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音楽という名のタイムマシン

タイムマシンがあったら未来よりも過去へ行きたい。未来へ行こうとは全く思わない理由はきっと少しだけいつも絶望していると思うから。

昨日の夜はタイムマシンに乗った気持ちだった。いろんな時を自由に行き来した。アイビーと出会った15歳の頃、テレンと出会った16歳の冬フェス、ポリープによる活休、きっともう会わない父のこと、20歳になり鬱病の診断書を出された日、そんな日でも握りしめたチケットと向かった場所にいたivytofraudulentgame シシャモのバンドマンや椎木さんのハイエースに乗ってを聴いて思い出す人は今も松本大であること。

大切なものを具現化するときっと昨日のような日だと思う。あたたかくて優しかった。一度大切だと思えたものは、振り返った瞬間も大切だと愛おしくなる。それは何年経った今も大切に思ってしまうから。

前だと思う方が前とは限らない。右に曲がったら前かもしれないし、一歩引いたら別れ道かもしれない。前だけを進み続けたわけではない22年間。続けた事や変わらない事よりも、辞めた事、諦めた事のほうが多かった。すべての選択が正解である必要はないが自信はある。今の環境が有り難く、愛おしくてたまらない。そりゃ理不尽もある。良いことばかりではない事は当たり前で、それでもなんか生きていたらこんなにも素敵な日が待ってた。生きていてよかった、よりも、死ななくて良かった、と言ってしまうほど死をリアルに思っていた。

ここまでは19日に書いたのですが途中で尽きたので今から続きを書きます。

私がこのバンドを見つけた時の彼らと今の私は同じくらいの歳になった。期待されて入社した会社では何も残せず、うつ病の診断書を提出して退職を決めた。無駄なプライドが邪魔をして顔向けできない人だらけ。好きなことしていて羨ましいと言われる私が好きな事をするために使っているお金は何度も死んでくれと望んだ二度と会わない父親だった人から最後にもらった愛だったと思うようなもの。

SNSには綺麗な事しか載せない。楽しい事しか載せない。可愛いものしか載せない。

6時半から21時過ぎまでアルバイトをはしごするフリーターである事。親の離婚や無言の食卓、泣き疲れて寝落ちした夜。築20年を超える壁の薄い賃貸アパートは丁寧な暮らしからは程遠い。

私は外から見るほど綺麗じゃない。何も持っていない。最後はお金じゃ買えないものにしか価値はない事を知っているのに明日もきっとショッパーを両手に持つ。

ずっとどこか悲しい。消えない傷という言葉が憎いほど大嫌いでそんな言葉では片付かないほどなのにどこか装飾品のように思っている。

高校生の頃のような純粋さには戻れない事が悲しく、それでもちゃんと生きてきた自分のおかげでこんなあたたかい気持ちになった。アイビーやテレンの事をまだ大切だと思える。

大切なものは目に見えない、という言葉が頭に浮かんだ。紛れもなく大切な歌、人、空間、気持ち、が、目の前にあった。

音楽というタイムマシンに乗って、今日もあの夜や、あの涙や、あの人や、あの勇気や、気持ちや覚悟や、私の事を思い出す。

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