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許すことを許すということ


※親→子への暴力描写があります。その様な経験がある人、今精神的に安定していない人などはブラウザバックもしくは自身と相談しながら読んでください。普通に読んでいて気持ちの良いものではないのでね。それと、後にも書きますが今の状態は良好です。精算する目的で書いている、と言う部分もあります。

幼少期

小学生の頃の自分の家庭を思い出すと、かなり仲の良い良好な家庭だったのではないかと思う。休日は家族でどこかに出かけたり、夜遅くまでゲームをしたりしていたし、日々の生活の中でも会話や笑顔の多い家庭だったと記憶している。私は中学受験をしたのだが、それも別に親に強制されてではない。私が興味のあった演劇部がある、という情報を母親が見つけてきてくれ、それならばと自発的に受験を決めた。受験を決めたからといって口うるさく勉強しろと言われることも、塾に突っ込まれることもなかった。周囲の受験組はみんな塾に行っていたからむしろ塾、という環境が少し羨ましくもあった。

中学が全部ダメだったまである

おかしくなりだしたのは中学の時からだと思う。中高一貫校であったその中学は正直言って私には合わない環境だった。日々各教科から課される課題はもちろんのこと、試験前になると信じられないほどの量の試験課題が出る。みんな自分たちの教科しか宿題ないと思っとるんかってくらい。消化しきれない程の量の課題に、課題を出さないと親を殺されたのかとでも言わんばかりの剣幕で怒ってくる先生たち。試験課題に至っては期限までに提出できなかった者を対象とした集会まで開かれる始末で、その集会で待っているのは複数の教師による交代制お説教。しかも大声をあげて叫びながら怒る先生ばっかり。この世の地獄。普段の宿題でも忘れたり未提出だったりしたらかなり詰められた。んなことしてもどうしようもないのにね。怒鳴り声がとにかく苦手だった私は、本当にその状況を回避したくてどうにか課題を終わらせることに全力を注いでいた。何回朝日を見たかわからない。そんなの中学生でやることじゃなさすぎるんだよな。
私がその中学を受験した動機は「演劇部があるから」だった。勉強ができる人であればよかったのだけど、そんな具合で軽い気持ちで受験したものだから勉強はなかなかに酷かった。国語は得意だったけど、国語の課題ってそんなに出ない。できない数学だとか英語だとかの課題は大量に出る。あまりにも苦痛。中学時代は人生でメンタルが終わっていた時期TOP3には間違いなく入る。
脱線しだした。話を戻します。とにかく課題を終わらせることが第一だったことと、ストレスもあったと思う、だんだん私は睡眠に支障をきたし始めた。家に帰るとどうにもコントロールできないほどの眠気が襲ってくるようになった。夕飯を食べたらそのままリビングで寝てしまったり、夕飯を食べることすらできずに寝落ちてしまうこともあった。ここから母親との関係が悪化していった。そりゃそうだ、あちらからすればどれだけ言っても食事や入浴をせずに寝てるんだから。でもこちらからしてもどうしようもないのだ。寝ないように寝ないように、と思っていても気がついたら寝てしまっているんだから。お互いそんな状態なので会話は堂々巡りで喧嘩にしかならなかった。当時はよく仲裁役になってくれていた父親が単身赴任していたというのもあると思う、喧嘩の回数は増える一方だったし、一回の喧嘩の期間も長くなり、帰ってきても朝起きてもずっとピリピリしてまともに口を聞かない、みたいな日もあった。

そんな状態が長く続いていると内容もエスカレートしてくる。叩かれたり蹴られたりがあったりだとか、何かと理由をつけてお小遣いをカットされたりとか(当時は家事をしてお小遣いをもらう、という方式だった)。タイミングが悪いと夕飯が消えたり。食べ盛りの中高生には辛い話だぜ。一度首を絞められたことがあるのだが、その時は割とマジで死を感じた。そのせい(おかげ?)で新たな世界を知ることになったのだけどそれは別の話。
とはいえ私も私で、本当になんでも話せる親友一人との鍵垢で酷いことを言ったりしていたというのはある。それを勝手に詮索して見つけたのはそちら側だろとは思うが、まぁそこは当時の私の非である。そうでもして発散しないとどうにもできなかったんだけどね。

