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雑記/「テレビの記憶」


 いま、私の家にはテレビがない。買おうかなあと思って電気屋さんに行ったものの、わあわあしてみただけで帰ってきてしまった。
 先日お酒を飲みながらテレビの話になったら、僕も持ってませんよ、という人が何人かいた。最近は、インターネットとかで無料でみられるから、いらないですよねという話だ。どういうアプリとかサイトとかでみられるのか詳しく教えてもらって帰った。
 なるほどなーとはなったのでみてみたけれど、なんだかちょっと違う。たぶん、私にとってインターネットはテレビじゃないんだ。と気がついた。

 テレビのいちばん最初の記憶は、こども番組のもの。ぺんぎんの女の子のきぐるみがぴこぴこ踊っているのを、画面にくっつくようにじっとみていたら肩に手をかけられて、ちょっとこっちむいてごらん、と言われた。ちょっとこの子、目が変じゃない。そのまましばらく右目にアイパッチをつけて保育園に通うことになり、四歳ぐらいのときに眼の筋肉をとる、みたいな手術をした。斜視と遠視のなんだか混ざったものだったらしい。小学校を卒業するまで遠いおおきな病院の眼科に通った。担当の先生がちょっと女優さんみたいな美人で、口紅の色がいつもきれいだった。気球の見える機械と、スターウォーズのエピソードⅠでアナキンがつけていたみたいなめがね。写真の虫の羽をつかんでみせる検査。ぺこんぺこんの待合室の長椅子。待ち時間が長くて退屈だったけどきらいな場所じゃなかった。

 実家のテレビは、でっかい台風がきた年に屋根のアンテナが傾いて、民放がほとんど映らなくなった。そして、それをとくにだれも直そうとしなかった。なので、基本的にチャンネルはWOWWOWだった。
 家にひとりでいる時間が長かった小学校中学年からは、WOWWOWの映画のCMを流して過ごしていた。つけっぱなしだったのだから映画もみているはずなのに、映画の記憶がない。合間合間に流れる、その紹介が好きだった。ヒッチコック特集の「めまい」「鳥」、「マルコヴィッチの穴」が怖かったんだと思うけれど、いちばん覚えている。本編はきっとみていない。

 ちょっと戻って保育園から小学校低学年まで、やっぱり家にひとりの時間が長いので、ママのお家で過ごしていた。同じようなこどもたちが数人いて、屋上でしゃぼんだまをしたり、裏山に探検に行ったり、隣家の塀を登って仁王立ちしたりしていたが、セーラームーンの時間になるとみんなでテレビにはりついた。
 みんながテレビにべったりなので、ママが、この線から前ではみたらいけま線、を作った。みんなその線にひざを合わせて、頭だけ出す前傾姿勢で、まこちゃんやタキシード仮面を追いかけた。
 セーラームーンじゃなくて戦隊ものだったかもしれない。「パーティーを一生懸命準備したのに、それがだめになってしまう」というような内容の回があり、つらくてテレビの前から逃げた日があった。話の途中で、あ、これはだめになっちゃうんだ、と気づいた瞬間、その先のキャラクターの表情がみられなくなり、柱の陰に隠れて耳を塞いだ。
 ママのお家に泊まることもよくあった。眠る部屋とテレビのある部屋は同じ畳の部屋で、そこに布団を敷き、私はパパとママのまんなかで眠った。テレビはつけっぱなしで、スーパーひとしくんとか黒柳徹子さんのいる番組がよく流れていたから、特定の曜日がお泊りの日だったのだろう。たいてい番組のとちゅうで私は眠ってしまうのだけど、たまに目をあけると放送終了のカラーバーがでていて、パパの顔や、枕元の灰皿が青く照らされていた。

 小学校後半、乱れる画面でドーバー海峡横断部、や、ポケビ・ブラビの対決、までは自宅でみていた記憶がある。でも、「笑う犬の冒険」あたりからはさっぱりになった。
 学校にいくと男子たちがおもしろかったネタを真似していて、テレビがみられないから知らない、というと目の前で披露してくれたことがあった。ミル姐さんを極めている男の子がいて、原型がぜんぜんわからないのにすごく笑えた。
 アイドルのこともよくわからなくて、モーニング娘。のどっちが辻ちゃんでどっちが加護ちゃんか、とか、SMAPが何人なのか、女の子たちに教えてもらったり、写真のカードをみせてもらったりした。わからない、ことが逆に面白がられている節があったので、得しているなという気持ちもあった。もー、しょうがないな、なんていいながら、女の子たちは好きなアイドルを教えてくれた。

 高校生になって一人暮らしをはじめた。買ってもらったのはテレビデオだった。新生活セットで、掃除機・冷蔵庫・レンジ・テレビで三万円、というもの。このテレビデオは大学での一人暮らしにも持っていった。というか、掃除機も冷蔵庫もレンジも全部、大学卒業までいっしょだった。すごく好きだったのに、大学卒業のときにぜんぶ捨ててしまった。
 高校生のとき、これじゃあほとんど二人暮らし、というぐらい私の部屋にいた同級生がいた。その子は私のひとつ上の階に住んでいた。テレビが好きで、いろんな番組に詳しかった。みたいドラマが、ふたりとも部活でみられない、という日があり、テレビデオの説明書をひっぱりだして、ビデオ録画をしたこともあった。録画に使ったビデオ自体がどこからきたのか覚えていなくて不思議だ。
 その子は氷川きよしが好きじゃなくて、彼が映るとすごいはやさでチャンネルを変えた。嫌がらせで彼の曲を覚えて歌うと、ほんとうに嫌がられた。
 テストの時期、勉強しなきゃ、といいながらふたりでテレビをみていた。ラスト・フレンズというドラマで、ちょっとはげしめなDVの場面があった。その子はこわいから、と言ってクッションで顔を隠し、でも内容が気になる、と言うので、隣で私が実況をした。テレビデオと丸いこたつの前できゃあきゃあ言って、その時私はふと、テスト期間は長くいっしょにいられるんだなと気がついた。

 大学からしばらく、同棲していた人もテレビが好きだった。みたい番組を調べてちゃんと録画して、しかもそれをちゃんと全部みて消化していたのですごいなと思っていた。テレビは私にとって風景のひとつで、どうしてもこれをみるんだ、という意識があまりなかったからだ。その人の録画した番組をソファにもたれてよくみていた。知り合いがでてきて、芸人さんと結構ながい時間やりとりしていてうれしかったり、駅伝でいきなり地元の同級生がアップになったり、謎の企業のCMに先輩が出てきて踊りだしたのをみたりもした。適当につけていたらおもしろいものに出会える、偶然のうれしさがあるんだなと気がついてたのしかった。

 最近、住みはじめたこの部屋は、家賃を言うとお酒の席でちょっと受けがとれるぐらい安くて、古くて、広くて、きれいで、景色がいい。この部屋を選ぶとき、いつも面倒をみてくれるお姉さんの車に乗せてもらい、たくさん不動産をまわった。どの部屋もなにか違っていて、お姉さんも私もため息ばかりで夜になった日、最後にみた部屋がここだった。一歩入った瞬間、ふたりともここだ、となった。部屋の雰囲気がいちばんやさしくて、ここなら呼吸ができると思った。
 この部屋にはまだテレビの記憶がない。テレビがやってきたらどうなるのかな。いつも、時間のまわりは可能性ばかりで、ふらふらしてしまう。記憶を文字にこぼしてみて、私はたぶんもう少し迷いたいと思っている。



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