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34歳怒る怒る怒る

今年もまた誕生日が来て、34歳になった。5月11日生まれは、連休が明けてふわ〜っと過ごしているといつの間にか誕生日を迎えている。

34歳の目標は「理不尽だな、と思った時に言いたいことは飲み込まない、怒る時は怒る」にしたい。

3月末、希死念慮を抱く状況が続いた。原因を詳しく書くと火種になりそうなので割愛するが、最終的に立ち上がないほどの目まいと吐き気で救急車を呼ぶ寸前までいった。

便器に向かって胃液を吐きながら、「このまま私が◯んでも、あの人は『そんなつもりじゃなかった』なんて弁明して数分後には忘れてるんだろうな」と思ったら、ふつふつと怒りがわいてきた。

(これまでにも「自覚はないだろうけど、確実に私を下に見てるな〜」と感じる瞬間は頻繁にあったが、これも詳しく書き過ぎると問題になるので割愛する。感情的になって書いたnoteはよろしくない。)

そんななか、やはり助けてくれたのはエンタメコンテンツだった。

新年に放送していた「あたらしいテレビ」のゲスト出演をきっかけに知った星街すいせいの『ビビデバ』。PVでは理不尽な要求を監督からされ、自分のスタッフ(マネージャー?)が叩かれたことに怒りを感じた星街すいせいが履いていたガラスのヒールを監督に投げつけて激昂するシーンがある。

相手が先にやってきたとはいえ、仕事の場でこのような対応は望ましくないかもしれない。ただ、このような形で「怒り」をありありと描いたPVと、「自分のやりたいことをやる」という決意表明が刺さった。

唯唯諾諾に危機感抱く日々に
ぎりぎり爆発気味
たった今発散してしまおうか

『ビビデバ』歌詞

4月から放送している朝ドラ『虎に翼』とその主題歌、『さよーならまたいつか!』にもだいぶ救われた。

「女だから」なんて理由だけで理不尽なことをされ続けてきた女性が奮起する物語が、やはり自分の境遇に重なって見えた(寅子に比べたら私はしょうもなさ過ぎるが)

したり顔で 触らないで
背中を殴りつける的外れ
人が宣う地獄の先にこそ
わたしは春を見る

『さよーならまたいつか!』歌詞

『虎に翼』の1週目ラストでは、法律を学ぶために女子法科へ入学することを決意する寅子に、大反対する母親・はるは「地獄を見る覚悟はある?」と六法全書を買い与えるシーンがある。脚本としてそこまで意識しているかはさておき、母親の名前「はる」と「地獄」から宮沢賢治の『春と修羅』をオマージュしているのでは?と思った。

いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾(つばき)し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ

『春と修羅』

(『さよーならまたいつか』も歌詞の中で「口の中はたと血が滲んで 空に唾を吐く」という歌詞があるので、どこかしらオマージュはあるのかもしれない。)

宮沢賢治は自らを「ひとりの修羅なのだ」と言い切っているが、そもそも「修羅」とは、「醜い争いや果てしのない闘い、また激しい感情のあらわれなどのたとえ」のこと。「修羅になる」は、「激しく恨み怒る」こと。あの温厚そうなイメージのある宮沢賢治でさえ、怒りを感じて唾を吐いて歯軋りをして、自らを修羅を例えていた。それをあらためて知ったとき、「怒っていいんだ」と思った。

正直なところ、私は人の怒りが1番怖かった。人の顔色を常に窺って、過剰なまでに気を遣っているせいでドッと疲れることも少なくない。

他人の怒りは「本当にこちらに非があるもの」「相手が感情にまかせているもの」の2パターンがある。こちらに非があればそれは反省すべきだ。ただ、そのパターンであっても、エスカレートした挙句「◯ね」と罵詈雑言を吐いたり、人格を否定したり、度が過ぎたことまでやるのは話が変わってくる。(ここまで書く必要は無いと思いますが、決して私がそんな対応を受けたわけではないのでそこはわかってください)

性格診断でもとかく「揉め事が嫌い」的な結果が出るが、そのせいで自分が「?」と思ったことを言えなかったり、溜め込んだために前職は心身ともにダメになっている。原因は理不尽なクレーム対応をひたすら1年半やらされたところにあるが、「怖いのでやりたくないですぅ〜(きゅるん)」とか言ってたあざとかわいい系の男性社員、私が辞めた後どうなったんだろうか。

「キレる」ことには勇気がいる。大きい声を出すのも慣れていないし、「相手を不快にさせたらどうしよう」とネガティブなことばかりを考えるあまり怒り方が下手くそなのは自覚している。

とはいえ、相手が感情に任せて理不尽な対応をこちらにして、「キレ」なければ「ああ、こいつは雑に扱っても大丈夫なんだ」と大勘違いさせてしまう。そういえば中学生のときにクラスの問題児から嫌がらせを受けて、「給食のデザートを俺によこしたら1日は何もしないでやる」と一方的な搾取をされていたことがあったが、見かねた友達がブチギレてくれた結果、デザートを献上しなくても嫌がらせされなくなった。今振り返ると真っ先に先生に相談して良い件だと思うが、そもそも自分が気弱過ぎて引いた。友達がいてくれて良かった。

ダメなのは怒りに身を任せた結果、物理的に手を出すことであって、理不尽な相手に自分の意思をぶつけることは間違っていない。理不尽なことをしてもいい人間はこの世にひとりもいないし、自分が感情的に相手を傷つけたことがどんなにダサくて愚かなのかを気づかせればいい。

33歳の私だったら、noteにことの全貌を書いてヨチヨチしてもらって満足だったかもしれない。でも、私は34歳なので、もちろん全貌は書かないし、直接コミュニケーションを取らざるを得ない瞬間が来たとしても大人の対応をする。

ちょっとムカツクなと思ったら、お互いの存在を見ないようにするとか、同じ空間にいてもなるべくお互い距離を置くということしかないと思います。

『友だち幻想』

要は、「親しさか、敵対か」の二者択一ではなく、態度保留という真ん中の道を選ぶということです。

『友だち幻想』

理不尽なことにはキレるし、ナメられない。そんな1年を過ごしていきます。頑張るぞ。

いただいたサポートでより良いものを書けるようがんばります。