定型人解体②

 ついに待ちに待った心理検査が幕を開けた。今回受けることになったのはロールシャッハテストとバウムテストの2種類である。発達障害の検査といえばWAISが有名だが、私は職業柄普段は検査者側なのでWAISは受けられない(内容知ってるので受けても正しい結果が出ない)のでこの2つのみとなった。これらの検査からだけでも発達障害の特徴は表れるので鑑別は可能らしい。細かいことは知らんけど。ちなみにこの世にはWAIS知ってるマン用の検査も存在しておりその講習もあるらしいが、コロナの影響で講習が受けられずジョンはその検査ができないとのことで今回のような形となった。

 検査はいつもカウンセリングで使っている部屋とは違う、大きめのテーブルと椅子がある部屋で行われ、まずバウムテストから始まった。紙の上に鉛筆で木の絵を描くやつである。久しぶりに手の側面が鉛筆で真っ黒になり、小学生時代の習字(硬筆)の時間を思い出すなどした。次にロールシャッハテストを受けたがこれがかなり時間を要した。検査内容を厳密に記すのは避けるが、簡単にいえば図版を見て何に見えるかを答えていく検査である。私は反応数がやたら多かったため1日では終わらず、後日続きをやることになった。地味にジョンが私の使うワードを知らないこと(知らなくても生きていけるようなものばかり)が多く、スマホで検索して具体例を見せて説明するなどしながら検査を進めた。ジョンはちいかわも知らなかったので、検索して見せると検査用紙にちいかわの絵(フォルムだけ)を描いてくれたが絶妙に上手かった。結局2日間かけて検査を行ったが、その分結果を出すのには時間がかかるらしく、しばらくの間待つことになった。

 そして1ヶ月ほど経った頃、ついに結果のお知らせ日がやってきた。その頃にはメンタルもだいぶ落ち着いてきたせいか、自分は発達障害なんじゃないか?という気持ち1割、さすがに発達障害ではないだろの気持ち9割くらいになっていた。いつもカウンセリングのあと診察という流れになっているのだが、検査結果は主治医から伝える決まりになっているようでカウンセリングでは結果には触れられずモヤモヤしながら診察を迎えた。

 定型人解体①でも書いた通り、結果は「発達障害ではない」だった。主治医も「なんで自分のこと発達障害だなんて思ったの??」みたいな反応で、どちらかというと検査からわかった私の性格の特徴についてたくさん説明してもらった。その時に伝えてもらった内容は、簡単にまとめると「完璧主義傾向が強くて、自他境界が弱くて自分の心を守る力が弱い。不安が強いばっかりにコミュニケーションに抑制がかかる、無駄に頑張り屋さんで知能は高めの人。」ということだった。知能が高めかどうかはさておき、言われてみると性格は確かにそうだなという印象だった。検査結果はカルテなので渡せないとのことだったが、後日私向けに作った検査結果の用紙をジョンが渡してくれるとのことだったので、この日は説明だけにとどまった。(ちなみにこの後ジョンは検査結果の用紙を作るのが遅くなりまたしても延期が発生して謝られた)(ええんやで)

 そして後日、ジョンから待望の検査結果まとめ用紙が渡された。内容としては、私の持つ強い不安感や自他境界の弱さ、不安の背景に深く傷ついた経験があることがまとめられていた。高い不安感により、特に対人関係において非常に慎重な態度になったり、相手が怒っているのではないかと思いやすかったりするため、人間関係や業務で非常に多くのエネルギーを使い疲弊しやすくなっているとの指摘があり、「ほんまにそれな」となるなどした。実際私は人に怒られることをとてつもない恐怖として感じており、とにかく怒られないようにして生きてきた。自分なりに従順、真面目、誠実を貫いて生活を送ってきた。全ては他人に怒られないようにするためであり、そこに「生きる喜びー!」とか「遊ぶ楽しみー!」などは介在しない不自由さであった。多分ではあるが、その根底には「父に怒りをぶつけられて怖かった体験」があるように思えた。我が家の父は昔は癇癪持ちで、気に入らないことがあると不機嫌を撒き散らしたり、怒鳴ったり、物を壊したりした。時には私にゲンコツを食らわせたり、アザができるほど腕をつねったり、胸ぐらを掴まれて脅されたこともあった。とにかく大人を怒らせるととんでもない目に合わされて損をする、という恐怖だあるのだ。また、対人関係における慎重な態度の原因として小学校、中学校時代のいじめの経験が関係していると推測された。仲間はずれや暴言、嫌がらせなどの経験が「他人の機嫌を損ねると嫌な目にあうぞ」と私のコミュニケーション態度を抑制したのである。一時期、男性とは恐怖で目も合わせられないほど怯えていたこともあったので、私の対人関係における不安感や男性に対する恐怖は根深い。

