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【質問のマジック】質問の意図を知る

先日、

飲みにケーションは“あり”か“なし”かのアンケート結果を見ました。

“あり”と“ない”は半々くらいの結果だったと思いますが、“なし”を選んだ人の理由が興味深かったです。

飲みにケーションは“なし”と答えた人は、コミニュケーションがないからという理由が多かったように思います。

確かに、、

コミニュケーションのない飲み会は“なし”というのはわかります。

しかし、飲みにケーションという造語はコミュニケーションのある飲み会の事だと思うので、

コミュニケーションがない飲み会は飲みにケーションにはならないように思います。

飲み会でコミュニケーションは取れないというのであれば、飲みにケーションはなしというのもわかりますが、、

アンケートでなしと答えた人の多くは、コミュニケーションのなみ飲み会は嫌なだけで、コミュニケーションのある飲み会であればあり、というのが大半でした。

そうであるならば、ほとんどの人が飲みにケーションはあるはずなのに、実際には半々の答えという結果になっていました。

質問した側がコミュニケーションがない飲み会は“あり”か“なし”かを聞きたいのであれば、その結果でいいのかもしれませんが、

もし違うのであれば、質問の意図が質問される側に伝わっていなかったといえると思います。

もしかしたら、飲みにケーションのことをコミュニケーションがない飲み会の事だと思っていたのかもしれませんが、

コミュニケーションのある飲み会である飲みにケーションを、コミニュケーションがない飲みにケーションと混同する事があっては、適切な統計が取れる質問になっていないように思います。

飲みにケーションに関する質問が、どちらの意図でされたのかはわかりませんが、“あり”か“なし”という2択の質問は、

質問をした人と質問された人との間に、質問の意図に関するズレが生じる事があるように思います。

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“あり”か“なし”かの2択で聞かれてしまうと、質問で聞かれている事の意図とは、違う解釈をしてしまう事があるように思います。

多くの事が、ありの事もあればなしの事もあり、どちらでもないという事もあるように思います。

科学の正解においてもあるという事は証明できても、なしという事を証明する事はできないという話を聞いた記憶があります。

そのため、科学的な専門家がなしと言っている事は、正確に表現すると科学的にあるという事が証明できていない事がある、となるそうです。

個人的にその事が”あり”か”なし”かは個人が決める事だとは思いますが、個人的に思う”あり”か”なし”かで、一般的な”あり”か“なし”かが決まる事はないと思います。

規則やルールで決まっている事であるならば、“あり”か“なし”かはそれに従って決めれば良いと思いますが、そうではない事に関しては、どちらになるかは人それぞれ違ってもいいと思います。

“あり”か“ない”答えを誘導してしまう事があるように思います。

“あり”か”なし”かの質問は、答えが明確である反面、物事にある事実や人の心の思いを的確に表しているとは言えない事が多いように思います。

男女の友情は”あり”か”なし”かという質問もよく耳にしますが、実際にあるかないかでいえば”ある”だと思います。

もちろん、質問している側は個人的な意見の統計を取っているだけの時もありますが、”あり”か”なし”かの質問の答えがどちらか片方だけが多かった時は、なぜか少数の方がおかしいという事になる場合があるように思います。

実際にそうする人がいればその事はあるという事になると思うのに、”なし”と思う人が多いという理由だけで、”あり”はおかしいとしていくのは違うように思います。

”あり”か”なし”かの質問は、実際に”ある”か”ない”かを聞いているのではなく、自分はどう思うかを聞いているだけなのに、自分の意見が多数派になった時に少数の人の意見を「おかしい」とするのは違うと思います。

あっても何も問題がない事を自分と違う少数意見だからというだけで「おかしい」と否定するのは、その事の方がおかしい事だといえると思います。

”あり”か”なし”かの質問は、質問している側が何を聞いているのか、その意図を理解せずにいると思わぬモメ事に発展する事もあるように思います。

人は質問の意図を理解しないまま、その質問に答えてしまう事があるように思います。

もちろん、質問している側が意図を理解してもらいやすいよう質問をしていない事にも問題はあるとは思いますが、何を質問しているかがわかりにくい時は「それはどういう事ですか」と聞き直す事が必要だと思います。

質問されたらすぐに答えなければいけないという事はなく、質問されたらすぐ答えなければいけないと思っていると、質問の意図を理解できない事にまで応えようとしてしまう事があるように思います。

世間話のような会話であればそれでもいいかもしれませんが、質問されたらすぐに答えなければいけないと思ってしまうと、質問の意図を理解しないと答える事ができない事にまで、答えてしまう事があるように思います。

