スポーツと感覚と言語化の呪い


今まで言われて一番むかついたことってなんだ。

そんなもの多すぎていちいち思い出せない。

じゃあ、一番言われてうれしかったことってなんだ。
こんなこと投げかけてるけど今度はなさ過ぎて思い出せない。


ただ、それが言葉なのは間違いない。
言葉じゃない優しさや辛さもあるかもしれないが、なんにせよ俺たちは言葉によって生きることも死ぬこともできる。

最近だと、感覚や動作の言語化というのが多い。
このさきがけは俺だしただの文字数稼ぎで始めたやり方なんだが、人間情報を共有するには言葉にするのがいい。


例えば腕ふりなんて言われたら手を必死に動かすことをイメージするだろうし、
もも上げなら膝を高く上げるか、膝を高く上げる、下げるを高速で行う。

そんなイメージをしている人が100%だろう。
違うというやつはおれかひねくれてる奴の2択。そうだろ。

例えばスマートフォンなんて親指を少し動かせばいい。あとは脳死状態で指を動かせば完璧だ。

でも、少し中身を見てみれば見たこともないパーツがわけのわからない配列で並んでやがる。

いつもそれが不思議でしゃあないんだよな。

速く走るなんて言うのも極論言えば手足を大きく早く動かせばいい。

文字にすれば1行で終わるような単純なものでも、その裏は普通じゃ考えられない複雑な構造になっているなんて言うのは世の常で、人間の体も同じだ。


俺にとって大切なのは再現性だからできるだけ簡潔に書くけど、裏じゃその100倍近くいろいろ考えてるわけよ。



言葉は思考やイメージを強制する呪いでもある。

経験や感情が脳みそで言葉として変換されたものが言語化であって、言葉を無理やり脳みそに押し付けて処理させるのは言語化とは俺は言わない。

それなのに、イメージと言葉で脳みそに処理を押し付けるからどんどん訳が分からなくなっていろいろおかしくなる。

最近だと〇〇の連動というフレーズ使うやつが増えたけど、俺が情報発信する前は連動なんて言葉使ってるのほとんど聞いたことないけどな。

スタートだけ1番になる方法を血眼で探していて、俺にはわけがわからなかった。

まぁ、スタートは100mでいちばんわかりやすい動きだからだろうけど、お前が一番にならないといけないのはゴールであってスタートじゃないだろ。
そいつらが必死に探していたのはスタートラインだけを早く超える方法で、ゴールラインを一番に超える方法じゃなかった。

ほかにも、軸とか反発とか前さばきとか、言葉としては知ってるけどなんかよくわからない言葉が独り歩きして動きに呪いをかけているように見える。


俺が言語化してるのは違和感であって見た目じゃないんだけど、構造的にできない動作を難しいというやつは心底イラっとするし、見た目の動きだけを必死に言葉にしてみていて頭が痛くなってくる。


言葉にするのは大事だけど、それはイメージと言葉でできた虚構じゃないのか。


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