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いつでもさりげなく安心をくれた重鎮の話

こんばんは、お久しぶりです!
最近は誕生日記念にまた函館に行っていました。
春夏秋冬と函館には行きましたが、やはり最初に行った
雪の積もっている函館や、北海道が好きですね

まぁ現地の人の身からしたら、そんなわけないだろっ!!(笑)
って感じなんだと思いますが(笑)

さて今回はそんな何かと縁をくれる函館と、函館に纏わるとある
バンドの話をしに来ました。


〇JIROさんとの始まり

早速ですが、今日の主人公は GLAYのJIROさんです。
JIROさんとの出会いは、もとはといえば12歳年上のお姉ちゃんが好きだった人だったな~くらいの感覚でした。

だいぶ私からしたら年代が上の人たちだったので、学生の私まではかなり遠い、縁のない存在だと思ってました。よく音楽番組見て「GLAYだね~」っていう程度です。

さてそんな私がなぜJIROさんと出会うことになったのかという話ですが、
まぁきっかけは優君です
もう本当単純な理由です(笑)

専門の頃に友達に話していたので、在学中に優君に出会って、本編を始めるまでの間にJIROさんとは出会ったんだと思うんですが(記憶喪失)、私は絵を描くにしても形から入っていくスタイルなために、参考になるベーシストがいないものかと探していました。
そんなときに、ちょうどTwitterで当時のダイナーのクラスタさんが「KYOHSOとGLAYってなんか似てるよね!」と銀髪の姿(Rock around the world)のJIROさんの写真とともに見たことがきっかけでした。衝撃的でしたねあれは。

当時擦り切れるレベルで見てたDVD

大好きなファンの方からしたら、なんて理由なんだろうwwという感じなんで、申し訳ないんですが、私の推しの大体の根本は優君がいるので、ご了承くださいwwwwwww

そんなこんなで、いつしか当時不仲だった姉とJIROさんの話をするようになったり、優君とともにJIROさんを見る日々が始まります。
それが2016年の6月頃でした。


〇甘ったれていた私に待っていた試練の中にいてくれた二人

当時の私は、専門を卒業し、今ほどこんな世の中でもなかったので、就職に関しても親の心配から逃げるようにフリーターを続けていました。
その時の接客業がまぁ~合わなくてですね(笑)
軽くノイローゼ気味になってしまったり、かなりやつれてしまってました。
休憩室でぐったりとしている中で、当時来てくれていたKYOHSOや、GLAYのCDを姉に借りたりしては、GLAYに勇気をもらっていました。
私が知らずに音楽番組を見ていたときに、GLAYも大変苦労していたことを私は知らなかったので、そんな彼らの等身大の曲は、私の中にも染みわたっていました。
今ではサブスクに入っているので、すっかり色々な過去の曲を手軽に聴けるようになりましたが、当時の私はそうではなかったので、ゆったりとGLAYを知っていく日々でしたね。

まぁそんなある日、GLAYのライブが当たり、念願の生ライブハウス体験をするわけなんです(笑)
KYOHSOのライブがまさかそのあとやるとは思ってなかったので、この時はKYOHSOのライブの疑似体験の意味も込めて気合が入ってましたwww
姉ももちろん来てくれます。
当時不仲だった姉には、とても嬉しく、久々の姉妹での一日だったので、とてもふたりにとっても何か意味のある日だったように思います。

たくましき姉の背中

そしてその日を境に少し我が家に試練が起きるのですが、その翌日に、KYOHSOのゲームの続編が発売し、
またその次の日に、母親が脳梗塞で倒れることになります。

まぁ暗い話をしたいわけではないので、詳しいことは省きますが、当時20歳になったばかりで、ましてや社会人として逃げていた自分にはかなり天から罰が下ったんだとしか思えないほど絶望していた日々でした。
そんな時に姉と、私を支えてくれていたのは優君や、GLAYの曲でした。
そんな思い出に包まれ、GLAYは役目を果たすように私の中で一区切りがついていきました。

それが2016年のGLAYとKYOHSOの日々です。

それから時は経ち、舞台は数年後の2021年に移るわけです。


〇KYOHSOと函館

2021年、KYOHSOとの日々は相変わらず続いてたので(現在進行形)
KYOHSOや、その間にも出会った推し達とともに忙しい日々を過ごしていましたww
ちょうどあの地獄のクラファンの資金により()ダイナーも少し潤ったのか、この年は更なる新曲が発表されたりなど、色々とダイナーも再び進み始めた年です。
私については前記事でも語っていますのでそちらをみてくださいww