特に、”あり”か”なし”かのような2択の質問の場合には、質問の意図を理解しないまま答えてしまう事があるように思います。

そのような事を続けていると、自分でも気づかない内にすべての事を”あり”か“なし”かで考えてしまう事もあるように思います。

この質問は何を聞きたいのか、その意図を理解しないまま自分の想像で答えていると、知らず知らずのうちに自分の意志とは違う方に流されてしまう事もあるように思います。

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質問に答えるにはその質問で相手が何を聞きたいのか、その事を理解する必要があるといえます。

特に、質問する方が「どう思いますか」「どうなんですか」という抽象的な質問をしている時は、何に対してどうなのかを確認する必要があると思います。

特に答える必要がない事であれば「どう」という質問に答える必要はないと思いますのが、仮に答える必要がある事であっても自分の想像で答えてはいけないと思います。

その時は、「どう」は何に対して「どう」なのか、その事を理解する事が必要だと思います。

相手はその質問をする事で自分の何を知りたいと思っているのか、そして、自分はその質問をしている人に何を伝えたらいいのか、それは質問の意図が理解できなければできないように思います。

”あり”か”なし”かの2択の質問は答えやすさがある反面、人の思いを誤解されてしまう事がある質問の仕方だと思います。

”あり”か”なし”かの議論をしていても有益なものが生まれる事はないように思います。

”あり”か”なし”かの質問されたもので、実際に存在し、法律違反ではなく、道徳や倫理違反でもないもので、あれば全部”あり”だと思います。

社会的にあってはいけないものでなければ、実際に存在している事であれば、”あり”か”なし”かの質問はすべて”あり”になると思います。

自分はその事をしないと、その事が”なし”という事は違うと思います。

存在してもいい事に対して”あり”か”なし”かの質問をして、”なし”という答えが出る事は、質問の答えとしては間違いだと思います。

もしその質問をしたいのであれば「あなたはその事をしますか?しませんか?」になると思います。

自分がするかしないかと、その事が”あり”か”なし”かは全く別の話しだと思います。

質問の答えが全く別の質問の答えになってしまうと、人の思考に歪みが生じてきてしまい、その内に捻れていく事もあるように思います。

思考に歪みが生じ捻れていくと、あってもいい事を自分がしないという理由だけで”なし”と思ってしまう事があるように思います。

そう思ってしまうと、自分がしない事はすべて”なし”だと思うようになり、自分が”なし”と思う事をする人をおかしいと思ってしまう事があるように思います。

それがエスカレートすると、”あり”か”なし”かではなく、自分と違う人をおかしいと思っていき、自分と違う人を阻害してしまう事があります。

自分と違うというだけで誹謗中傷したり、差別してしまう事がもあるように思います。

自分がその事をするかしないかと、その事がありかなしかは違うという事を理解できれば、自分個人のありかなしかだけて、物事のありかなしかを決める事はしなくなっていくと思います。

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自分がしないという事だけで
その事の”あり”か”なし”かを決めている事はありませんか。

個人的な”あり”か”なし”かは自分決めても構いませんが、

それ以外の”あり”か”なし”かを
自分の個人的な意見だけで決めるのは良くないと思います。

その事が法律や道徳、倫理に反していない事であるならば
自分がしないという理由で”なし”にしてはいけないと思います。

自分が”なし”と思っている事は本当に”なし”の事なのか

よく耳にするありなしの統計に惑わされて
あってもいい事を”なし”だと思っていたりしませんか


”あり”か”なし”かの質問にある意図は
自分にとっての”あり”か”なし”かだと思え
例え自分の意見が多数派になったとしても
存在してる事が”なし”になる事はないと思います。

その事がわかっていても
理解までしている人は少ないように思います。

誰もがしてはいけないと思う事はなしだと思いますが
もしそうであるならば
”あり”か”なし”かの質問自体が成立しないように思います。

自分がするから”あり”で、自分がしないから”なし”は
その事が”あり”か”なし”かの答えにはなっていないと思います。

質問の答えになっていないものを答えだと思う事ほど
自分の思考が歪んでいく事はないと思います。

その事があってもいいのに自分はしないという事で
その事がある事を否定している事はありませんか。

もし、そのようなことがあるならば

思考が歪んできているかもしれません。

思考が歪んできている時は
思考の歪みを元に戻す事が必要です。

思考の歪みをそのままにしていると思考は捻れていき
他の人や自分の心を傷つける行動が増えていきます。

思考の歪みを戻すのは自分1人では難しい時もあるので
自分の心の思いのすべてと向き合う事で
自分の思考の歪みを元に戻していく
癒しのカウンセリングを活用するのも良いと思います。

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