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私にとっての故人の偲びかた

我が富岡家は、両親の「死者に遣う金はない」という方針により、墓参りをしないし、仏壇もない家だ。親族の命日さえ、相続が終わってしまえば忘れてしまう、そんな家だ。
その背景には家族の確執の歴史があるのだが、一般的には故人に対して冷酷に見える家だといえるだろう。

そんな家で育ったので、故人を偲ぶことが私は苦手だ。
私の中から、故人の思い出はどんどん消えていく。今日は、忘れたくない故人との思い出をここに残しておこうと思う。

私の「推し」が死んだ

フィクションの作品の、一番好きな登場人物の死を、先日見届けました。
姉妹をとても大切にしている人でした。姉の死をきっかけに、本音が言えなくなった人でした。それでも、朗らかに、強く生きた人でした。

フィクションの作品とはいえ、遺体も残らない最期がとても悲しかったです。でも、その人は故人の偲びかたを私に思い出させてくれたように思います。

たとえ、お墓に行けなくても

フィクションの作品の故人には、お墓がありません。そもそも、現実世界に居ないのですから。
それでも、登場した場面を思いかえせば、思い出を語ることができます。語りあう仲間がいなくても、故人がいたことを思い出せます。

昔読んだ別の作品で、「人は、誰からも忘れられたときに、死ぬんだ」という趣旨の台詞があったような気がします。
墓参りの習慣がない私は、この言葉にだいぶ救われています。「そうか、いつまでも覚えていればいいのか。語り継げばいいのか」と。

母方の祖父と、残されたミッフィー

母方の祖父は、いつもご機嫌で、人を喜ばせるのが好きな人でした。帰省した孫を、知的好奇心が満たせるテーマパークに連れていくのが大好きで、古今東西の色んなお菓子を準備して待っていてくれる人でした。
私が中学生の頃に闘病の末に亡くなりました。

祖母の方針で祖父の遺品はほとんど処分されてしまったのですが、祖父が私たち孫に買い与えた品々は残りました。それが、見出し画像の薄汚れたミッフィーです。
本当は私の妹のものだったのですが、捨てるというので貰い受けました。

私が、今になって祖父を尊敬するところは、父方の祖父が「女の子」「孫」「お姉ちゃん」などと肩書きでしかものを見られなかったのに対して、個人そのものを大事に扱ってくれたところです。
祖父は決して私のことを「お姉ちゃん」とは呼ばなかったし、私が何に興味を示そうとも好意的に受け止めてくれました。そんなところが大好きでした。

自らの時を止めた同級生

ここから先は、だいぶ重い話になる。
でも、決して忘れてはいけない思い出。

私は、とある時期に同級生を自死で亡くしている。仮に「遠藤さん」と呼んでおこう。性別は明かさない。遠藤さんはそれを望まないだろうから。

私と遠藤さんは、部活仲間だった。友達かと問われれば、そこまで親密ではなかった気もするが、2人で下校中に哲学ごっこをするのが好きだった。私たちは世界の真理や秘密を知りたかった。少なくとも私は、そういう関係だと思っていた。

ある日、遠藤さんは私に言った。「人が死んだら、周りはどうなると思う?」と。
私はいつもの哲学ごっごだと思って、返答した。「周りは悲しむかもしれないが、社会は止まらず動き続けるだろう」と。

私と遠藤さんは、クラスが違った。これは後で遠藤さんと同じクラスだった人から聞いた話だが、遠藤さんはこの時期、ひとり物思いに沈んでいたらしい。
遠藤さんの訃報を聞いて、私は理解した。あの日の言葉は、いつもの哲学ごっこではなく、遠藤さんの本音だったのだと。

遠藤さんは、形見分けの件以外は遺書を残さなかった。何が遠藤さんを決断させたか、それは今となっては遠藤さんだけの秘密だ。
遠藤さんが亡くなったのは、あの日の言葉から時期が空いているけれど、もし、遠藤さんが背中を押された言葉があったとしたら、それは私の言葉だと思う。つまり、私の言葉が遠藤さんを殺したようなものだ。

あの日、あのとき、私は何と返答するのが正解だったのか。
私が死ぬまで考え続けることが、遠藤さんに対する誠意だと思っている。