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【客観的に見る】 客観的な視点を持つ

自分は自分で他の人は他の人、そう思う事はありますか

自分は自分であると思っていても、周りの目が気になってつい他の人と自分を比べてしまう、そんな事はありませんか

自分は自分でいる事は、周りの意見を聞かずに自分以外を受け入れていかないという事ではなく、人は一人として同じ人はいなく、それぞれに違いがあるという事を受け入れていく事だと思います

自分は自分でいる事ができるようになるには、物事を客観的に見る視点が必要だと思います

人は自分の主観を通して物事を見ていると思います

自分の事であっても、周りの事であっても、人は物事を主観的に見ているといえます

主観的とは、自分一人のものの見方・感じ方によっているさまの事であり、主観的に見るという事とは自分の視点だけで物事を見ている事を指していると思います

世の中には全く同じ人は存在していないので、双子であっても、どんなに同じように見えていると思える人であっても、全く同じ視点で物事を見ている事はないと思います

そうであるならば、主観は一人一人違うものであり、ものの見え方が人によって違う事があっても何も不思議ではないように思います

ものの見方は人それぞれだとしても、物事にある事実は一つしかないと思います

物事の見え方は人の数だけあったとしても、そこに存在している事実は一つしかないといえます

事実は一つしかないから、誰もが自分の主観で物事を見ていても大きな問題にならないように思います

しかし、どんな事実があるかが良くわからない事に関しては、それぞれの主観がわからない事を補完してしまい、大きな問題になる事があると思います

誰もが自分の主観で補完しているだけの事を正しいと思ってしまい、収集がつかなくなる事もあるように思います

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どんなにわからない事を主観で補完しても、事実がわからない事にある事実は、今はその事がわからないという事実が一つあるだけだと思います

それなのに人は、わからない事をわからないとする事ができずに、わからないという事実とは違う事実を自分の主観だけであてはめようとしてしまう事があります

どんなに自分がわかりたいと思っていても、わからないという事実がある事がわかる事はありません

それなのに人は、わからないという事実がある事がわからないのは困ると自分が思ってしまうと、自分の主観だけでわかろうとしていく事があるように思います

それをしてしまうと、それまで事実がわかっていた事まで、事実とは違う自分の主観で補完した事実になってしまいます

自分は自分だという事を自分の主観だけで物事を見る事だと勘違いして、何でも自分の主観だけで物事を見ていくようになっていきます

それでは、人の数だけ物事の事実ができてしまい、それは事実ではなく私実になっていると思います

物事にある実ではなく、私の中で有効な実である私実でしかないように思います

自分は自分を勘違いして、自分の主観だけで物事を見てては、事実を私実にしていくだけだと思います

事実を私実にしない為には自分は自分を勘違いせずに、人それぞれ違いがある事を認めて主観的ではなく客観的に物事を見ていく事が必要だと思います

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客観的とは、特定の立場にとらわれず、物事を見たり考えたりするさまの事であり、人は客観的な視点を持つ事ができる事で自分は自分でいる事ができるようになると思います

自分の主観だけで物事を見ていては、本当の意味での自分は自分になる事はできないと思います

主観的ではなく客観的に物事を見ていくには、自分のわかりたいように物事をわかろうとするのをやめていく必要があります

人はどうしても、自分が見たいものだけを見てしまい、聞きたい事だけを聞いてしまい、知りたい事だけを知ろうとしてしまうものだと思います

それでは、自分が見たくないものは見ず、聞きたくないものは聞かず、知りたくないものは知ろうとしないようになっていき、、物事にある事実をそのまま見てく事ができなくなりせん

