ジョンが出会った読者たち【第1話】
前回「中村さんの結婚式in福建省」にて、「誌面の都合上書ききれなかったエピソードをお話します。話の続きはこちらまで」と自分の携帯番号をTVBros.に載せました。するとたった1件ですが、ホントに読者から電話がかかってきました。『TVBros』の発行部数約30万部分の1に輝いた、栄えある読者をご紹介しましょう!
ごく普通の会社員である僕が血迷って携帯番号を誌面に載せたところから始まる、アメイジング・ドキュメンタリー!
深夜、知らない番号からの着信。恐る恐る「もしもし?」と言うと電話口から「ジョンさんですか? ブロス見ました」と女性の声。
彼女の名前は菊地さん(25歳)。キクボルタと呼ばせてもらうことにした。僕は誌面に書いた約束通り、中国の話やレストラン開業計画など、福建省・平潭島に関する取材で得た様々なことをひと通り話した。30分ほど話しただろう。そして、僕は彼女に質問した。
「どこに住んでるんですか?」
「熊本です。3.11の震災で逃げたんです。熊本に」
僕は自分の話よりも、彼女の話のほうが気になって仕方なかった。その日、キクボルタさんは「東京に行く機会があれば、お会いしたいです」と言っていた。翌週の日曜夜、突然携帯が鳴った。
「東京に行くので会えませんか?」
キクボルタからの電話だった。大好きなバンドのライブが下北沢であるらしい。というわけで、急な話だが、翌日月曜の夜に会うことになった。
待ち合わせ場所にいたのは、大人しそうな女性。顔は光浦靖子さん似。小さなリュックを背負って、ビニール袋を手に持ち、水木しげるの妖怪柄のワンピースを着た今時の女性である。
読者ブロファイル① キクボルタ:本名、菊地さん。25歳。熊本在住。愛読書はブロスとコミックビーム。ビニール袋のは靴(予備?)などが入っていた気がする。妖怪柄のワンピース。2泊3日とは思えない小さなリュック。スニーカー。メガネ。
失礼ながら直感的に「こんな変な人はなかなかいない」と思った僕は、矢継ぎ早に質問をした。
◆
—— そもそもなぜ熊本に?
「坂口恭平さんが疎開者を受け入れるために開設した『ゼロセンター』へ行ったんです。当時10万円くらいしか貯金がなくて、それを握りしめて向かいました。ちょうど大学の卒業式の時期に原発がああいうことになって、就職も決まってなかったですし、もう、こうなったら熊本に行ってしまおうと思ったんです。タダで住めますし」
—— なかなか行動派ですね。
「放射能にビビっていただけです(笑)。あとは無職っていう身軽さもあって。それまでは実家の静岡と大学のある東京くらいしか行ったことがなかったんですけどね」
—— 熊本に行ってからはどうしたんですか?
「ゼロセンターには2〜3カ月いたと思います。行ったばかりの頃はあそこも人でいっぱいでした。住んでる人は、お子さんがいらっしゃる方が多かったですね。あとは千葉で引きこもっていたって人もいました。子供を心配しての移住か、無職で身軽だからこその移住のどちらかでしたね」
—— ゼロセンターの後はどちらへ?
「ゼロセンターで知り合った人を伝って、人の家を転々としました。で、湯布院の旅館での住み込みの仲居さんの仕事を見つけて、それを始めたんですが、これがとんでもないブラック企業で」
—— どうブラックなんですか?
「宿泊者数に対して仲居さんの数がとっても少なくて、とにかく休みがないし、社長が男なのになぜか女子寮に住んでいたり、飾ってある菊の花も葬式の払い下げ品だったり、お料理もレンジでチンだったり…。3カ月くらい働いたんですが、あまりの過労で過呼吸を起こして倒れました」
—— キクボルタさんは今25歳ですが、過去にバイトの経験は?
「学生時代は映画館でバイトしてました」
—— サブカルくそ女の臭いがしますね(いい意味で!)。旅館の後はどうしたんですか?
「2カ月ほどタイに行ったんですよ。ちょうど今日観にいった大好きなバンド『パスカルズ』の石川さんがタイに行くって聞いたので、追っかけしたんです」
—— パスカルズの石川さんって、あの『たま』のランニング?※
※石川浩司さん。「たま」というバンド時代にランニングシャツがトレードマークとなり、「たまのランニング」と呼ばれていた
「そうですそうです」
—— やっぱり、サブカルくそ女ですね…。
「正直この頃は放射能がどうだとか、もう頭になかったです。タイ楽しかったですねぇ」
—— 帰国後は?
「福岡のカレー屋さんで働いてましたが、最近その仕事も辞めて、熊本に戻りました。今は無職ですが、熊本は移住者たちのコミュニティができていて、すごく暮らしやすいんです。今後も熊本に住みたいです」
◆
ブロスでも熊本の移住者の話が何度か掲載されたことがある。遠い国の話のように思っていたが、まさかその中に読者がいただなんて。ブロス読者の人生をも大きく変えた3.11。震災のことなんて忘れがちになりつつある今日この頃ではあるが、やはり、この日本社会において大きな分岐点だったということを、改めて痛感せざるを得なかった。
ということで今回も語りおろし! 話の続きは090-6143-2407へ!
スペースの都合上書ききれなかった各種ボルタのエピソードをお話します。ジョン・ヒロボルタ(平日は21時以降におかけください。土日はいつでもOK)。メールはhirotakufr@aol.comまで。
(「TVBros.」2012年9月12日発売号掲載)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?