【みやまる】電車映画のようなもの その15-しゃべれども しゃべれども-

 落語家の人々には近寄りがたい色気とも妖気ともつかないなにか近寄りがたいものを感じることがある。座布団一枚の上で「芝浜」のような人情噺から「あたま山」のような不条理までを完結させるところにあるのだろうか。将棋の棋士にも似たものを感じる。

 今昔亭三つ葉(国分太一)は都電荒川線沿線という根っからの江戸っ子の彼はよく言えば一本気、悪く言えば融通の利かない二つ目の落語家。ひょんなことから「話し方教室」を開くことになった三つ葉のもとに笑わない美人・五月(香里奈)、大阪から転校してなかなか東京に慣れない小学生村林(森永悠希)たちが不思議と集まってくる。

 落語映画といえばやはりこのシリーズのタイトルのもとになった森田芳光監督の「の・ようなもの」が浮かぶ。「の・ようなもの」が落語家の弟子仲間という狭いコミュニティーだったのに対し、本作は話し方教室という開かれた集まり。そして国分の演じる三つ葉はずっと居心地が悪るそうにしていたところだ。自分だって弟子の身分なのに生徒を持ってしまったという違和感。そして本人がそのことにもがけばもがくだけ見てるこちらが笑ってしまうのは落語の「魔力」なのだろう。「の・ようなもの」が切ない落語映画の頂ならばこちらは爽快な一作である。

 この映画で唯一気になったのは悪役が「宮田」だったこと。僕の本名だ。


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