そんな自分の都合の良い事しか見ていない人が、本当に幸せな人生を送る事ができるとは思えません

物事を客観的に見れていくのと同時に、自分の事も客観的に見れるようになっていきましょう

自分の事を客観的に見る事ができるようになると、どんな自分であってもそのままの自分を受け入れる事ができるようになります

自分の事を受け入れられないと思う事があるのは、主観だけで自分の事を見ているからだと思います

主観だけで自分の事を見てしまうと、自分が見たくない自分は見ず、自分が聞きたくない自分は聞かず、自分が知りたくない自分は知ろうとしなくなるからです

それでは、誰であってもそのままの自分を受け入れる事はできないと思います

本来は、自分の事であれば自分のすべてを受け入れる事は誰もができるはずだと思います

それなのに、自分を受け入れられないと思う事があるのは、主観だけで自分を見てしまうからだと思います

主観だけで自分の事を見るのではなく、客観的に自分の事を見れるようになるにはどうしたらいいのか

人は、自分の事ではなく他の人の事であれば客観的に見る事は意外とできるものだと思います

もちろん、他の人の事を見る時も自分の主観が入りますが、自分の事を見る時のように主観だけになる事はあまりないように思います

他の人の事であるならば客観的に見れるのであれば、自分の事を他の人の事だと思って見る事ができれば、主観的に物事を見てしまう人でも客観的に物事を見る事ができるようになると思います

自分の事ではなく他の人の事である、そう思う事で、自分の主観を少し外す事ができるようになると思います

実際に「自分ではどうしていいのかわからない」という自分の問題から目を逸らしている人に対して、全く同じ問題を、自分ではなく他の人の問題として問いかけてみると、意外と的確なアドバイスをする事ができるものです

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問題は同じなのに、他の人の問題だと解決する手段が思いつくのに、自分の問題だとどうしたらいいのかわからない、そう思ってしまうのは自分の主観が強いからだと思います

すべての問題がそうだとは言いませんが、少なくとも客観的に物事を見る事ができると、問題に対して自分は何をしていけば良いのかがわかってくるように思います

自分と同じ問題を抱えている他の人に対しては、自分の問題を解決できていない人でも他の人の問題の解決策はわかる事があるものです

それなのに、どうしたらいいのかわからないと思う事があるのは、自分でもわかっている問題の解決策を、自分はやりたくないという思いがどこかにあるからだと思います

そこには、問題を抱える自分を、自分が受け入れる事ができていない自分がいると思います

どんな自分でも受け入れる事ができるようになる為には、客観的な視点を持つ事が必要だと思います

自分の主観があっても構いませんが、主観的な視点よりも客観的な視点の方を強くする事が必要だとえいます

自分はという視点が強すぎる時は、自分の事ではなく他の人の事であったらと思うようにしてみましょう

それでも、主観的な視点が大きいと思う時は、他の人はどう思うのか、自分とは違う視点を持っている人を具体的に思い浮かべて、その人がどういう捉え方をするのかを想像するのもいいと思います

そうしていく事で、自分の主観は弱まっていき、客観的な視点で物事を見れるようになると思います

しかし、客観的な視点で物事を見る為に主観をなくそうとするのは間違いです、主観が全くなくなってしまうと、自分で物事を判断しようと思う事がなくなり、すべての事を自分ではなく他のせいにしていくようになってしまう事があるからです

客観的な視点で物事を見るという事は、決して他の人にすべての判断を委ねて、自分の事を他の人のせいにする事ではありません

客観的な視点で物事を見るという事は、自分の主観と折り合いをつけて事実をそのまま見ていくようになるという事です

事実をそのまま見る事ができれば、どんな自分であっても受け入れる事ができますし、どんな自分であっても前に進んでいく事ができると思います

自分の事を客観的に見る事ができていますか

実際に見えているかという事よりも

見ようとしていく事が大事だといえます

人はどうしても物事を見る時には自分の主観が入ります

主観で物事を見ないようにする事はできないと思いますが

主観だけで物事を見ないようにする事はできると思います

今の自分が見ている事には自分の主観が入っている

そう思って自分が見えている事を見ていく事で

客観的に見ようとしていく事は少しずつできると思います

物事を「そうに違いない」と思っている時は

主観だけで物事を見ている時だと思います

本当にそうであるという事に対して

そうに違いないと思う事はないと思うからです

そうに違いないと思っている事にあるのは

自分の主観だけで「そうである」と思っている事にすぎません

始めは「そうかもしれない」というたたの想像が

「きっとそうだ」という妄想になっていき

主観による「そうに違いない」という思い込みになっているだけです

そうかもしれないというただの想像を

きっとそうだという妄想にしていくのではなく

実際はどうなんだろうという実相にしていければ

物事を客観的に見る事ができるようになっていきます

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