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アトリエから見た善意の後継

いやーーー、
あけましておめでとうございます的なnoteをあげて、更に日常系noteもあげましたけど、ね、
順番が変わっちゃってるんですよね…!

ギロチンメソッド 善意の後継 終演から凄い経っちゃって。
終演したの去年…?
えっ アマドラプロトも終演したの?
タイムパラドックス?
そんでみんな忘れた頃に芝居の構築と私の考察を出すという。  
意外とバタバタしてまして…ややや言い訳はやめておきましょう…!
まずもってもう今年が2ヶ月過ぎようとしてることに心がざわざわ。早い。どう考えてもおかしい。時間が過ぎるのばちくそ早い。どうかしてる。これはやはりタイムパラドックス…(確信)

このタイミングで需要はあるのか!
否、なくてもいい!
私が書きたいのである!

というわけでとっっっても長いので、
暇つぶしのアプリゲームにも飽きた頃 そっと開いてくださったらとても嬉しいです🐈

いくぜっ。


ギロチンメソッド 第2回公演 「善意の後継」

まず私が今から何を書き始めようかとしているかと言いますと、
2019年 12/26-29に上演された、善意の後継という舞台作品の個人的考察と私が演じたキャラクター構築のお話です。

ご来場くださった皆さま本当にありがとうございました!

公演前に告知を兼ねて書いた記事がこちら。

(上記作品を見ていないひとにとっては、
まーー、なーんにも、面白くないです!
いやなるべく見てない人にもこんな話だったのかーとなってもらえるように書きたいとは思ってるんですがとにかく長くなるので……先に謝っておきます。ごめんね。ご了承の上お進みください。)

作品の中を生きた登場人物として、またそれを演じるにあたって役者としての私が何を考えていたかみたいなもののまとめみたいなものだと思ってください。
出演してはおりましたが、私は脚本家でも演出家でもありませんし、答え合わせを明確にして書き始めているわけではないので、このnoteに書くものはすべて非公式です。妄想の類。夢うつつ。
物語を楽しんだ1人の、ひとつの意見ですので、ご自分が持った感想と違くてもがっかりしないでくださいね…! 


登場人物と3つのエリア


冒頭、「囚人」と呼ばれる鎖につながれた男と「看守」の様ななりをした男の会話から始まる本作。
ここを1つ目のエリア【監獄(悪魔の腹の中)】とします。

2つ目のエリアは【アトリエ】 
キャンパスに向かい悩む男「アート」 
絵を描く女「エンサー」と、
似た衣装をまとい同じく絵を描く男「グラマー」

3つ目のエリア【下層】
本部と呼ばれるところから逃げ、ジプシー的に空間を彷徨う一団。
「班長」…一団を引き連れ外に出た男。優柔不断。外部の人間だとも。
「宣教者」...質問すると道しるべを示す箱を所有し、神を信じる男。
「悪人」...班長に懐いている女。悪人と呼ばれることに嫌悪がある。
「アンチ」...いつも不満そうにしていて、何かと難癖をつける男。
「ファン」...アートに対して好きを連発する女。
「死体」…死体。と言いつつ歩くし喋る。

下層のほかに別空間のような場所にも表れ、
ネットスラングを使いながら喋る「2」「4」「5」
不思議な距離感で3人を仕切り、アトリエにも出入りする、何かを知っていそうな男「ベンチ」

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いくつもわかれたこの層は、誰の心にもある段階てきな深層心理のことかな。
3.2.1の順番で深くなるイメージ。
本部は外側に一番近い、3の世界線にある。
悪魔の腹の中、は、自分の一番心の奥。


記憶のお話

水槽の脳、という思考実験をご存じでしょうか?

「あなたが体験しているこの世界は、実は水槽に浮かんだ脳が見ている夢なのではないか」という仮説。
哲学の世界で多用される懐疑主義的な思考実験で、1982年哲学者ヒラリー・パトナムによって定式化された。
正しい知識とは何か、意識とはいったい何なのか、といった問題、そして言葉の意味や事物の実在性といった問題を議論する際に使用される。
       —出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

記憶とは体験と感情の蓄積によって構築されるもの。
ですが、もしその記憶が本当は誰かの手によって作られた電気信号だとしても、それを確認することはできないよね。
じゃあこの思考は?本当の記憶って何だ?っていう考え方です。
この考察はお客様のツイートでも見かけましたね!


