【みやまる】電車映画のようなもの その22-ライク・サムワン・イン・ラブ-

 イランの巨匠アッバス・キアロスタミが東京を舞台に撮った作品の主人公は84歳の老教授。奥野匡演じる渡部タカシは年甲斐もなくコールガールの明子(高梨臨)を自宅に招く。「教鵡」という絵画を軸に二人の会話は盛り上がりを見せる。翌朝明子を彼女の通う大学に送り届けるとそこには彼氏のノリアキ(加瀬亮)が。タカシは明子の偽の祖父を演じはじめる。

 海外の監督が撮影したということはそれほど気にはならない。ただ明子の乗るタクシーの車窓から見える新宿や高速道路の風景は、「東京」という街を美しく映している。この作品は夜に始まり次の日の夕刻にエンディングを迎えるがじわりじわりと日の向きが変わる演出はアジア人監督らしい美がある。日本人には見慣れた高速の下を電車が通る風景も、鮮やかな光の変化で表現している。

 なんて固く書いちまいましたが、一番この映画で素敵なのは奥野匡の「老い方」である。女に生まれたら絶対「枯れセン」になってたと公言する俺は男は35すぎてから真価が出ると常々思っていたが、この映画で確信に変わった。ノリアキの前でタカシは人生の後輩にのらりくらりとばれないように嘘をつきつつ人生の後輩と語り合う。このスローながらも皮肉をこめた話し方は35年間を2回通過したからたどりつけるのだろう。ワシもああいう風に年を取りたい。

▲なぜタカシが明子を呼びつけたかは語られないが、この映画にはそのくらいの曖昧さがちょうど良い。

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