まぁ精神的にきつかった一年でした。
そんな10月あたりのある日にダイナーが旅行企画を発表します。
なんでこのご時世にやるねん!!アホ?!?と大変怒っておりました私ですが、()なんとその場所が、KYOHSOのになんの縁もない函館でしたwwwwwwwwwwwwwwww

これはもう何度でも言いますが本当に今でも意味がわかりませんwwww

私のきっかけはそもそもJIROさんと優君を重ねていたことから、こんな偶然に、どう反応したらいいのか1年経った今でもわかりませんww

GLAYとしての用事ではなく、KYOHSOとしての用事で、こうして私は函館に行き、数々の奇跡を起こしていくことになるわけなんです。


〇やはり安定感のある二人のコンビ

2022年はずーっと函館尽くしでしたwww
もう本当に書ききれないくらい行くたびに何かしらの奇跡が起きます。
そして、テミン君が不在の中、いつもテミンくんと、優君で支えられていた生活が2016年ぶりに、JIROさん、優君に支えられた一年になったと思います。

KYOHSOと函館アリーナ

〇ずっと尊敬する憧れの人

2022年はそんなこんなで、久しぶりにJIROさんや、GLAYの歴史にさらに踏み込んでみることにしました。
私からしたら私に優しさを教えてくれた函館に恩返しする気持ちで、GLAYを知ることも、函館を知ることも、全てが気持ちのいいことでした。

去年一年、私の考えや、心も大きく変わり、
強さを手に入れた1年です。
大きく人生の変わった年と思ってもいい一年でした。
そうなったきっかけは優君であり、函館であり、そしてJIROさんです。

シャイニーに優しさを教えてもらったように、なんだか温かい気持ちや、
温かい世界をJIROさんを通してまた感じられたことが本当に嬉しかったですね。

JIROさんは私にとって、例えるなら
小学生の女の子が、年上のかっこいいお兄さんを見て、もじもじしちゃうあの感情と同じですwww
つまり憧れですよね。
だから”推し”という気持ちではなく、私には手の届かない憧れのお兄さんです。

そして誕生日を再び迎えるまでの間、私は2016年の感謝も込めて、できる限り一か月間JIROさんに課金や、お金を落とそう~^wwという小さな恩返し兼、自分への誕生日まで悔いを残さないというKYOHSOの教えを守る行動に出ます。

2016年、当時お金がなくてできなかったことは、ラジオ(私の地域では有料範囲だった)、アプリ、ファンクラブです。
ただこの中で手軽に一か月できることは、ラジオだったので、一か月間ラジオの有料契約をしました。

まぁこれも偶然なんですが、ちょうど私の誕生日にJIROさんのラジオがやったりなど、いろんなミラクルがあったので、本当縁しか感じないですwww


〇7年ぶりの存在はずっと変わらなかった

1か月ラジオを欠かさず聴いて、
こんなに長く知っていたはずだったのに、
まるで初めて聴く声のように、私のしらなかったJIROさん
を知ることができたようで、でも私の思うJIROさんのままで
本当に楽しめた1か月でした。

やっぱりJIROさんという人の考え方や、生き方がさらに好きになったり、
私が知らなかった間に私の好きな曲のジャンルにハマってくれたいたことや、JIROさんが選曲してくれる曲に私もハマったり
凄く新鮮で、私の知らない世界にまた連れて行ってくれた気持ちです。

そんなラジオも今日が私にとっていったん最後の日となりました。
誕生日の日に、無事函館でラジオを聴くことができたり、
タイミングよく、ストアが開催され、立ち寄ったり、計6回にも及んだ
函館旅行への気持ちをJIROさんのラジオ宛に綴り、私の再び訪れたJIROさんとの日々はまたフィナーレしました。

凄く幸せな気持ちで、今日以降JIROさんのラジオが聴けなくなることがちょっぴり名残惜しくなったりしながら今日を終えて、このブログを書き残し終わりにする予定だったのですがw、w
つい先ほどwwwwなんとそのお便りが読まれましたwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

「なんでそんな函館行ったの!?(笑)」

という言葉をまさかJIROさんに言われる日がくるとは思いませんでしたwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


本当に悔いのない1年をありがとうございました!!
今度はテミン君にまたバトンタッチしますが、
やっぱりJIROさんは私に最強の方です。^^

2023年 3月5日ポップアップ

というわけで、やっとJIROさんに言われて
函館行き過ぎたことを自覚する私でした^_^(笑)

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