まさに、この水槽の脳の、脳内がこのお話の舞台だと推察します。

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囚人(深層にいる人格)とアート(理想を追い求める人格)は、同一人物。
そしてベンチの言う「友達などいない」「頭を切り落として箱に詰めたやつ」そのものだと考えます。 
あと実際、芸術家だと思う。

(私の考察ではないですが、アート役の加藤くんが「最後の長台詞は居酒屋で愚痴をこぼすようなイメージで語ってる」と言ってました。
あのセリフの文言めちゃくちゃ好きで、待機しながら幕裏で一緒に暗唱してたなああ。竹田航の言葉選びのハイセンス。生まれてきてくれてありがとう。ご両親GJ。) 


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宣教者・悪人・アンチ・ファン・死体は囚人が作り出した夢の登場人物、いわばゲームの中のNPCのような存在。この5人はそれぞれ元の人格からいくつかの感情や願望を強く引き継いでいるのではないかなあ。 
例えば、他者を批判するような皮肉と卑屈がアンチ、
自分を無条件で愛してくれる存在の願望がファン、のような。

エンサー・グラマーも同じくNPC、ですが、下層のキャラクターたちとは少し違って、2人には現実世界でモデルになったような人物がいると考えて構築していました。 
ここに関しては長くなるので別カテゴリーで。

2・4・5・班長は外から「水槽の脳」を管理する仕事についている人間(他人)で、同じくベンチも他人だけど、彼は他の方法で金儲けにこの人格を利用している人間。
このことから、同じようなプロジェクトに大金を払って脳を培養液に浸けた人は案外多くて、その脳から脳へは、取り仕切っている本部を介して間接的に繋がっていたり、移動できたりするのかもしれない…なんて思ったり。
筐体が損傷したとか、管理側の人間がミスしちゃったとか、培養液が抜けちゃったとか…と班長が言っていることからも明確に水槽の脳に近い設備の中で主人公は理想を夢見続けている状態と推測できます。


アトリエと女とコンプレックス

アトリエチームの考察に入ります。
既に長いなあ!半分も来てないよ!もうしばしお付き合いを。

エンサー・グラマーが物語におけるなんなのかがわからなかったという感想多数でした。答え合わせがないとはいえこれは力不足…!私なりに解説します。

エンサーの由来はインフルエンサー、SNSなど広く認知される場所や、知名度などを使って、他者の購買行動に強く影響力を及ぼす人。
ブロガー・インスタグラマーなどを大きく括ったものと思ってもらえたらいいです。
グラマーはプログラマー。
プログラム言語を用いてプログラムを組み、システムをつくる仕事です。
グラマーとアートはエンサーとベンチに仕切られて作品を作って納品する、みたいな関係性。

アトリエの2人にはモデルがいるとこの前にいいましたけど、それは、主人公が理想の世界に逃げ込む前、一緒に仕事をしていた仕事仲間なのではないかと。
そして、エンサーはアートが好意を寄せている(憧れている)相手だったのではないかと思うのです。
理想の世界での自分の傍に、願うままに一緒に生まれたエンサー。
さらに、グラマーも生まれる。
ただグラマーは、『エンサーの元になった女性を想像し、創造したとき、彼女を浮かべた風景の中に強く結びついていたグラマーのモデルも一緒に生んでしまった』のようなイメージ。
現実世界ではエンサーグラマーにあたる2人は恋人か、アートからそう見えるような関係だったのでは。

