを向いて大粒の涙を流されました。
手をあわせ拝むようにしながら私に何度も何度もお礼を言われました。

その瞬間私の中に強い衝撃が走りました。稲妻にうたれるような感覚でした。

社会に必要ないと思っていた自分に対し感謝してくださる方がいた。
社会にまだ残る事ができる。生きる事ができる。

私も両目から涙を流し握手をして別れました。
帰り道私の身体は1年ぶりに開放され力が入るようになりました。

この強い感動を多くの方に届けたい。世の中の足りない部分を埋めていきたい。
幼少の頃より思い描いていた世界がそこにはありました。
10年目にして掴んだ憧れの職業でした。

※写真の画像はその時のお客様から頂いたサービス料金です。
ヘルパーさんにお金を全て預けているため、
このコインしかないと言われ、頂きました。(お客様談)


私にとってソーシャルビジネスへの扉を開いた想い出の古銭です。

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