 この高い不安感は私の恐怖を煽るのみならず、自他境界にも影を落としていたというのだから相当な曲者である。ジョン曰く、高い不安感は情緒が成熟するのを妨げる性質があるらしい。このために、私は自分の感情や思考をそのまま受け止めたり、自分の感情と他人の感情を区別してとらえることが苦手になっているとのことだった。確かに私は他人の感情を自分の感情のようにダイレクトに受け止めて疲弊したり、他者が自分の感情を理解してくれないことに対して不満を抱くことが多かったように思う。彼氏(元)に対して「どうして私の気持ちをわかってくれないの?」と理不尽な怒りをぶつけたこともある。私自身も相当迷惑な女である。わかって欲しけりゃ言葉で説明しろ、それでもわかってもらえないことなんていくらでもある、伝える努力さえ怠る愚者が他人を責めるな、と今なら昔の自分に言えるが残念ながらタイムマシンは現代には無い。これから先は「自分と他人の経験は異なるため相手がどう思っているのか本当のところはわからない」というめちゃくちゃ当たり前の事実を常に念頭において生きていく必要があるわけだが、なにぶん30年ほどかけて築き上げた性格なので色々大変である。しかしながらジョン曰く、「自他境界の曖昧さは、自分が今やりたいと思っていることを大切にしてあげるだとか、自分が抱いた怒りや悲しみを適切に他者に伝えることで改善されていく。」らしく、主治医からも「私は私って思うことが大事だよ。」と助言があったので、ジョンと主治医の言葉を胸に自分で自分を育てなおしていきたいと考えている。暇な人は上手くいくよう祈ってくれると助かる。

 そして肝心の私が「自分は発達障害なのでは?」と疑いをもった特徴については、やはり私の不安感が原因になっている可能性があるとの記述があった。ジョン曰く、不安感が強まる際、おおまかにゆったりと考えることが難しくなり、曖昧さを避けようとして細かい点を順に見ようとする傾向が現れやすく、そのためものの見方が一貫しなくなり、見落としや確認漏れが生じやすくなっていると考えられるとのことだった。また、これは私の個人的な推測だが、私は長い間入眠の困難さによる慢性的な睡眠不足に悩まされていたこともあり、その分注意散漫さやミスが増えていたため「自分は異常なのでは?」と思い込むきっかけになっていたのではないかと考えられる。ちなみに今は1日9時間ぐらい寝ているので休職前のように日中の強烈な眠気や頭のぼんやり感に悩まされることは滅多にない。睡眠時間の確保と正しい睡眠サイクルはやはり大事であると実感した。その他にも発達障害のように感じられる特徴はあったものの、大体のものはやはり私の持つ強い不安感で説明のつくものがほとんどであった。自分の些細なミスにとらわれてしまう完璧主義傾向や、強い不安感、睡眠不足など様々な要因が折り重なって「生きづらさ」となり、いつしかわかりやすい名前を求めて発達障害ではないかという疑いに結びついたのである。結果として私の生きづらさに名前はなく私の性格によるものだったが、発達障害ではないとはっきり言ってもらえただけでも私にとっては救いである。ちなみに発達障害当事者のフォロワーに「発達障害じゃなかったよ!」と伝えると「お祝いパーティ解散!」と言われた。危うく祝われるところであった。私のウジウジに付き合ってくれた彼女には感謝である。「ひとまずお疲れ様」の一言にもほっとさせられた。

 残すところ後は「私の傷つき体験」「ジョンが見つけた私の良いところ」となったが、長くなったのでこれらについては定型人解体③に続く。

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