グラマーは現実世界で切磋琢磨できる、作品をどんどん生み出す優秀な、才能あるいい同僚だったかもしれないけど、故にこいつがいなかったら好きにやれたのにとかっていう劣等感はありそうだなって。
その劣等感はグラマーにも同時に存在してて、
「エンサー行っちゃったよ。会えた?会えてなきゃいいのにな。」の台詞に成ったのではないかなあ。
「また3人で楽しくやろうよ。お前に嫉妬しながら絵描くよ。」は、現実世界の郷愁の断片であり、アトリエにいたころの自分がいかに無知で、幸せだったか思い知ったことによる、アートとグラマーの実感が重なったような台詞だったと思います。

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アートが死んで下に落ち、新しくオーダーされた絵を描いているシーン。
お互いの手を探りながら取り、抱えられるように接近し、最後は体を預けてしな垂れようとするエンサー…の手を掴み直すような形でグラマーがそれ以上近付かないように制止するのは、
主人格が、女や営みを知らない・またはコンプレックスがあったから、(幻想だったから)進めることができなかった、という解釈でお芝居してました。触れたいけど拒絶は怖い。触れ方がわからない。愛されることへの渇望と失望感。
グラマーも主人格の一部ですからね。

あと、あのシーンの呼び名は、すけべ、でした。
「すけべ(のシーン)から返しまーす」みたいな。
なんか初めて聞いた時、土手に野晒しにされたくしゃくしゃのエロ本みたいな気分だった。笑


アートが、ファンとエンサーの間で揺れるシーンがありますが、これは理想と現実の戦いみたいなかんじ。(いやどっちも幻覚なんだけど。)

ファンはとにかく、何をするアートのことも「好き」「素敵」といい、好意を持っていることを脈絡なく伝えるキャラクターで、否定的なことをアートに対してはほとんど言いません。
こんな理想的な可愛いだけの女に言い寄られたらたまんないよね!
ただ残念ながら、実際にはいないと思います。
男性が理想とするような都合良い性格に作られた女ってかんじ。
いやこんな歯応えのない彼女絶対飽きるよ??
(ファンを演じたマイカたんはバチクソ可愛い酒乱でみんなのアイドルでしたけどね!)
ファンが外部の人間にだけあたりが強いのは外の世界に対する、主人公の嫌悪感が表れているから。かなと。

ファンの好きには理由がない。
どこが好きなの?に対して、だって好きなんだもん、と言う。幼稚園生か。 

対する エンサーはアートを叱ったりもする。
モデルもハツラツとしていて聡明な女性だったと思う。世話焼き、おせっかい。誰よりも心配して、見守っている人。
「現実みなよ」と叱咤する一方で期待もしていると思うんですよね。
最後まで描き切ったアートの絵に、量産型ではない特別な価値を求めていたように思います。
たくさん作品を生み出せるグラマーとは違った価値を感じてないと、昆布茶飲んであんなに騒がないよね。
わざわざ死ぬ思いまでして決死で探して迎えに行ってみたら、知らん女といちゃいちゃしながら「帰ってていいよ」って言われるの結構辛かったなあ。平手打ち程度は許されると思う。まじで。


ファンとエンサーに共通することは、女を感じる存在であること。

ただすごく対照的。
本当は愛を返して欲しかった人(エンサー)と
理由のない空っぽの愛情をくれる人(ファン)
その間で揺れているアート。
男としてはわかんないけど、芸術家にとっての彼には多数のファンとごく少数のエンサーが必要だったと思います。

絵を見せるのは恥ずかしい、自信がない。
けど認められたいという自己矛盾を女で表したシーンかなあ。
不特定多数に認められている実感でアーティストって生かされてるものだと思う。


劇中の不思議用語 その他

ショッキングピンクの昆布茶は、外からもたらされた刺激そのものって解釈でした。
どうなるかなって興味本位、または邪魔だから、物理的にそのキャラクターが敷かれている大きな道をねじ曲げるパラダイムシフトを起こすためのもの。
パルプンテ。
だから中の人は妙に怖がってた的な。

あと本部。何回も出てくる本部。
外の世界と脳をつなぐワープポイントみたいなかんじだと思うんですが、これ、なんでなくなったのかの要因は、私はなんでもいいかなって思ってる。

