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【同調圧力】相手をおかしいと思う

自分が聞きたいと思う事は、相手が答えるまで聞こうとしていきますか
誰もが話せる事でも、人によっては話せない、或いは話したくない事はあるように思います

もちろん、自分が聞きたい事を聞いてはいけないという事ではなく、自分が聞いた事を相手が答えない時は、「なんで」と思うのか「まあいいか」と思うかでは違いがあると思います

答えない相手に「なんで」と思って、「そんなのおかしいよ」「何を隠しているんだよ」と詰め寄るのは良くないように思います

自分が聞きたい事を聞く権利は誰にでもありますが、答えたくない事を答えない権利も誰にでもあると思います
聞かれた事であれば答えなければいけない、という義務のようは事はないと思います

私たちは、人に何かを聞かれたら答えなければいけないと思ってしまう事があるように思います
しかし、自分が答えなくても良い事まで、無理に答える必要はないと思います

自分が聞きたい事を聞く自由はあると思いますが、その事に相手が答えるかどうかは、聞かれた方にも答えるかどうかの自由はあると思います
どんなに多くの人が答えてくれる事であっても、その事に答えなくても良い事であれば、答える義務はないと思います
それなのに、「どうして」と答えるまで聞き続ける人は意外といるように思います

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相手が答える必要がある事に「どうして」と聞くのはわかりますが、自分が答える必要がない事に「どうして」と聞くのはちょっと違うように思います
相手が聞かれた事を話したいと思っている訳でもないのに、答えない事に「どうして」と聞かれても、逆にどうして答えなければいけないのかと聞き返したくなります

まぁ、私は聞き返してしまう方なのですが、どうでもいい質問の時は大概の人は一回聞き返せばその質問はやめてくれるのですが、中にはしつこく「どうして」と聞いてくる人がいます

その場合は同じやり取りが繰り返されるだけなので、場の空気が悪くなってしまう事もあります

その時は、もっと上手く対応すれば良かったと反省する事もありますが、そんな行動する人と友達になりたいと思う事はなかったように思います
何が聞きたくて、何が答えたくないかは、人それぞれ違うと思います
人として失礼な事でなければ、誰が何を聞いても良いとは思いますが、答えなくても良い事まで答える必要はないと思います

特に、どうでもいい事に関しては答える必要はないと思います
どうでもいい質問に答えない時ほど、「なんで、答えてもいいじゃん」と言われる事が多いように思います

もちろん、何かを行う上でその情報が必要であるならば、聞かれた事に答える必要があるとは思います
しかしそうでなけれ、聞かれた事に答える必要はないと思います
大概は誰もがそう思っているとは思いますが、多くの人が答えてくれる事に答えない事があると、「なんで」「おかしい」と詰め寄るのは違うように思います

多くの人が答えられる事が答えられない人がいても何もおかしい事はなく、その事を「なんで」と疑問に思う方がおかしいように思います
そう思う人にあるのは、自分が容認できる事だけ受け入れて、容認できない事は受け入れずに否定する思考があるように思います

自分と同じ事は認めるけど、自分と違う事は認めない、そんな自分勝手で利己的な思考があるように思います

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本当に相手の事が知りたいのであれば、皆が答えているという同調圧力を使うのではなく、その人が答えたくなるような質問をする必要があると思います
それなのに「皆が」「普通は」と同調圧力を使っている時は、相手が答えたくなるような聞き方を自分がしていない事に気づく必要があると思います

人は、自分が正しい、そう思っている時は、同調圧力を使ってしまう事があるように思います

皆が、普通は、という言葉を使う時は、その事は本当にそう思うような事なのか、そして、皆が、普通はの事であったとしても例外があってはいけな事なのか、その事を一回考える必要があると思います

