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向こう岸へ行った人

生きながらにして向こうへ行ってしまった人がいる。
気のいい先輩だったが、卒業して恋人と別れたか、音楽で食っていくことに挫折したか、なんかそんなタイミングと同じくしてマルチにハマった。
最初はみんなそのうち目を覚ますだろうとネタにしていた。「おまえんとこきた?」「まだ」「なんだよー仲良かったのに」「こっちにきたよ、水って大事だよな!だって」「まじかよ」

そんなわけないだろう、すぐ飽きて戻ってくるだろう。
だって数々のひどい酷い冗談で笑い合った仲だ。私たちは"わかってる"はずだ。
同じ授業に出て「マルチ商法の実現不可能な成功をお題目に掲げるのは宗教と同じ」と習ったのを鮮明に覚えている。

仲間内で渋谷のあのビルを指差してゲラゲラ笑った。

その後10年経ったが戻ってきていない。ある時全く笑えない勧誘の仕方をして、別の界隈で一番おっかない(具体的に何やってるか分からない)先輩が説教しに行ったらしいが、ダメだったらしい。マルチ先輩はOBの集まる会も出禁になった。後輩の葬式にもいなかったから多分誰も連絡していない。あの子が死んだこと知らないかもしれない。

なんだかな、と思うし気をつけよ、と思う。
人は夢や恋に敗れるただそれだけで、積み重ねた友人関係を換金してまで温かな別のコミュニティを求めてしまうらしい。

でもしかたない。おっかない先輩を除きだれもあの人をこっち側に戻そうとしなかった。向こう岸に行き着くのをただ笑って眺めて、到達してしまったねえと呟くだけだった。誰もあの人の喪失について考える余裕はないから。冷たいと言われても仕方ないかもしれない。ただ、いい大人なんだからその程度の喪失はもう少し差し障りなく収めてくれとも思う。

前述の宗教と習った授業のレポートで、私は「不景気の荒野で育った我々からすると、経済的成功体験にあまりにもリアリティがないからマルチが若年層に下火なのも頷ける」(下火だったのだうん年前は)みたいな感想を書いて割と悪くない評価をもらった。今はそういうもんでもないんだろうなと理解できる。

それ以前の話だ。永遠に開催されない文化祭の前日を永遠にやり続けたいんだろうなと思う。文化祭も取り上げられて、バンドで目立つこともロミオになることもあの子と模擬店のおんなじ時間の当番になることも無いままきてしまったから。

永遠に来ないお祭りの準備をし続けていれば永遠にワクワクし続けられる。成功することより、成功のためにみんなで頑張ることが楽しいという面があるのはまあ分からんでは無い。それを表現するためのビューティフルドリーマーってほんとに発明。

挫折と喪失いつでもそばにある。私は私でいつエンドレスエイトにハマるかも分からないからきちんと書いておこう。私は祭りや楽しい夏休みが全部終わった後に生まれて、粛々と生きることを選んだ。別にこれが堅実で美しいわけでもなんでもなく、怠惰の結果だと言われても仕方はないし、まあ6割くらい怠惰のせいだし、決して豊かに暮らしてない。でも人間関係を換金はしない。誰かの生活を脅して金をせびる真似はしない。それだけは肝に銘じていたい。






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