でもどちらかというと外部的要因で壊れたかなーって。ベンチがやってたことがバレて機能停止されたとか、本当に世界が終わったでもよい。
感情とは別で動く、保護システム的なものなので、中の人が疑問に思ったくらいで壊れるとは思えない。
もし中の人の何かが要因だとしたら、本部がなくなってアクセスできないように見せかけられたのだと思うの。
本当はアクセスもできるけど、中核のアート(囚人)が、できないって決めつけたので、できなくなった。みたいな。

理由はさておき、箱庭に閉じこめられた人格たち。
ラストは、アートがすこし後悔しているようにみえてました。
頭を切り落として世界を遮断して、自分1人だけの頭の中の理想だけしかない世界でいいと思ってたけど、本当の理想もここにはないんじゃないか、理想ってそもそもなんだ?

次のループに向かって歩いていくのかなと思うんだけど、次の世界では何をどこまで引き継いで、何を考えるんだろう。
物言わぬメビウスの輪に加わって舞台を去ったエンサーとしては、せめて、強くてニューゲームであれ、と思います。

あそこの照明めっちゃキレイだったよね!!!



エンサーから見た世界

「生まれる前のことなんか知らなきゃよかった」
今 何度か目のループをしていること知ってた。
わかりながら、思考することを止められていたのではなくて、意識的にやめていた感覚。

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鎖で繋がれていて、
外してくれ出たい出たいという囚人もおなじで、実際誰にも傷つけられたくない本音が自ら鎖を生んで、縛りつけられにいってる。
人間は常に二律背反を内包してるって考え方をこのnoteの他の記事でもよくしているんですが、
いやよいやよも好きのうちというか(ちょっとちがうか)
そうするべきだろう、と、そうしたい、が必ずしも一致しない。
…そのジレンマがあの鎖かなみたいなかんじです。

元は意志を持たないNPCだったエンサー自身も、繰り返すループを生きるうちに、ずっとこのまま何も知らずに理想の中にいたいという気持ちが芽生えてたのではないかな。
でもこのままではダメなようにも感じてしまっている。
人の想像を超えて、人の理想を想像する水槽の中で、自我を持ちはじめる単一な電子信号。AI。

囚人の人格の中では唯一の客観性を持ったキャラクター、と位置付けて芝居構成しました。
これがここの常識って分かりながらも違和感を覚えていて、それ故に一度消されかけたこともあって、昆布茶の存在とベンチの干渉にかなりナイーブ。ていうかベンチめっちゃきらい。
でも仕事をすることは好きだし、存在価値なので我慢できるってかんじでした。

疑問を持っていながら声を上げるまでに至れないところとか、お節介なところとか、存在価値を信じて仕事をするところ、後悔しがちなところ。
いつまでも疑問以上 世界を変える未満なエンサー。
私と似てるところ。



善意の後継

最後はタイトルについて考察するのが、
なんか、キレイかな〜と思って持ってきてみます。笑

善意 とは 「良かれと思って」
後継は「成れの果て」

これが私の解釈。
この善意って恩着せがましい表現含むかんじがしてて。
「あなたのためを思って良かれと思ってやってあげたことの、これが"成れの果て"でも、善意だから有難いでしょ」
この作品につけるにはなんだか整ったタイトルすぎて、こういう皮肉含んでたほうが面白く思えたので。
電脳社会になりつつある現代を思うと、いつか訪れる世界の 成れの果てっぽいお話だったなって。

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あーなんか言葉足らずなような、まだ書きたいこと思いつきそうな感じがするけど、こんなかんじでしょうか!
見てくれた人には、なんとなく懐かしくシーンが浮かんでいて、
見てない人には、次のギロチンメソッドに興味ばちばちわくようなnoteだったら幸いです。
私は出てないかもしれないけどきっと見に行くし、大ファンなんだギロチン!

確か この作品は記録用とか撮ってたらいい方だし、お客様が映像で見ることは難しいと思います。
舞台はナマモノで、イキモノだから、
ぜひお越しいただき、身体中五感全部で楽しんでもらいたいな!


お付き合いありがとうございました!




おわり。

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