答える必要がないどうでもいい事であれば、答えるか答えないかはその人の自由だと思います

聞く人の自由があるのであれば、答える人の自由もあるように思います
聞く側には聞く自由があるのに、答える側に答えない自由がないのはおかしいように思います

それは、例え多くの人が答えている事であっても変わらないと思います
答えない事と隠す事は違うと思います

良く聞かれた事に答えないと隠していると思う人がいますが、そんな事はなく、答える必要がないと思っているだけの事もあるように思います
もし、自分が聞いて答えてくれない事があるならば、それは相手のせいではなく聞いている自分のせいだと思います

聞いている自分が相手が答えたくなる聞き方をしていないだけだと思います
それなのに、答えない人のせいにしている人はいるように思います
そこには、自分は間違っていないという思い込みがあるように思います
間違っていなければ正しいかと言えばそうともいえず、仮に正しかったとしても、その正しいは唯一無二の正しいではないと思います

自分が正しいと思う事を聞いているのであれば、答える事ができると思うのは間違いだと思います

本当にその質問に答える必要があるのか、その事が大事だと思います

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どうでもいい質問には気軽に答えるのに、大事な質問には答えないのと、大事な質問には答えるけど、どうでもいい質問には答えないとでは、どちらが相手に対して真摯に向き合っているといえるでしょうか

前者の方がコミュニケーションが取れていると感じてしまうと、みんな同じがいい同調圧力が生まれていくように思います

どうでもいい事に対していくらでも自分の事をさらけ出していたとしても、重要な肝心な事を何も話していない人と本当のコミュニケーションが取れるとは思えません

それよりも、どうでもいい事は答えないけど、大事な事には必ず自分の考えを答えてくれる人との方が、本当のコミュニケーションが取れると思います
コミュニケーションは、自分と意見が同じになる事ではなく、お互いの意見をお互いが理解していく事だと思います

自分と同じ意見だからというコミュニケーションは、コミュニケーションではないと思います

趣味など同じ事がある人は話しやすいのかもしれませんが、話しやすい事とコミュニケーションが取れている事は違うように思います
コミュニケーションを取って相手の事が知りたいのであれば、相手が答えたくなるような聞き方をする必要があると思います

それをしていないのに、「どうして」「おかしい」と答えない事を相手のせいにしていては、相手と本当のコミュニケーションを取る事はできないと思います

本当のコミュニケーションを取る事ができないから、同調圧力に頼るようになっていくように思います
自分が聞いた事に相手が答えないからといって、同調圧力を使うのはやめましょう

「別に答えてもいいじゃん」と思う事は、別に答える必要もない事だと思います

そうであるなら、答えるも答えないもその人の自由で、答えてもらえないのはその人のせいではなく、聞き方の悪い自分のせいだと思うようにしましょう

そすれば、その人が答えやすい聞き方を自分が考えようとする事ができ、同じでない事でも共有できる本当のコミュニケーションが取れるようになると思います

皆が、普通はなど、同調圧力を使っている事があるなら、同調ではなく、まずは共調して、そして、共有するようにしていきましょう
それには、相手にどうしても聞きたい事があるならば、どうして聞きたいかを相手が理解できるように言葉を使い、相手が答えたくなるような聞き方をするのが大事だと思います

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自分が聞いた事に答えない人がいると不快に思いますか
その事を答えるのが当たり前と思う当たり前は
本当に当たり前の事ですか
人は、当たり前ではない事を
自分が当たり前だと思っているというだけで
他の人にも当たり前だと思ってしまう事があるように思います
自分にとって当たり前の事でも
他の人にとっては当たり前の事であるとは限りません
特に個人的な事であれば尚更だと思います
自分の当たり前に多くの人が同意していたとしても
それが誰に対しても当たり前であるとは限りません
同調圧力による当たり前は、当たり前の事ではないと思います
答えが一つしかない事でないのであれば
どんなに同じ答えの人が多くいても
何を当たり前と思うかは人によって違っていいように思います
試験の問題の答えは一つしかないと思いますが
人生の問題の答えは、一つしかないという事はないと思います
自分の当り前は、他の人にも当たり前だと思う事は
人生における答えは一つしかない
そう言っているのと同じ事だと思います
人の数だけ人生の答えはある
そう思えると、同調圧力を使う事はないと思います

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