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好きになった温度のままで


ロフトベッドに寝転がって真っ白な天井の1点を見つめては脳裏に焼きついて剥がれない10年前を思い返していた。
トイレの個室に入り泣きながらイヤホンから流れるあのバンドを1人聴いていた2013年17歳の私。


明日には、変われるやろか。
明日には、笑えるやろか。


教室に入れば地獄が始まる。
潜り込まなくちゃいけない。水の底に沈んで息を潜めて、流れるプールから反した私はかき乱して水飛沫を上げないように水中に息を潜める。荒波もいつかはやんでおとなしくなってゆらゆら。そして今度はまた意志のない大衆が別の誰かを軸に回り出す。
逃げ出したい逃げ出したい逃げ出したい逃げ出したい逃げ出したい逃げ出したい逃げ出したい逃げ出したい逃げ出したい。
今までなんやかんや楽しく過ごしていた長くて短い学生生活の中で唯一高2のたった半年間だけが地獄だった。たった数ヶ月が私にとっては何十年も監獄に入れられたような息苦しい日々だった。

チャイムが鳴って終礼になると教室を飛び出してトイレの個室に入る。
あのバンドの曲を聞くこの時間だけが私の頼りだ。この時間だけは素直になれる。涙を流し、ブレザーのポケットに忍ばせたiPodを聞くことの許されたこの10分間が私が唯一水面から顔を出し息継ぎができる時。始業チャイムが鳴れば、また私は潜らなくちゃいけない。あの汚い水の中に。プールというより小さな水槽。〝身も蓋もない〟耳を塞いで目を瞑って潜らなくちゃいけない。寝てるフリをしてみれば、視覚情報を失った私の聴覚は活性化し聞きたくもない話を拾ってくる。だけどクラスメイトと話すのは呼吸が苦しい。だからこうしてただ1日が大きなショックに見舞われずに終わることを願って聞こえないフリ。時々私のことを好きでいてくれる人達がビート板を持ってやってくる。窒息しそうだったことを思い出した。

6時間目が終わったら一刻も早く家に帰る。今日も私はあのバンドの曲を聴きながら1人で歩く。10分20分進んでも進んでも景色が変わらない田舎道を擦り減ってボロボロになったローファーで地面を蹴り上げる。綺麗な靴を新調できるほどの心の余裕もないし、私には似合わない。草木が生い茂る匂いばかりが鼻に付く。今日も私は頑張った。だけど消えない、癒えない。どうして心が砕けていくのか。イヤホンから流れる泣きそうなくらいに鳴いている、鳥籠の中で泣き叫ぶカナリアのように鳴っているあの人の声と歌詞が今日の私が必死に泣き叫びたかった思いを代弁してくれる。

いっそこのまま消えてしまえよ
何も残さなくてもいい
やる気ないならやめてくれ
息してるだけでうるさいし
嘘つきだ嘘つきだ嘘つきだお前嘘つきだ
大好きと大嫌いの間でのたうちまわってる

この曲を歌ってるボーカルが、演奏するバンドが、どんな顔なのかなんてあの時はどうでもよかった。(だからそれを知ったのは、寝癖のシングルが発売された時のこと。)
ただ私はあの時友達が焼いてくれた2枚組のCDプレイリスト中からたった1バンド耳に衝撃が走って胸の振動が高鳴り全身の毛が逆立ったようなあの激震に触れた。リビングのソファで動けなくなってしまった。その日がはじまり。

彼らは私にもう一度音楽を好きにならせてくれるきっかけを作ってくれた。生きる希望を与えてくれた。もう笑える日が来ることは無いのだろうか。そう思ってた私に小さな勇気を与えてくれた。
好きになった次の日に学校から帰るとTSUTAYAで根こそぎあのバンドのアルバムを全部借りた。すぐにiPodに入れるとその日から私は彼らの音楽という大きな大きな救いの手を授かった。聞き漁って載ってる記事も日記も根こそぎ読んだ。
耳と心にどうしてメロディと歌詞が10:10で私を揺さぶるのか、なぜそう感じたのかとルーツを知りたくて手当たり次第調べ尽くしていた。1つ、私とボーカルとの共通点を見つけた。父親がかぐや姫を好きで聞きながら育ったこと。点と点が線になった感覚で、驚いたと同時に嬉しくなった。そして最近の音楽は〜と昭和のフォークロック以外批評家の父親が、あのバンドだけは褒める。若者にだけじゃなくてその世代をも揺るがす私の好きなバンドは凄いと思った。なんだか勝手に誇らしくなった。
私はあの音楽を作った人の思考に惹かれて、どうにかその脳みそに少しでも近づきたくて覗きたくて、好きだと公言している小説や音楽を沢山真似した。歌詞を書き写して考察した。ことば遊びを暇さえあれば考えるようになった。あれだけ何度も挫折したギターを、あの曲達を弾き語りできるようになりたいと練習するようになった。世界が変わったそんな気がした。

やがて、プールの水は抜かれて遊泳禁止の季節がやってくる。沢山の陰口が転がってる汚染した跡は次の学年が使う前に綺麗に掃除しないとな。

新しい学年に上がると荒波が立たない穏やかで綺麗な水面に恵まれて、誰かが中心を担うことのなくみんなで歩幅を合わせて作る流れるプールで悠々と手を取り合って泳ぐことができた。
荒波を駆け抜けてきた私はこの日常に感謝しながら1年を過ごした。

