涙はスコールのように

 今年卒業するサークルの先輩に、色紙を書かなかった。
 もう会えなくなるのに、一言も残す言葉はないのか、と、散々嫌味を言われたりもしたけれど、やっぱり書かず仕舞いだった。なんせ僕は色紙の書き方を知らないのだ。

 高校まで友達も先輩も後輩もいなくて、思い出なんてこれっぽっちもない僕は、色紙というものがどれだか大切か、よくわかっていなかった。そりゃもちろん、可愛がっていた後輩から貰ったらちょっとは嬉しいのかもしれないけど…僕は果たして「仲良い後輩」に含まれているのだろうか、なんて。僕からの色紙なんて、あってもなくても変わらないだろうな、という気しかしない。むしろ、綺麗な色紙に埃をつけてしまうような気さえしてくる。

 そして彼らはきっと僕のことを忘れる。
 色紙にサインされた見覚えのあるような無いような名前を見て、
「えっと、誰だっけ、こいつ」

 そんな悲しみを背負うくらいなら、初めっから彼らの中で、僕の存在なんて無かったことにした方がずっと良かった。


 さて、ここまでこうやって強がりを言ってきたものの、少なくとも僕の中では、忘れたくない思い出というものがあったりする。尤も、これを色紙として捧げる勇気はないので、自分の中の思い出に(色紙のような立派なものじゃないけどnoteに)、遺しておこうと思う。


 それは僕がサークルと距離をおこうとした時のこと。
 ちょうど元カノに未練が残っている人みたいに、僕は部室を訪れた。
 当時友達を知らなかった僕は、サークルが居場所になりかけているのがどうしようもなく嬉しくて、それと同時にその「居場所」が崩壊するのが恐ろしいという矛盾を抱えていた。この状況からどうにか脱却しようと、サークルと距離をおこうと決意して、最後に部室に顔を出すことにしたのだった。

 部室の扉を開けると、そこには松本さんがいた。初めて見る先輩だった。僕は少し口角が上がった。部室という、僕のアイデンティティに、得体の知れないものが当たり前のように介入してきているのが嬉しかった。
 松本さんは僕に軽く会釈をすると、型落ちのゲーム機を引っ張り出してきて、

「マリカしよや」

と言った。返事をする前からゲームをセットし始めている。ずいぶんと慣れた手つきだった。きっとやりこんでいるに違いない。それでもって、ちょうど飽きてくる頃だろう。
 それでも松本さんは、相手にならない僕に何戦もレースを持ちかけてくれて、コースを逆走する僕にとことん付き合ってくれた。


 気がついたら4時間目のチャイムが鳴っていた。嫌な汗が背中を伝った。ああやっちゃった、今まで皆勤賞だったのに。
 それでも僕はもう2回レース戦うと、ようやくコントローラーを手放した。


「松本さんって、毎週この時間いるんですか。」
「いや、気まぐれ。」
「…そうですか。」

 僕は部室を後にした。
 帰り道で綾鷹を買いながら、さっきのことをぼんやりと思い出す。ああ、松本さんに、ありがとうございます、と言うのを忘れた。後でLINEで言おうかな。それとも、松本さんが卒業するときに、色紙に書こうか…。でもこんなちっぽけな思い出、きっと覚えていない。かといって、LINEを追加するのも小っ恥ずかしいし…。

 そう自分に言い聞かせて、その日の日記に一言、「松本さんとマリカした」とだけ記した。6月11日のことだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?