矛盾

とにかく中学〜高1あたりまでこんな状態だったので私はだいぶ母親が嫌いだった。父親に関しても、自分の苦しさを相談したのにあまり聞き入れてもえらえず、逆に母親への態度を叱責されたことがあった。常に中立だと思っていた父親も別にそんなことはないのだなと軽く絶望して、父親も少しばかり嫌いになった。
ただ、ずっと最悪だったわけではないのが余計にタチが悪かった。全然旅行に行ったりもしていたし、日頃の生活の中で尊敬できるところも多くあった。最悪な時とそうでない時の波があるから一貫した感情を抱けなくて、自己矛盾の塊みたいでそれがまた嫌だった。高2ごろにもなれば、受験のことを本格的に考えないといけなくなったりで互いに険悪なムードは落ち着いていった。高3の時期には総合型受験対策のためにわざわざ広島から福岡の画塾に隔週で通わせてもらったし(結局受からなかったので申し訳ないし)、本当に感謝しかない。ただ、そういう感謝を思うたびに先ほど言ったような矛盾が邪魔をしてきた。
「あんなことをされたのにそれを許すのか」という思いが感謝、尊敬の次には浮かんできてしまってその矛盾があまりに苦しかった。

許せないのは何かという話

大学生になり、家族と物理的な距離も離れたことでより関係は良好に、健全なものになったと思う。私はずっと実家にいるよりも離れたところにいて時折会いに行く、くらいの距離感がいいのだろうなと思ったりした。この一年の大学生活の中で、家族に助けられたことは少なくない。自分にかかるお金も増えた。家賃とか、学費とか。実家に助けられている、自分一人で生きていくことはまだできないのだということを実感する機会も多くなった。最初はそれがとてももどかしかったのだが、結局はどうしようもないし、ありがたいことだ。
思考が拓けるのは本当になんでもない時で、確かこれも授業中とかだったと思う。私は「許すことで許せなかった時の自分を否定するような気がしているのではないか」と急に思い至った。中高時代の苦しかった自分の感情、ひいてはその時の自分自身を丸ごと否定してしまうような気がしているのではないかと思ったのだ。その思考に至った後に出てきた考えは「別にどちらかに振る必要はない」だった。母親、父親という「人」を見るから判断が難しくなる。人の中にはたくさんの「行為」が内包されているから。「この人が好き/嫌い」みたいにしてしまうと全てを好きでいたり嫌いでいないといけないように思えてしまう。でも私が許せないのは「当時の母親や父親の行為」であってそれ以上でもそれ以下でもない。逆に両親の尊敬できる面もあるが、それは行為で判断しているからだ。母親だから、父親だからと手放しで尊敬している訳ではない。当時されたことに関して謝られてもいないし、仮に謝られたとして許せるか自信はない。ただ、当時の私の行為を許せないのは向こうも同じだと思う。というかそうであってほしい。そんな簡単に許されたら、当時の私の必死の抵抗が浮かばれない。
「この人のこの行為は嫌いだけど、この行為は尊敬できる」それが今一番スッとはまる思考だから、それでいいんじゃないかなと思う。

許さないことを許す、みたいなやつ

許さなくていいんだよ、ってよく言われるようになった。もちろんそれは大事なことだと思う。許さなくちゃと思い続けることは苦しい。でもそれとお同じくらい、許すことを許すっていうのがあってもいいんじゃないかなと思う。自分に対して。外野がそろそろ許してもいいんじゃないとかいうのは論外だけど。これまで許せない許せないと思ってきたことが少し綻んだ時に、それを結び直すだけじゃなくて、その綻びを肯定する勇気みたいなのもあってもいいんじゃないかなと思ったりする。選択肢の一つとして。

5月12日、今年の母の日は、スタバのギフトチケットを送った。心から感謝と尊敬の気持ちを込めて。帰省した時とかになってしまうかもしれないけど、もっとちゃんとしたものも送りたいなと思っていたりする。


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