【みやまる】電車映画のようなもの その17-シェルブールの雨傘-

 本題に入る前に嬉しいお知らせ。

 noteオフィシャルのツイッターアカウントに「電車映画のようなもの」が紹介されました!これは俺が「電車映画」の第一人者として認知された証拠ですね(注:違います)。あらためてコーナーの趣旨を説明します。「ワンカット数秒でも電車が映れば“電車”映画だ」という大雑把なジャンル分けのもと、映画論を展開するというコーナーです。師匠が『UNKNOWN FLYING MOVIE RADAR』というこれの飛行機バージョンを連載中でして、「じゃあ俺は電車で…」という軽いノリで始まりました。

★★★

 映画開始10分ほどで気づいたのは「まさかこれ、全部歌うの?」である。ご存知の人も多いと思うが、その推測は正解。ジュヌヴィエーヴ(カトリーヌ・ドヌーヴ)達全員が喜びも悲しみも歌う、歌う、まあ歌う。よく考えると昔、俺んちの近所にいたヤバめのおじいさんと一緒なのに。一歩引いて見ればこれほど変な映画もないのにその「一歩引くこと」は許されないくらいに画面に引き込まれていく。

 そもそもこの映画「こんなんやったら感動するに決まってるじゃ~ん」というような反則技づくめだ。降りしきる雨と雪、色彩豊かなシェルブールの風景、なによりカトリーヌの笑顔は「昼顔」も「ロシュフォールの恋人たち」より本作が一番だ。ギィ役のニーノ・カステルヌオーヴォの「侍ジャイアンツ」の長嶋茂雄風“青ひげ”は気になるもののそんなことはどうでもいい。

 映画終盤に全くしゃべらなかったキャラが話したり、表情の硬いキャラが微笑むような演出は世界的にあるがこの映画は最後まで(豪雪のクリスマス、所帯を持ったギィのガソリンスタンドに元恋人ジュヌヴィエーヌが現れる。これも感動しちゃうんだよっ!)歌い続ける。おそらくどこかで普通に喋りはじめたときに現実に引き戻されるのだろう。カトリーヌと近所のおじいさんが一緒に見えることは最後まで有難いことにやってこない。 

▲ギィのアルジェリア出征のシーンに電車は出てきます。

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