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【心にある落とし穴】未健康な心にあるダークサイド

自分の心は病気ではないけど健康かと言えばそうでもない、そんな状態を個人的には未健康な心と呼んでいます

未健康とは字の通り未だ健康ではない状態の事なので、健康ではないのであれば健康になっていく事が必要だといえます

未健康は病気や未病ではないから、未健康のままでも問題はないのでは、そう思うこともあるかもしれません

確かに未健康な状態でも、自分から健康になろうとしている人であるならば、未健康の状態であっても何も問題はないと思います

しかし同じ未健康の状態でも、自分で健康になっていこうとしていない人の場合は、未健康な状態だからこそ陥ってしまう大きな問題が存在しています

未健康な状態なのに自分で健康になろうと思う事がなく、他の癒しなどに依存していれば健康になれると思い込んでいると、未健康な心のダークサイドという落とし穴に陥ってしまう事があります

日々の生活にあるストレスによって慢性的に心の疲れている時は注意が必要です

心の疲れが慢性的になって今の自分のダメな所ばかりに目がいってしまい、自分と向き合いたくないと心の顔が下を向いている時に、未健康な心のダークサイドに陥ってしまう事が多いからです

事実を見たくないと心の顔が下を向いてしまうと、普段なら見える事のない未健康な心のダークサイドの扉が見えてしまう事があります

普段は見えないものが見えると何故か扉の向こう側が気になってしまい、開けてはいけない扉を自分から開けてしまって未健康な心にあるダークサイドに陥ってしまう事があります

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心のダークサイドに陥ってしまうと、下を向いていた心の顔はやがて横を向いていき、最終的には後ろを向いてしまい心のダークサイドの一番深い底まで落ちてしまう事があります

そうなってしまうと、すべての事に後ろ向きになっていき、自分のダメな所はすべて他のせいだと思うようになってしまいます

こんな事を思ってはいけない、そう思ってそんな事を思った自分を否定している時は、自分と向き合う事ができずに心の顔が下を向き始めている時かもしれません

どんなに思ってはいけない事を思ったとしても、思った時点で修正していけば思った事が自分の思いになる事はないと思います

それなのに思った事自体がいけないと思った自分を否定してしまうと、常に良い事しか思わない自分としか向き合えなくなってしまいます

もちろん、良い事しか思わないようになれるのが一番いいとは思いますが、だからといって、良くない事を思った自分を否定していくのは良くないと思います

ただ思った事と自分の思いは違うと思います

その時に思った事は自分が思った事だとは思いますが、その事を思っていて良い事かどうかを見極めて、思っていても良いと思う事だけ自分の思いにすれば何も問題はないと思います

例え、思ってはいけない事を思ったとしても「今の思いは無し」と自分の中でダメな思いを消去していけば、それが自分の思いになる事はないと思います

それなのに、ダメな事を思ってしまう事自体を否定してしまうと、ダメな事を思った自分の心の顔は下を向くようになっていきます

自分が思った事自体を否定していく事は、自分そのものを否定していく事に繋がる事もあり、それだけではなく、思ってはいけない事を思ってしまう自分を否定してしまうと、思ってはいけない事がそのまま自分の心の中に残ってしまう事があります

思っていけない事が心の中に残ってしまうと、そう思っているのは自分のせいではない、いや、そもそも、誰もが思う事で思ってはいけない事ではないなどと、自分の思った事が間違っていると気づいていながら思った事自体を正当化しようとしていきます

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未健康な心を自分で健康になると思わないでそのまま放置していると、良い自分だけと向き合いけどダメな自分とは向き合わないようにする為に、ダメな自分を否定する事でなかった事にしようとしていきます

そんな事をしてもダメな自分が無くなるわけでもなく、そのままダメな自分を否定する事でなかった事にしていると未健康な心のダークサイドに自分から陥っていきます

心が健康であれば未健康な心のダークサイド自体が生まれる事はありません

心が病気や未病の人も未健康な心のダークサイドに陥る事はありません

心が病気や未病の人は未健康な心のダークサイドを生むだけの心の力がそもそもありません

もちろん、未健康な人であればすべての人が未健康な心のダークサイドに陥るという事ではありません

自分で健康になると思っている未健康な心の人は、未健康な心のダークサイドに陥る事はありません

心が未健康な人でも自分で健康になると思っている人であれば、未健康な心のダークサイドが生まれたとしても自分でその扉を開けようとはしないからです

しかし、未健康のままでいい、或いは、自分では何もせずに誰かに健康にしてもらいたいと思っていると、未健康な心のダークサイドの扉を自分から開けてしまう事があります

自分で健康になると思っていない人は、未健康な心を自分を否定する、或いは妄想や幻想を見る事で、向き合いたくない自分と向き合おうとする事がないので、未健康な心のダークサイドに自分で陥っていきます

