備えはあればあるだけ良い。
第 112 代 早稲田大学広告研究会代表 中﨑・ルペシュ・優人
はじめまして。この記事が二回目の奴はまた会ったな。広研のルペシュだ。茨城生まれ、茨城育ち、顔は醤油顔な俺が名前が外国人風なことには、迷路より複雑な家庭事情が見え隠れしている。下手に首を突っ込むのはおすすめしない。
バツ3の末に陽気な年上フランス人に行き着いた母親から生まれた俺は、去年の100ハイでいた~い思いをした。つまり、これは注意書きだ。第二のルペシュを生まないために、一筆取ろうと思う。
其一. 革命前夜
100ハイの前夜から話そう。この夜はお前たちの大学生活で、最も大事な夜だといっても過言ではない。もちろん、気になるあの子と二人で飲むことになった夜よりもだ。
俺は、はっきり言って100ハイを舐めていた。
前日も広研の活動があった俺もなにも考えず、着替え程度だけを持っていき、靴も先輩が二つ持ってくるとのことだったので借りることにした。
家からだと始発でも集合時間に間に合わなかったため、本庄のホテルに後輩と前泊することにした。テンションが上がった俺たちは、夜遅くまで話にふけっていた。この時、俺たちはまだ知る由もなかった。この夜が、これから始まる二日間の命運を分けることを。
其二. 幕開け
ついに当日の朝が来た。カーテンの隙間から光が差し込む。若干寝坊気味に起きた俺たちは朝飯も食べず集合場所に向かった。
もうほかの仲間たちは準備ができていて、準備、開会式が終わり、あっという間にスタートラインに立っていた。
突然、掛け声が響く。仲間たちが走り出す。ついに100ハイが始まった。足は勝手に動いていた。気合十分の仲間とともに先頭を引っ張っていた。初めのうちは、和気あいあいと談笑し、時には全速力で、時にはふざけて楽しんでいた。
そうして、2区までを走り切り、休憩所で腰を下ろした。そして3区目を歩き始めた途端、2区目までの元気が嘘だったように、俺は足に違和感を感じ始めた。準備不足の影響が出始めたのである。
其三. 絶望
ここではタイトル通り、絶望を語ろうと思う。
俺にとっての3区は、”絶望”以外のなんでもなかった。
”監獄”と名高い北九州予備校での浪人時代なんて霞んで見えなくなるほどだ。
借りた靴だったため、靴擦れを起こし、また水膨れが足の裏中に広がっていた。一歩、そして一歩踏み出す度に痛みが広がる。仲間からのコールドスプレーを使ってももう遅かった。それぞれは入念に準備をし、履きなれたスニーカー・5本指ソックス・ロキソニン・コールドスプレー・膝、ふくらはぎサポーターなどなど多くの備品を揃えてきていた。手ぶらで歩いていた俺は、痛みと後悔で絶望し、もはや歩ける状態ではなかった。仲間に励まされつつ、一日目を乗り切った。2日目、ここから50キロ以上の地獄が続くのである。
あの時の自分とこれから歩く者たちには、準備は怠るな。そう叫びたい。
其四. 極楽黄金卿
なんとか1日目を終えた俺は、だれよりも早く眠りについた。そうして迎えた2日目の朝、鍋とお玉がぶつかる「カンカンカンッ!」という音ともに「起床〜!!!!」という叫び声で目が覚めた。
また地獄が始まる、そう思い体を起こした。
初めは頑張り皆に着いて行ったが、痛みは増すばかり。失速は早かった。休み休み歩いていた俺は、とうとう100ハイ全体の最後尾まで遅れを取ったのである。
広研の全員を完歩の立役者「ケツヘル」と共に、励まされながら、10キロ、いや5キロずつペースを決めて歩いた。応援のおかげで、段々とペースが上がっていた俺は、休憩所で先に着いていた仲間たちと合流をした。とうに限界は超えていたが、そこから5.6区は、着いていくことに決めた。
5区を歩き切り、ついに6区終盤を迎えた頃、普段何気なく過ごしている馬場や早稲田の街が見えてきた。その景色は、なんとも言い表せないものだ。それについては、あえて語らないでおこう。自分の目で確かめて欲しい。
ここまで、長々と書いてきたが、ただ伝えたいことは、準備をしていけ。ということだ。なにを用意するべきかは、経験者に聞くと良い。
100ハイは、早稲田生なら、いや人なら一度は経験しておくべき登竜門のようなものだ。
迷っている者がいたら、とりあえず参加することを勧める。
今年の俺が参加するかは、言うまでもない。
当日に会おう。
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