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制作における自戒のリリック

ものをつくり続けることのしんどさは大学に入って3年経っても全く軽くなることはなかった 手がとにかく遅いから毎回浅いところでタイムオーバーくらってしまってたけど こればかりはもう私はとにかく時間をかけるしかないし、その原因が中弛みと集中力の無さにあるなら序盤しっかり加速するなり、ターム制にするなり あと1年はもっと自分に合う策を持った上で制作に取り組むということに尽きる

春季休業期間はいろんなこと並行しながらやってた(気がする) 1人でしんどくなりながら自主制作的なこともしてたし(相変わらずの遅筆と散漫な集中力で)   制作のしんどさは結局己と向き合い続けることにあると思う 私などはできる限りタスクを省くことで今までやり過ごしてきたが、もう自分自身がそんなやり方に嫌気が差してきたというか 前々から姑息なこのやり方に自分で納得したことはなかったけど もうそろそろ誤魔化さずに態度で示したらどうですか?自分 まず単純に量をつくれってこと そこから選べ、省けってこと

圧倒的アウトプットの経験値の少なさとそろそろ真正面から向き合うときが自分的にきたのだとひしひしと感じる 大体、アウトプットの少ないやつほど、手を動かさないやつほど卑屈なんだから〜 これは確信 そのくせ人のアウトプットにはやたら厳しい 厳しいっていうかやっぱり卑屈というか、斜に構えてる 無知の知を手にしていない状態 気づいてないけど同じ土俵にも上がれてないですよ状態 自戒〜

言葉とか文章は好きだし、ある程度は私たちにも必要な能力というか要素だとは思うが 文のまま人にキャプション以上のウェイトのある、「作品」として提示したらそれは物書きを生業にする人、言葉のプロフェッショナルがやることじゃん、と思う 私たちがやっちゃだめだとは言わないけどさ 私たちじゃなくてもできるよね?とは思うわけです っていうかそもそも便利じゃん、テキストって 質はどうあれ、体裁がいとも簡単に整うし 文字は人類の最高の産物だし 文章で表現したくてしたくて仕方がないならそれはむしろやるべきだけど、別の表現から逃げてるだけならお前は何?と思うのも正直なところ そういうの本当はかなりむかついちゃうな (自分で逃げ場閉ざす音)

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