心のダークサイドには自分が扉を開けなければ陥る事はありませんが、一度でも陥ってしまうと他の人がそこから引き上げる事は中々できません

病気や未病の心の時は他の力を届ける事で助ける事ができますが、未健康な心のダークサイドには他の力が届かないので助けたくても助ける事ができません

そういった意味では、未健康な心のダークサイドに陥ってしまった心は、病気よりも怖い未健康な心だといえます

未健康な心のダークサイドから脱出する為には、未健康のままではいけない、未健康な心は自分で健康な心になると思う必要がある事に気づいて、自分で這い上がってくる事が必要になります

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今の自分の心の顔がどこを向いているかで、未健康な心のダークサイドに陥る危険度は変わってきます

自分が向き合いたくないと思う事と向き合わないように、事実から目をそらそうとしている事があるならば心の顔は下を向いているかもしれません

どんなに心の顔を下に向けて目の前にある事実から目をそらそうとしても、そこにある事実が何か変わる事はありません

それだけはなく、自分が向き合いたくない事と向き合えない事を他のせいにしている事がある時は、心の顔は下ではなく横を向いている時だと思います

心の顔が横を向いてしまうと自分のせいであっても他のせいだと思おうとしてしまい、未健康な心のダークサイドから這い上がる所かもっと底の方に自分から落ちていきます

他のせいにしている自分を肯定してくれる、或いは、正当化してくれる人の言葉が心地よく思う時は、心の顔が横を向いている時だといえます

心の顔が横を向いてしまうと、嫉妬や憎悪の気持ち思い中利が大きくなり、他の人を攻撃する事で自分のダメな所を自分が見ないでいいようにしていきます

他の人を攻撃しても自分が何か変わる事はなく、良くなる事もありません

自分が何も変わらず、良くもならない事に満足感を得ていくほど虚しく、侘しく、哀しい事はないように思います

もし、心の顔が横を向いているのであれば、今の自分が心地いいと思える言葉や、今の自分を何でも肯定してくれる人の声に耳を傾けるのではなく、ちょっと口うるさくて自分にとっては耳が痛くて聞きたくない事でも言ってくれる、そんな自分と正面から向き合ってくれる人の声に耳を傾けていく事が必要です

そんな人たちの言葉が、未健康な心のダークサイドから自分で這い上がる為に一番必要なアドバイスになっていると思うからです

未健康な心のダークサイドは、心が病気でも健康でもない未健康な心の人であれば誰にでもあるとは思いすが、そこに陥るかどうかは未健康な心から健康な心になると思うかどうかで変わってきます

健康な心になると思って、向き合いたくない自分とも向き合う事ができるようになれば、自分は悪くないと良くない自分を正当化したり、自分のせいなのに他のせいにしたりして、未健康な心のダークサイドに自分から陥っていく事はなくなると思います

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あなたの心の顔はどこを向いていますか

心の顔が真直ぐ正面を向いている人は

自分の良い所もダメな所もすべて受け入れ

向き合いたくない自分とも向き合う事ができていると思います

自分の良い所だけ受け入れているだけでは

自分と向き合う事ができているとはいえません

心の顔を下に向けて自分のダメな所を見ないようにすれば

ダメな自分を亡かった事にできると思うのは間違いです

自分が心の目をそらして見なかったとしても

ダメな自分はダメな自分のままです

ダメな自分から自分が目をそらしている限りは

ダメな自分が良くなっていく事はなく

なりたい自分になっていく事もなく

自分の人生が本当に幸せだと思う事もないように思います

今の自分に自分が見たくないと思う部分がある時は

なぜ見たくないと思うのかを自分に問いかけましょう

なぜ見たくないかの理由の中に

ダメな自分を良くする課題があると思います

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