【みやまる】電車映画のようなもの その33-田園に死す-

一時期寺山修司と区別がつかなかった人物がいる。つげ義春だ。確かに”メメクラゲ”と”毛皮のマリー”の差ってどう言ったらいいかわからない。共通して言えるのは両者かなり「妖しい」作風だが登場人物がなかなかタフである。左腕を押さえて彷徨う『ねじ式』の少年も「冗談はやめてください!」と反論するし、この作品のサーカス団員もみんな結構元気そうだ。

中3で初めて『フェリーニのローマ』をNHKのBSを見た時、「こんな映画、あっていいのかよ!」と大きなショックを受けた。まるで夢を見てるかのような激しくて楽しくてごちゃごちゃした「映像の遊園地」という印象だった。そしてその遊園地はこの作品で青森に来たんだ、という風に感じた。ローカライズというか、日本人にうまく合わせた真面目で暗いエナジーに満ちた遊園地になったけど。

芸術をやるにはそれ以上に体力がいるということである。それは観る側も。体力がある時の鑑賞をおすすめします。そして廃車になったらしい列車のシーンは強いシュールの連続の映画のなかで一息つける場面である。

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