ゲームってなんであんなつまらないんだろうな。
俺が人生で初めてプレイしたゲームはスーパーファミコンっていうコントローラーが2つしかないやつで、よくマリオカートを姉とやって負けて喧嘩になったりしたもんだよ。
当時は圧倒的に姉のほうが力があったので、ポケモンが販売されて姉をぼこぼこに負かして泣きっ面にした時の爽快感といえばかなりなもんだった。
あの時代はゲームボーイは白黒のドット絵で、4時間ぐらいプレイすると真ん中に横線が一本だけ表れて画面が消えるという恐怖体験を何度もした。
白黒のゲームボーイがカラーになって乾電池1セットで20時間もプレイできるようになった。
なんていうのは子供のころの俺にとっては革命が起きた可能ような衝撃を受けたもんだよ。
湾岸戦争で爆撃を受けたゲームボーイが普通にプレイできた。という逸話もあるけど、あのディスプレイを守る樹脂は恐ろしく頑丈だというどうでもいい話。
あと。FF6でマッシュの必殺技の出し方が分からなくてバルガスを倒せず次に進めないまま5年以上たって、友達に貸して必殺技の出し方がやっとわかったり、ネットなんてなかったに等しいから、裏技本を買ってゲームしたり。
情報がないからこそ今考えればありえない噂話がたくさんあったけど、その妄想を膨らまして時間をつぶしてたな。
ゲームができないとき、カセットを取り出して裏に息を吹きかける。
っていうのはこのあたりなら経験があるんじゃないか。
時代も変わり、今度は2人から4人でゲームができるという革命が起きた。
ただ、4人以上一緒の部屋で集まると余りが必ず出てくる。
だから、友達が集まるとコントローラの取り合いになったもんだ。
今だとネットがつながれば何十人単位で同じゲームができる。
なんて昔じゃ考えられない。
ただ、やっぱり何か違うんだよな。
友達と楽しむためのツールとしてのゲームと、だれでもいいから見えない相手を見つけて暇つぶし相手を見つけてやるゲームってやっぱり違うんだよ。
その道を究めたいなら後者のほうがいいんだろうけど、ほとんどの場合前者だろ。
結局、俺たちが楽しかったのはゲームを通じて友達と遊ぶことで、ゲームそのものじゃないってことだ。
一人で遊んでも楽しいゲームはたくさんあるけどな。
そして、友達が集まったときに遊ぶゲームの定番だったのが64のゴールデンアイとスマッシュブラザーズだった。
いまはわからないけど、64時代だと
カービィ、ネス、ピカチュウ、フォックス、ファルコン
あたりが人気で、俺はヨッシーを使っていた。
それで友達をぼこぼこにするとスタートボタンを押して妨害してきたり。
スマブラは今でも人気シリーズだけど、あれってキャラクターが空中でも一回ジャンプできるだろ。
スーパーマリオ64でも壁をける→反転してまた壁をける。ということを繰り返すことで上に上る技があるけど(これは実際にできる人もいるらしい)
そういう実際には不可能なことを必死にまねしようとしていた。
足が地面に沈む前に反対の足を出すを繰り返せば水面でも走れる。とか
まぁ、仮にそれができても水面を走るなんて無理なんだけどな。
人間が動くためには、地面に力をかけないといけないけど、水だと力をかけようとすれば足がそのまま沈んでいくだけになる。
走る。パンチやキックを打つ。ボールを投げたりけったりする。
人間が移動する際には、必ず地面に足がついた状態で力を発揮する必要がある。
たまに空中姿勢が大事。というミルコクロコップ状態になることをいうやつがいるけど、それは地面に与えた力と方向性による結果で、その2つが空中での姿勢を作る要因になるわけだ。
空中にいるときにスピードが出るように姿勢を意識的にコントロールするなんて不可能な話で、できることとなんて衝撃を和らげるための姿勢をとることぐらい。
だから、必死で空中動作を考えるだけ無駄で、ほんとうにフォーカスしないといけないのは地面についてるときのエネルギーや力発揮の方向なんだけど、空中にある足をどうやって地面につけにいくか。
なんて考えたところで徒労になるし大けがするから地面に足がついてるときにどうやって動くか。
これを考えたほうがいい。
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