【みやまる】通ぶれる野球バナシ 48球目

ーさすらいの球団ー

 毎度おなじみ流浪の番組・・・はタモリ倶楽部だが毎年同じ時期に「さすらい」をせざるを得なくなってしまっていた球団があった。

 阪神はかつて「死のロード」と呼ばれるロードゲーム(サッカーでいうアウェーゲーム。野球では敵地戦をこう呼ぶ)が連続して行われる時期があった。阪神のホームは阪神甲子園球場。甲子園といえば高校野球。高校野球開催の時期にはセリーグの他の本拠地を転々と遠征し、ただでさえ調子を崩しやすい夏場を長期敵地で過ごしていたため低迷の要因になっていた。だが最近ではオリックスの本拠地である京セラドーム大阪で試合を開けるようになった(その間、オリックスは準本拠地の神戸で開催)ため「死のロード」も過去の話に。阪神もAクラスが増えてきた。

 またロッテオリオンズ(マリーンズの前身)は一時期ホーム球場がなくなってしまい東日本各地の球場で転々と「ホームゲーム」をやっていたことがある。72年オフにそれまでの本拠だった東京スタジアムが閉鎖となり次のホームスタジアムが見つからず、仙台や東京や静岡などあっちこっちで主催試合を開催。マスコミからは「ジプシー・ロッテ」と揶揄された。78年から大洋(現・DeNA)が川崎球場からその年に完成した横浜スタジアムに移転し、空いた川崎にロッテは安住の地を得た。5年に及ぶ放浪生活の成績は決して悪いものではなく74年には日本一に輝いている。

▲74年当時のロッテ監督・金田正一。その年のパ・リーグMVPは弟である金田留弘。ロッテの投手だった。

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