息を潜めることがあまりにも辛く学校に着いても正門には入れなくて帰ってしまうことも何度もあったし、時には1週間休んだり、移動教室がない日だけ学校に行く時期もあった。人がこんなに怖くなることは初めてだった。笑顔の作り方を忘れることって本当にあるんだと自分が驚いた。鬱になるなんて想像つかなかったし夢の中までも不安が襲ってくるあの感覚。そして10代というあまりにも若い時期にそれを経験したことはきっと後にも先にもあの頃よりも苦しいことは今後の人生無いであろうしあったとしても1番感情が蠢く〝10代特有のこの感じ〟それを越えることは無いと思う。
高3になって、私はその年に同じバンドを好きだといった奇跡のようなクラスメイトと共に、初めて生であのバンドの演奏を聴きに行った。
イヤホンやテレビから流れるあの人達の演奏を、同じ空間で聞けることは今でも信じられなかった。ホールツアー13列目。今でも覚えている。なんだか実感が湧かなくて、でもなんだかまだちょっと遠くに感じて私は少し落胆したのを覚えている。でも、凄く楽しかった。そして、嘘みたいに私を救ってくれたあの人達がそこにいる光景が信じられなくて気がついたら泣いていた。その年の冬に2日間の遠征でzepp東京に行った。初めてモッシュというものを経験して挑んだ大きなライブハウスで見たあのバンドは、夏に初めて見た時よりも近くて熱くて側にいるという感覚が私を高揚させ、ボーカルの方の銀歯が見えるほど接近して燃え上がったあの2日間。18歳の私には刺激が強すぎた。耳鳴りがホテルに着いても止まなかった。息が苦しくなるけれど、この苦しさは私が教室でただ1人足掻いていた苦しさとは違う。幸せな苦しさだ。こんなに、こんなに音楽は凄いんだ。こんなに、こんなにこの人達の作る音楽は私を幸せにしてくれるんだ。10歳の頃から思い描いてた私のやりたいことも、あのバンドが思い出させてくれた。

あれから10年。
私は高校卒業後に上京して、そのまま今も東京で社会人のコスプレをしながら日々働き、退勤後はあの時やれなかったことを取り返そうとものづくりなんてしながら不器用になんとか暮らしている。何度も諦めかけたが、デザイナーにもなれた。音楽も作ってときどきライブしている。憧れの人と比べたらとってもちっぽけだけど、誰にも言わずに閉じ込めていた10歳の頃から思い描いていたやりたいことを貫くことができる今の自分は昔よりも息継ぎがしやすくなったみたい。
本当に色んな波に逆らったり溺れたりしながらも、私は相変わらずあの人達の音楽が好きだ。好きになった時の温度のまま、あの人達の音楽が好きだ。そんなに好きでいられたものはこの10年間で他には1つもない。社会人になっても欠かさずツアーに行っている。何十回見に行っているだろうか。何百回涙を流しているのだろうか。数え切れないほどの瞬間を支えてくれているのは今も昔も結局あのバンドだけだ。色んな音楽を知って色んな人生を経験して、好きなものも人も増えていったけど、あの時の熱を帯びたまま、私は今でも涙を流す。
先日の幕張メッセでの2日間も1人で聞きに行った。ライブ中、好きになったあの時のことを思い出していた。
何度ライブに行っても、そこには黒髪ロングの高校生の私が死にそうな顔でただ縋るようにあのバンドを見上げる紛れもない過去の自分がいる。スポットライトが涙で滲むその先の景色を確かめては、どんなに大人になってもいつの日かお守りのようになったあのバンドのことを強く抱きしめる。ライブの高揚感に包まれながら内省して、あの幻みたいな現実が終わると前へ進む。
いつでもきっかけの場所。

私があの時苦しかった日々は本当に二度と経験したくないけれど、あの感受性が毛細血管みたいになった辛い日々がなかったらあのバンドのことをこんなにも好きになることはなかったかもしれない。出会わなかったとしたらと思うと、こわくて仕方ないほどに出会えてよかったんだ。

そんなことを考えながら、ロフトベッドの天井の1点を見つめ、夜更かしした今日を終わりにするために電気を消して目を瞑る。
柱の黒く濁った傷は私が付けたものじゃない。ここに住んできた誰かの生活の跡だ。
音楽に爪痕を残すことは物体ではないからできないけれど、音楽を心に刻むことは物体じゃなくてもできる。

私みたいに、他の誰かのたくさんの人生も救いあげているのだろうって思うと、涙が止まらないです。私はこのバンドのことを人に説明するときに、ぬか漬けみたいなバンドだよ。って言ってます。
熟成されるほどに味が出る、噛めば噛むほどに美味しい漬け物。
新曲が出るたびに音を聴くたびに歌詞を読むたびにライブに行けるたびに幸せにしてくれて本当に感謝しています。

これからも、好きになったときの温度のままで。
もしも認知症になってしまったとしても、老人ホームで口ずさんでいたい。


ありがとう。クリープハイプ



※長くなってしまってごめんなさい

#だからそれはクリープハイプ

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