桜を食べる
3月は去る、とはよく言ったもので3月があっという間に終わって、気がつけば4月になった。最近は気温も随分高くなって、桜の開花宣言のツイートも見た。多分桜だ、と思う花が咲いていたのも遠目からだけど見た。亀の速度で文章を書き進めていたらいつの間にか葉桜にすらなりつつある。
私たちは桜が好きなのだと思う。それもかなり。
実体としての桜が咲き始める随分前から、コンビニやスーパーでは桜の食べ物が並べられていた。桜もちをはじめとして、きんつば、どら焼き、クッキーまで。毎年のように出てくるからそういうものだと思っているけど、花を食べるってなかなかだと思う。お刺身のたんぽぽとか、エディブルフラワーみたいに全体の彩り要員として花が駆り出されることはあっても、花そのものをメインに据えて食べようとしているのって桜くらいなんじゃないだろうか。春になれば桜の名所にはどこにそんな人いたんだってくらいの人数が桜を見るために訪れるし、なんなら「さくらまつり」みたいなイベントも開催される。桜のためにわざわざどこかに行って、写真にも収めて、その上食べようとするなんて大好きにも程がある。
食べる、って愛で方としてなかなかにぶっ飛んでいる。食べる行為って一種の破壊行為で、それは桜を見るために集まる行為と相容れない部分があるようにも思う。食べる以上、萎れたり枯れたりしてダメになってしまったものは使えないし。なんで桜を食べるようになったんだろう。多分検索してしまえば歴史的な正解が0.1秒もかからずに出てきてしまうんだろうけどそれでは面白くないのでGoogleの手は借りない。こういう時大抵私がやりたいのは、検索窓に単語を打ち込むことではなくてあれこれ思考を飛ばして考察することだ。世の中わからない方が楽しいこともある。
桜は短命だ。他の花に比べてあまりにも短命だ。シーズンが短すぎるし、見頃なんてもっと短い。満開になった桜は2週間もすればその姿をだいぶ変えている。それに、桜の時期に限って雨が降る。やっと桜が咲いたと思ったら雨のせいでお花見にも行けないしせっかく咲いた花も余計早く散ってしまう。そのくせ、特段香りが強い花でもない。外を歩いていて香りで桜を知覚したことはない。香りと記憶は強く結びつくという。咲いている期間も短く、香りも強くない桜は記憶の中に残り続けるということに関してあまりに不利だ。それでも、人々はなんとか桜を手に入れようとしたんじゃないだろうか。桜の儚さや美しさに魅入られて、どうにかそれを手にしようとしてたどり着いた手段が「食べる」だったのだとしたら、だいぶ好きだ。
桜を一番最初に食べようとした人は、もしかしたら桜がとんでもない猛毒を持っている可能性を考えなかったんだろうか。そんなこと考えないほどに桜をが好きだったのだとしたら、あまりにも真っ直ぐでとても好きだし、その可能性を考えた上で桜を食べようとしたのであればそれはもう愛だ。
桜が好きだ。花屋さんで気軽に買えるようなものではないし、眺めても食べても手に入れられなくて、それでいて何よりも短命だから。今年は20歳になるので、桜のリキュールでも買って桜のカクテルを作ろうと思う。
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